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支援事業部 堀尾 麗華「能登半島地震の現場で感じた女性たちの痛み」

2024年5月2日

    堀尾の写真

    堀尾麗華 AAR東京事務局にて

    能登半島地震の緊急支援で被災地に入りました。

    強烈な体験でした。東京に戻って数日経っても「あの人に荷物を届けないと」と思ってはっと目が覚めることがありました。発生直後の1月は富山県高岡市がAAR支援チームの拠点で、道路事情が悪く、朝5~6時に起きて支援物資を積み込み、雪道を車で5時間走って昼ごろやっと目的地に到着。数時間活動してまた5~6時間かけて富山に戻り、物資を調達して明日の打ち合わせをする毎日。睡眠は4~5時間。特に大変だったのはトイレ探しです。長期にわたって入浴できないことや、身だしなみを整えられないことを気にしている女性も多かった。長期間水のない生活がどれだけ大変か、特に女性の苦労を実感しました。

    崩れた道路の写真

    能登半島地震の影響で崩れた道路

    現地に行かないと気付かないことが多かったのですね。

    外国人技能実習生の方々は、水や電気がない環境ながら、雨水をためるなど知恵を絞っていて、日本人より生きる力を感じました。外国人は災害に弱く、無力のように伝えられることが多いですが、決してそれだけではありません。

    AARスタッフと外国人が話している

    能登半島地震の外国人被災者に聞き取りをする堀尾

    1995年の阪神大震災を経験したそうですね。

    3歳の時、テレビで『セーラームーン』を見ていたらすごい揺れが来て、母がかばってくれたのを覚えています。その後、父が目を悪くしたこともあって障がい者と防災について関心を持ち、防災士の資格も取りました。大学時代に米国の分校で学んでいた時、東日本大震災が起きて衝撃を受け、米国からできることを模索し続けたり、帰国後に被災地を訪問し、障がい者インクルーシブな防災について考えたりしていました。卒業時、障がい者支援に熱心だったAARにぜひ入りたいと応募しましたがダメでした(笑)。新卒採用は難しいと知っての挑戦でした。やっぱりAARで働きたいという想いは消えず、「よし、経験を積んで絶対に入ってやる!」と英国の大学院に進学し、開発と障がいについて学びました。その後、国連児童基金(UNICEF)ネパール事務所などを経て、2020年11月にAARに入りました。

    女性が子どもにラップで皿を包む方法を教えている

    東日本大震災支援で実施したわくわく子ども塾での炊き出し体験の様子

    AARでこれからやりたいことは?

    防災教育です。障がいの有無に関係なく、どう防災対策をしているかで生死が分かれるほどの違いがある。災害支援の経験を生かし、災害の前にできることを伝えていきたいと思っています。

    趣味は?

    阪神タイガースのファンです。昨年リーグ優勝した翌日、うれしくて黄色と黒の阪神カラーの服で出勤したのに、誰も気付いてくれませんでした。フィギュアスケートの観戦も好きです。リンクで見ると氷の上を滑る音がとても迫力があるんですよ。支援もスケートも現場はやはり違います。

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