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会長・長有紀枝のブログ

トルコ・シリア地震と人道支援の課題 人道問題の研究者が明け暮れに考えたこと

2023年3月10日

    東日本大震災の発生から12年目を迎えようという今、2月6日にトルコ・シリア両国を襲った震災の発生から1か月が過ぎました。両国で犠牲者は5万2千人以上とされます(トルコ:死者47,200人、負傷者105,500人、シリア:少なくとも死者5,900人、負傷者10,600人)。震源地はトルコ側、より大きな被害が出ているのもトルコ側ではありますが、シリア側の支援の遅れが甚だしい。これは2011年以来続く内戦中だからでしょうか。本日は、トルコとシリアの人道支援格差を事例に、紛争や災害で、援助が必要な人のもとに、必要な物資を届ける、人道支援活動が直面する課題について考えます。

    人道支援の前提となるアクセスの確保

    まず、人道支援をめぐる一般論や一般的な課題からお話しさせてください。

    武力紛争や大規模な自然災害で、被災した人々の命と尊厳を守る活動が緊急人道支援です。こうした支援活動を実施するには、国連や赤十字やNGOなど「人道支援を専門とする組織と人材」、食料やテント、医薬品、生活必需品などの「物資」、なによりそれを調達するための「資金」が必要です。しかし、意外に思われるかもしれませんが、これらのヒトや組織・モノ・おカネと同時に決定的に重要なのが、紛争地や災害の被災地、つまり受益者のもとに届けられるか、アクセスできるか、という問題です。

    今年、発生から12年となる東日本大震災の際も、物資はあっても、道路が寸断されたり、トラックはあっても燃料がなかったり、大地震の発生直後は、輸送手段と被災地へのアクセスが大きな課題でした。幹線道路沿いの被災地はまだしも、毛細血管の先の方にある地域へはなかなか到達するのが難しい状況がありました。

    外からの人道支援を拒否する側の論理

    海外の紛争地や被災地への支援はまた別の問題があります。

    まず、被害を受けた国が、国連や各国、NGO問わず、諸外国の支援を受け入れる「意思」があるか、という問題です。外国の団体や外国人が支援活動を行うには、当事国政府の「許可」が必要です。数週間であれば、観光ビザで入れる場合もありますが、多くは、援助要員であってもビザ(査証)が必要とされる国があります。

    典型的な例が、2008年5月にかけてミャンマーを襲った未曾有のサイクロン・ナルギスです。死者・行方不明者は国連(国連国際防災戦略事務所UNISDR)によれば13万8千人、負傷者約2万人と言われ、200万人以上が大きな被害を受けましたが、壊滅的な状況下で、ミャンマー政府は当初国連や外国NGOの受け入れに非常に消極的でした。国連や各国政府、国際機関は、サイクロン発生直後から各種の支援を申し出ましたが、ミャンマー政府は、「政府の災害援助能力は十分である」と主張して、これを拒否しました。

    その結果、国際機関から寄せられた人道援助物資や救援人材が数日にわたり隣国タイの首都バンコクや、ヤンゴンで足止めを食うという事態が発生しました。タイ政府の仲介もあり、ミャンマー政府が、国外からの人的支援を全面的に受け入れると表明したのは、発生から3週間がたとうという頃でした。

    しかし、ミャンマー政府の対応が特別であったとはいうことはできません。圧倒的な自然災害を前に、国内の対応力が十分ではなくとも外国からの支援を拒絶する例は後を絶ちません。理由としては、反米、反国連感情がある国や地域では、欧米諸国や国連の支援を受けたくない、援助と引き換えに、内政干渉をされたくない、安全保障上重要な軍事情報、機密情報を外国政府や救援で入る軍隊にさらしたくないなど。あるいは、自然災害の発生地が、少数民族や独立派勢力の支配地であるような場合は、外国人の立ち入りを避けたい、といった理由があります。スマトラ沖大地震後のインドネシアのアチェがまさにそうした状態でした。

