解説コーナー Commentary

40年来続くアフガニスタンの悲劇――戦禍に生きる人々

2022年2月8日

カラフルなテントや屋台でにぎわっている

賑わいを見せていたカブール市街の市場=2020年

旧ソ連軍の侵攻・撤退と内戦

アフガニスタンでは2021年8月、米軍を主体とする駐留外国軍の撤退に伴ってガニ政権が崩壊し、イスラム主義勢力タリバンが復権しました。政情不安にある同国では新たに数十万人規模の国内避難民が発生するなど、深刻な人道危機が続いています。アフガニスタンの苦難の歴史を40余年前の旧ソ連軍侵攻から振り返ってみましょう。

旧ソ連軍は1979年12月、当時のアフガニスタンを支配していた共産主義政権の要請を受けて同国に侵攻しました。これに対して、反ソ連・反政府を標榜するムジャヒディンと呼ばれる複数のイスラム武装勢力が激しく抵抗し、米国もこれを支援しました。「ソ連のベトナム戦争」と言われる泥沼の戦争は、1985年に登場したゴルバチョフ書記長による外交政策の転換で流れが変わり、1988年5月に米国と旧ソ連、アフガニスタン、パキスタンの間で結ばれたジュネーブ協定に基づいて、旧ソ連軍は1989年2月までに完全撤退しました。

しかし、旧ソ連軍の撤退は和平をもたらさず、アフガニスタンは人民民主党政権とムジャヒディンの内戦状態に陥ります。1992年に同政権が崩壊すると、もともと一枚岩ではなかったムジャヒディンの各軍閥が権力闘争を繰り広げて、多数の一般市民が戦闘に巻き込まれて死傷し、首都カブールをはじめ全土が極度に荒廃しました。

タリバンの登場から「9.11」へ

こうした状況下、「イスラムの教えに基づく世直し」を訴えて立ち上がったのがタリバンです。「神学生」を意味するタリバンは、マドラサ(イスラム神学校)で学んだ若者たちのグループでした。長引く戦乱に疲弊した人々は、イスラム教の規律をもって治安回復と祖国復興を目指すタリバンを受け入れ、タリバンは1996年にムジャヒディンを駆逐して国土の大部分を制圧しました。

しかし、実権を握ったタリバンは次第に保守化し、イスラムの戒律を厳しく人々に押し付けるようになります。女子の就学や音楽・娯楽を禁止したり、公開処刑を執行したり、抑圧的な統治を行って国際社会の信頼を失い、市民生活はますます苦しくなりました。少数民族ハザラ人の殺害、世界遺産バーミヤン大仏の爆破は国際的に非難されました。

女性や子ども数十名が壁に貼られた地雷ポスターを見ながら講義を受けている

地雷・不発弾の危険を伝えるAAR Japanの回避教育

タリバン政権時代のアフガニスタンに入り込んだのが、オサマ・ビン・ラディンが率いる国際テロ組織アルカイダです。政情不安定な国・地域を拠点とするアルカイダにとって、アフガニスタンは格好の標的でした。アルカイダは2001年9月、「9・11」米国同時多発テロ事件を起こします。

アルカイダの犯行と断定した米国は、タリバン政権に対してビン・ラディンの身柄引き渡しを要求しましたが、タリバンは「客人を命懸けで守る」というパシュトゥーン人の伝統によって拒否しました。同年10月に米英軍がアフガニスタン空爆を開始するとともに、反タリバンの北部同盟軍の地上戦を後押しし、11月にカブールが陥落してタリバンは地方に撤退しました。ビン・ラディンは10年後の2011年5月、潜伏中のパキスタンで米軍特殊部隊によって殺害されます。

