国際協力に関心をもったきっかけとAARに入職するまで
姉が学生の頃に海外ボランティアを行っていた影響で、自分も大学に入ったら海外を旅して人の役に立つことがしたいと思っていました。実際に大学では、中国のハンセン病快復村(元隔離村)でワークキャンプを行うサークルに入り、そこで暮らす村人と現地の大学生と衣食住をともにしながら、生活インフラの改善を支援する活動を4年間続けました。その中でハンセン病を病んだ人たちが歩んだ人生に触れ、ハンセン病に対する差別や偏見といった人権問題に深い関心を持ちました。また、宮城県気仙沼市で東日本大震災のボランティア活動も行いました。
大学卒業後は物流企業に就職し、国際輸送業務を担当していましたが、かねてより志していた国際協力の道に進むべく、2015年12月にAAR Japanに入職しました。
現在の担当業務について教えてください。
日本国内で災害が発生した際の緊急支援事業を主に担当しています。
具体的には、被災地における支援活動の調整に加えて、助成団体への申請書・報告書の作成、ご寄付や助成金の資金管理、他の災害支援団体や障がい者団体とのネットワーク構築に係る会合参加など多岐に渡ります。大規模な災害が発生した際には、私も早期に現地入りして支援活動を行います。
これまでのAARでの経験について教えてください。
2015年12月に入職後、現地駐在員としてミャンマー、タジキスタンにおける障がい者支援に従事しました。現在は東京本部でラオスにおける障がい者支援と、日本国内で発生した災害における緊急・復旧・復興支援を担当しています。
AARは活動地域も活動分野も幅広いため、自分自身の注力したい地域・分野に合わせて、さまざまな経験を積むことができることも魅力の一つだと思っています。
入職前後のギャップはありましたか?
デスクワークが多いことです。災害発生時には、現場での支援活動を調整しながら、活動資金も早急に確保する必要があります。資金は、支援者の皆さまからお寄せいただいたご寄付に加えて、助成金なども活用します。そのため、助成団体への申請書や予算書を短期間で作成するなど想像以上にデスクワークに追われます。活動資金を確保した後も、資金管理や支援者の皆さまへの報告など書類作成が多くあります。
仕事をするうえで大切にしていることはありますか?
支援活動に関連する分野の日々の動向や情報を収集して、自分なりに考察を深めるよう努めています。災害時にはその社会が抱えてきた様々な問題が顕在化し、障がいのある人や高齢者は特に困難な状況に置かれます。それらの状況を改善していくためには、障がいや疾患、高齢など、さまざまな生活上の困難のある方々が日頃から暮らしやすい地域社会にしていく必要があります。そのため、災害時の課題に加えて、平時の課題に対する情報感度を高め、障がい者団体などと協働する関係を構築し、 AARの支援活動で何ができるかを常に考えるよう意識しています。
仕事をするうえでどんなことに難しさを感じますか?
災害・障がい・原発問題など、支援活動に関連する分野の日々の動向や情報を収集して、自分なり、ないしはAARなりの考察を深めて、支援活動に反映していくことです。
例えば、「災害」と一口に言っても、緊急期、復旧期、復興期と災害のフェーズ毎に被災者は異なる問題に直面します。災害発生から時間の経過とともに変化する被災者のニーズを的確に把握し、解決に寄与する活動を計画し、実行に移していくことはとても大変なことです。
やりがいを感じる瞬間はありますか?
支援を届けた先の皆さまからの「ありがとう」を受け取った時です。また、ご寄付をお寄せくださった支援者の皆さまからの応援メッセージはとても励みになっており、多くの方々の支えがあり、AARは支援活動ができていることを実感します。
AARの好きなところがあれば教えてください。
AAR東京事務局では、昼食時に希望者であつまってお米を炊いています。おかずは各自で持参します。私も「おしゃもじ当番」の一員として、月に1回、お米を炊いていますが、仕事中とは異なる事務局でのスタッフの皆さんの様子にほっこりすることがあり、その雰囲気がとても好きです。
これからAARで働きたいと考えている方へ一言
AARは、「困難な状況に置かれている人々に必要な支援を届ける」という共通の想いのもと、支援事業に携わる職員の他にも、広報、経理、総務など、職員それぞれの経験・スキルを持ち寄って組織として成り立っています。なので、多様な経験・スキルを持った方々に来ていただき、AARの支援活動を発展させていければと思います。