    また隣国から難民が逃れてきている国の場合、援助が入りすぎるとますます難民が押しよせる可能性がある、あるいは、援助が届くことで、難民の滞在が長引く、といった理由で援助の早い時期の打ち切りを要請したり、支援を受けることそのものに否定的な国もあります。

    さらに複雑な紛争下の国への人道支援

    今回のシリアがそうであるように、紛争中の場合はさらに特殊な事情があります。

    紛争中の場合、相手が当事国政府であろうと、武装勢力であろうと、援助を届けようとする地域を「実効支配」している勢力の許可を得る必要があります。

    また被災地を「実効支配」している勢力が援助を要請したとしても、その土地が、対立する勢力に囲まれた「飛び地」、外の世界と遮断された「陸の孤島」であったとしたら、その「飛び地」を取り囲む、敵対勢力の許可を得る必要があります。私自身、90年代のボスニア紛争で、セルビア人勢力に囲まれたイスラム教徒の支配地に、糖尿病の治療薬インスリンと注射器などを届けるために、セルビア人勢力と数か月にわたる交渉を繰り返したことがあります。(他の医薬品や外科治療薬は赤十字国際委員会と国境なき医師団により提供されていましたが、インスリンだけは、いずれの団体も支援できず、難民を助ける会にこれら援助団体からも強い要請がありました)

    今回の地震についていえば、トルコ側の被災地については、トルコのエルドアン大統領が早い時期から各国に、またトルコはNATO(北大西洋条約機構)の加盟国ですが、NATOに対しても、支援要請を行っています。これに対し、今回の大地震のシリア側の被災地の状況は複雑かつ深刻です。そもそも2011年から12年続く内戦で、建物やインフラが破壊されていたところに今回の大地震が襲いました。さらに、シリア側の被災地は、アサド政権側の支配地と、アサド政権と対立する北西部の、反政府側の支配地双方に及んでいます。アサド政権側の支配地にある被災地に援助活動を行うには、アサド政権側の許可があれば足りますが、アサド政権側に囲まれた反政府軍の支配する地域に居住する人々に援助を届けようと思ったら、敵対するアサド政権の許可が必要になるのです。

    大地震前のシリア北西部の人道支援状況

    そもそも、今回の大地震前のこの地域の人々の暮らしはどのような状態にあったのでしょうか。

    12年に及ぶの紛争の中で反政府勢力が優勢に立ち、アサド政権が劣勢に追い込まれた時期もありました。しかし、反政府勢力の一つ、イスラム国を撃退したアメリカが撤退すると、これと入れ替わるように、ロシアとイランの支援を受けたアサド政権側が勢力を回復、ここ数年は反体制派の支配は、北西部のイドリブ県とその周辺に限られ、この地域では410万人が国連などの支援に依存しなければ生きてはいけない状態でした。

    この地域のみならず、シリア全土で人道支援の妨害が紛争各派によって行われていたため、国連の安全保障理事会は2014年2月と7月に、2つの国連安保理決議を採択(S/RES/ 2139およびS/RES/2165)、トルコ国境2か所(バブ・アルサラムとバブ・アルハワ)にヨルダン、イラク国境各1か所の計4か所の越境(クロス・ボーダー)地点を指定しました。しかし、ロシアと中国が拒否権を行使して、この更新に反対し、4か所がトルコ国境の2か所のみに、ついには1か所(バブ・アルハワ国境検問所)のみに、それも半年ごとに更新が必要とされていまいました。今回の地震直前の1月の安保理決議(S/RES/2672)でこの唯一残った越境地点の使用が7月まで更新されたばかりでした。しかし今回の地震で、この生命線ともいえる道路が大きく損傷し、9日に復旧するまで援助のみならず人命救助の応援も一切届かない状態となってしまっていたのです。

