
三木将 AAR東京事務局にて
熊本市出身で、AAR11年目の三木将さん。広報部、海外駐在員、支援事業部と、アフリカを中心に多様な現場を経験してきました。
国際協力の道を志した原点を教えてください。
幼い頃から地理が好きで、海外への関心がありました。幼稚園の時には世界地図を描いたり、地球儀を親にねだったりしていました。知らない土地や言葉、文化への好奇心が強く、高校生の頃には、すべての国境線を描いた世界地図を描けるようになっていました。

幼い頃に買ってもらった地球儀と、当時描いた世界地図
それはものすごい特技ですね。
国境線には、その国の歴史的背景が表れているんですよ。例えば、エジプトとスーダンの間には両国共に領有権を主張しない珍しい地域がありますし、ナミビアには、盲腸のように細く突き出た国境もあります。
その興味は、どのように進路選択につながったのですか。
大阪外国語大学(現・大阪大学)でスワヒリ語を専攻しました。高校の途中までは医学部志望だったのですが、自分が本当に興味を持っているのは地理や言語だと思い、外語大への進学を決めました。当時、海外経験は修学旅行で中国に行った程度で、アフリカについてほとんど知りませんでした。しかし、「全然知らないことこそ学びたい」と思い、日本ではメジャーな言語ではないスワヒリ語を専攻しました。ほかにもヨルバ語(ナイジェリア南西部)、ハウサ語(ナイジェリア北東部、ニジェール南部)、ズールー語(南アフリカ)、チャガ語(タンザニア・キリマンジャロ周辺)、などアフリカ各地の言語にも触れました。現在もケニアの事業地で、現地の方とスワヒリ語で会話するととても喜んでもらえ、関係作りに役立っています。

ケニア出張時に現地スタッフと。トゥルカナ族の民族衣装を身にまとって=ケニア・カクマで2024年10月
AARでの経験の中で、特に印象に残っている出来事は?
さまざまな部署を経験しましたが、特に印象深いのは2018年〜19年のザンビア駐在です。当時、私が赴任する前から、一定の役割を果たしたルサカ事務所を閉鎖することが決まっており、駐在終盤はその業務に携わりました。20年以上続いた歴史ある事務所で、長年勤めてきた現地職員もいました。閉鎖はスタッフの気持ちの整理も伴う大変なプロセスでした。最後に皆で食事会を開いたとき、それぞれの思いがあふれ、私も胸がいっぱいになりました。その時の同僚とは今もつながっていて、人生の財産となりました。

ザンビア駐在員時代、AARの支援で建設したクリニックのスタッフ・地域ボランティアの皆さんと=ザンビア・ルサカで2019年3月
三木さんにとってAARで働く魅力とは何ですか。
何事も自分から能動的に動かなければ前に進まない仕事であるところが魅力ですね。また、旅行では訪れることのない国や地域に行き、その土地の文化や人々の暮らしを肌で感じられることも、この仕事の面白さです。