2002年以降、米軍やNATO(北大西洋条約機構)軍など外国部隊がアフガニスタンに駐留するとともに、国際社会は巨額の資金を投じてアフガニスタン復興を支援してきました。それは道路や通信網のインフラ整備などハード面の支援から、行政人材の育成、保健医療、教育、農業支援などソフト面まで国家再建の各分野での取り組みです。タリバン政権下で学校に通えなかった女の子たちも教育を受けられるようになり、女性の就労も進みました。他方で海外から資金が流入したことで、政権の腐敗・汚職が深刻化したとも指摘されます。

敗走後のタリバンは、同国東部・南部のパシュトゥ-ン人居住地域、隣接するパキスタンの旧部族地域(現ハイバル・パクトゥンクワ州)に潜伏し、2000年代半ば以降は反政府活動を再開して、米軍との戦闘が続きました。加えて、2015年頃からアフガニスタンで活動を開始したテロ組織「イスラム国ホラサン州」(IS-KP)による爆弾事件が今日、大きな不安定要因になっています。

米軍撤退とタリバンの復権

アフガニスタンに駐留する米軍兵士の犠牲は2001年以降、死者約2,500人・負傷者2万人超に上り、米国では早期撤退を求める世論が高まっていました。トランプ前政権(共和党)は2020年2月、カタールのドーハでタリバン側と和平合意を締結し、翌2021年の米軍撤退が決まりました。

タリバンとアフガニスタン政府の実効支配地域は、2019年11月時点ではタリバン69郡/政府135郡(勢力拮抗196郡)。2021年4月時点でもタリバン77郡/政府129郡(拮抗194郡)でしたが、7月下旬になるとタリバン220郡/政府73郡(拮抗114郡)とタリバンが一気に攻勢を強め、8月にはその勢いを増します。最終的にガニ前大統領が国外逃亡して政権が崩壊し、タリバンは8月15日にカブールを制圧して実権を掌握しました。

タリバンは条件付きで女性の教育や就労を認めると表明したほか、ドーハに外交拠点を置いて各国政府と折衝するなど、20年前のタリバンとは異なる姿勢をアピールしていますが、タリバン政権を承認した国はありません(2022年2月現在)。

タリバン復権と相前後して、駐留外国軍に協力していたアフガニスタン人、外国政府の大使館・機関や援助団体のアフガニスタン人職員が、抑圧を恐れて次々に国外退避しました。2021年8月後半には、出国を求めてカブール空港に人々が殺到する様子が世界中に報道され、同国の混乱ぶりをまざまざと見せつけました。

タリバンの復権が進むにつれて、戦闘から逃れた国内避難民が急増しました。2021年の1年間に国内避難民となったのは66万9,053人、それまでの避難民と合わせた合計は350万人を超えます。また、2021年8月末時点で周辺国に逃れた難民は222万1,828人。厳しい生活を余儀なくされている人々を含めて、同国で何らかの支援を必要としているのは、総人口の約6割に相当する2,440万人に達します(2022年国連推計)。

食糧や毛布の配付をするAAR職員

AAR Japanによる国内避難民への支援物資の緊急配付=2021年12月

AAR Japanは1999年以降、英国のNGOヘイロー・トラストと協力して、アフガニスタンで地雷除去作業を進めるとともに、地雷・不発弾の危険を伝える「回避教育」、地雷被害者を含む障がい者支援や障がい児の就学支援に取り組んできました。2021~22年の厳冬期には、テント生活を余儀なくされた避難民に食料・毛布などの支援物資を緊急配付しました。

国際社会の援助が停滞し、国内経済が破綻したアフガニスタンでは、人道支援も円滑に実施できない状況にあります。戦禍と政情不安に苦しむ同国の人々を見捨てることなく、日本をはじめ国際社会が協調して人道支援を継続することが求められています。

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紺野 誠二KONNO Seiji東京事務局

AARから英国の地雷除去NGO「ヘイロー・トラスト」に出向し、コソボで8カ月間、地雷・不発弾除去作業に従事。現在は東京事務局で地雷問題やアフガニスタン事業を担当。

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