    現在の支援活動と今後の課題

    大地震で被災したシリア北西部の反体制派支配地域が、壊滅的な状況にある上に援助が全く届いていない事態を改善しようと、国連がシリアのアサド政権と交渉、復旧したものの1カ所しかないトルコからの越境地点を計3カ所(バブ・アルハワに加え同じく北西部のバブ・アルサラムとアッライ)に向こう3か月間増やすことをで合意したと、国連のグテーレス事務総長が発表しました。地震発生から1週間がたった2月13日のことです。翌14日には、近年アサド政権などの反対で使われなくなっていた越境支援ルートが新たに設けられ、食料や衛生用品を積んだトラックが10台以上入ったと伝えられ、以後積極的な支援活動が続いています。

    反政府側も、アサド政権側が前線を超えて、支援物資が搬入されることを拒否する姿勢も見せている、という報道もあります。紛争にかかわりのない無辜の市民が、政府・反政府双方の争いに一層の危機にさらされています。シリアのNGOは、国連による越境支援は、安保理決議は必要なしと主張する団体もありますが、なんの罪もない、無辜の市民、民間人が、彼らの命を支える人道支援が政治の犠牲になる事態が繰り返されています。

    物理的に私達日本人にできることは限られるかもしれません。しかし、こうした事態は許されないと声を出すこと、関心を持ち続けること、特に多くの危機に、人道的関心を持ち続けることは私達誰にでもできる貢献ではないでしょうか。

    難民を助ける会のトルコおよびシリアでの支援活動

    難民を助ける会は1999年のトルコ地震でも支援活動を実施していますが、事務所を置いて活動するきっかけになったのは、東日本大震災の年の11月、トルコのワン地方を襲った大地震の支援活動がきっかけです。この支援活動の途中、難民を助ける会の職員・宮崎淳さんが宿泊中のホテルの倒壊に巻き込まれ、お亡くなりになりましたが、そのご縁を紡ぎつつ、2012年からシリア難民に向けての支援活動を開始しました。

    2012年からトルコに避難したシリア難民に向けて、シャンルウルファ市でコミュニティセンターを運営、長引く避難生活での孤立を防ぐとともに、地域におけるシリア難民とトルコ人との相互理解の促進を目指し、特に女性や子どもたちが参加しやすい活動を実施してきました。また障がいのある方に車いすや杖などの補助具を提供しているほか、コミュニティセンターにリハビリルームを設置したり、シリア人理学療法士らによる訪問リハビリを行ったりしました。

    2014年からは、今回の地震の震源地のガジアンテップの事務所を起点に、シリア国内で地元のNGOを通して、国内避難民への食糧支援を開始しました(治安と安全管理上の理由から、これまでガジアンテップを起点にした支援活動については、助成先や外務省、国連機関など特定の関係機関以外への公表は控えてきました。また、地震発生時、邦人職員2名が、ガジアンテップ事務所におり、そのことも公表せずにおりましたが、今回の震災支援を受けて、これまでの情報も開示しています)。

    震災前も、ウクライナ危機の影響で小麦の価格が上がり、食糧危機のリスクが高まっていましたが、既述のように、さらなる人道危機が追い打ちをかけています。これらの支援に加え、現在、トルコ国内の被災者支援を行っていますが、トルコ在住のシリア難民の男性からは「トルコの人たちは家が倒壊しても、親戚のところに身を寄せることも出来るが、我々は仕事も失い、家族を養う手立てもない…」との声も届いています。

    大災害はあらゆる人に襲い掛かりますが、その影響や打撃は、難民や国内避難民、そして、東日本大震災の例が示したように、お年寄りや障がい者、子供、妊婦などより脆弱な人々に壊滅的な影響を及ぼします。3月11日を前に改めて思い起こします。

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    長有紀枝OSA Yukie会長

    2008年7月よりAAR理事長、2021年6月より同会長。2010年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・立教大学社会学部教授。(茨城県出身)

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