今、タジキスタンの首都ドゥシャンベで、笑顔で自信を持って働くショフゾダ・スルタンバエヴァさん(29歳)。ですが彼女は11年前までは部屋に引きこもって暮らしていたといいます。いったいなぜ?そして彼女に訪れた転機とは?タジキスタンから、駐在員の東マリ子がお届けします。
泣いてばかりいた少女
ショフゾダさんは、生まれつき脊髄に損傷があり、歩行は松葉杖を使っています。15歳の頃、通っていた高校でいじめに遭ったことがきっかけで、家に閉じこもるようになりました。「自分は障がいがあるので何もできない」と友人もなく一人で泣いてばかりいたそうです。そんなとき、ある出会いがショフゾダさんを変えることになります。
2011年5月、AAR Japan[難民を助ける会]の理事で、作業療法や障がい者の社会参加に取り組む河野眞・国際医療福祉大学教授(当時は杏林大学保健学准教授)が、障がい当事者団体の会長と共にショフゾダさんの家を訪問しました。河野教授は、訪問時の彼女の様子を「終始泣いていて、とても心配だった」と振り返ります。
当時からAARは障がい者とその家族を対象に、技術の習得と社会参加の促進を目的とした洋裁教室を開催していました。そこで、河野教授は彼女に縫製研修への参加を勧めました。お母さんの強い思いもあり、ショフゾダさんは研修への参加を決意しました。
緊張の日々がやがて
縫製研修が始まった頃は友だちもおらず、とても緊張していたそうです。ですが、週2回教室に通ううちに同年代の友だちができ、だんだんと研修が楽しくなっていきました。やがて研修ばかりか、障がいのある子どもたちを対象にしたボランティア活動にも進んで参加するように。お母さんは「毎日泣いてばかりいた頃からは、想像もできないくらい明るくなりました。自分の意志で外に出るようになってくれたことが、家族にとって何よりも嬉しいのです」とショフゾダさんの変化を喜びました。
当時についてショフゾダさんは「研修に参加するようになってからは、笑顔を取り戻し、元気になりました」と思い返します。
自分の意思で積極的に外に出て、やりたいことを探し始めたショフゾダさん。5か月間の研修終了後は障がい者向け職業訓練校で2年間会計を学びました。その後、大学に通いながら現地の障がい当事者団体「イムコニャット」で働くようになり、経理を4年間担当しました。現在はプロジェクトマネージャーとして、さまざまなセミナーで講師を務めるなど、障がい分野で活躍してバリバリと働いています。研修に参加するという彼女自身の決意が、その後の道を切りひらいたのです。
11年ぶりの再会。「自分の可能性を信じ、社会に参加してほしい」
ショフゾダさんに縫製研修への参加を勧めた河野教授との出会いから11年。10月末、河野教授がタジキスタンを再訪し、ついに再会を果たしました。
「かつての私のように自宅に引きこもっている障がいのある女性に、障がい者の権利について理解してほしいです。自分の可能性を信じ、社会に参加してほしいのです」と語るショフゾダさん。「もう、あの頃の泣き虫な私じゃありません」と、私たちの前で自信たっぷりに話しました。
河野教授は「彼女の人生がどんなふうになっていくのか、非常に心配でした。それが今や、あんな自信に満ちた、でも同時に柔らかい印象の大人に成長し、ましてや障がいに関する分野で働いているとは。本当に感動しました。いつか彼女と障がい分野の仕事を一緒にしてみたいです」と話し、再会をとても喜ばれていました。
明るい笑顔で自信を持って話してくれたショフゾダさんがとても印象的でした。感動的な2人の再会に立ち会い、支援の可能性を垣間見た気がします。
誰もが自信を持って生きていけるように
ショフゾダさんが働く障がい当事者団体「イムコニャット」は、タジク語で「可能性」を意味します。AARは、一人でも多くの障がい者がショフゾダさんのように自分の可能性を信じて自信を持って生きていけるよう、これからも支援を続けてまいります。
東 マリ子HIGASHI Marikoタジキスタン事務所
民間企業や在ロシア日本国大使館での勤務を経て、2021年にAAR入職。同年7月よりタジキスタン事務所駐在。趣味は音楽鑑賞とスポーツ観戦。青森県出身