お知らせ News

故・宮崎淳さんの名前を冠した災害センター開設:トルコ

2025年1月16日

AAR Japan[難民を助ける会]の職員で、2011年のトルコ地震緊急支援中に亡くなった宮崎淳さん(当時41歳・大分県出身)の名前を冠した「宮崎淳災害調整センター(現地名Atsushi Miyazaki AKOM)がトルコで完成しました。2025年1月10日の開設式に当会トルコ事務所の職員2人が出席しました。

宮崎さんのパネルの前で撮影。AAR職員2名。

宮崎淳災害調整センターの入り口正面に設置された宮崎さんを記念するパネル。左はジャナン・ブトゥン同センター部長、右はAARトルコ駐在の宮地佳那子=2025年1月10日、ワン県エドレミット市エミンパシャ地区の同センターで

センターが開設されたワン県はトルコ東部、イランと接する位置にあり、2011 年10 月のトルコ東部地震では約600 人の死者を含む大きな被害が出ました。AAR は緊急支援のために日本から職員2人を派遣しましたが、直後に起きた地震で宿泊先のホテルが倒壊し、宮崎さんが亡くなりました。

AKOMというサインのついた建物

開設された宮崎淳災害調整センター

センターの設置は、2011年の地震に加え、2023年にトルコ南東部を襲った大地震を受けて、災害対応能力を強化するのが目的です。既存のビルを全面的に改築し、バッグアップ電源で機能する大会議場は、近隣県やイラン北西部の災害時にも連絡拠点として機能します。また防災教育、地盤改良や都市計画に関する研究もここで行われます。センターを入った正面に、宮崎さんを顕彰する大きなプレートが設置されています。

指令室の様子。スクリーンには宮崎さんの映像。多くの記者が訪れている。

停電時でも使用可能な災害対策本部総合指令室

晴天下で開かれた開設式には、ワン大都市自治体共同首長のセダル氏、同ゼイダン氏のほか、地元NGOや市民ら約400人が参加。セダル氏は「宮崎淳という名前には、2011年の地震で亡くなったすべての人々を記憶していくという思いを託しています」と話しました。

また、在トルコ日本大使館の田原光児臨時大使は、東日本大震災(2011年)の際、トルコの救援隊が外国部隊としては最も長く活動してくれたことに触れ、「災害は悲しいことだが、私たちはその度に助け合い、お互い強くなっています。将来の災害の影響を軽減するために、ワンを支援していく用意があります」とあいさつしました。AARの宮地佳那子・トルコ駐在代表代行は、宮崎さんの母・恵子さんが寄せた「ワンの皆さんが長い年月を経ても息子のことを覚えていてくれ、心から感謝します 」とのメッセージを紹介しました。

2021年には、やはり宮崎さんの名前を関した「ミヤザキ森林公園」が作られており、開設式の前にワン県、在トルコ日本大使館、AARの各代表が同公園を訪れ、宮崎さんの胸像に献花しました。

関連したレポート・ブログを読む

お知らせTOP

すべての種類のレポート・ブログを見る

もくじ お探しのページはこちらから ページ
TOP