昨年4月、スーダン出張中に政府軍と準軍事組織の武力衝突が勃発し、日本政府などの協力を得て日本に退避した相波さん。その後の支援活動などについて話を聞きました。
スーダン退避から1年が経ちましたね。
そうですね。強烈な体験でした。日本に無事戻ってこれたのは、日本外務省や自衛隊、JICA、そしてスーダンの皆さんのおかげです。改めてお礼申し上げます。
その後、5月にウガンダのホイマ事務所に戻り、スーダン国内に残る現地スタッフと連絡を取りながら、緊急支援などの事業を進めています。今も戦闘が続いており、退避以降、私はスーダンに入ることができていません。
緊急支援は順調に進んでいますか?
いえいえ、順調ではないです。首都ハルツームから多くの避難民が流入した地域で、食料配付などの拠点となる事務所を置こうとしていた時に、武力衝突がその地域まで拡大しました。安全が最優先なので、そこでの活動はあきらめ、今は違う地域で支援を行っています。(スーダン緊急支援の活動レポートはこちらから)
スーダンにはAARの現地スタッフが3名います。勤務歴も長く、AARを家族のように思っている、と言ってくれています。彼らは難民として国外に逃げることもできますが、より困難な立場にある人々を支えるために国内にとどまり、現地での活動を担ってくれています。
現地のスタッフには感謝しかないですね。
そうですね。昨年、武力衝突発生から退避までの間、スーダン国内で避難生活をともにした、人道支援団体のスーダン人の警備員の方がいます。私が、いよいよ日本に向けて移動するとなった時、彼が私に見せてくれた笑顔を今でも思い出すことがあります。家族を送り出すような、優しく温かい笑顔でした。
私には帰る国がありますが、彼には紛争が続くこの国しかありません。母国が破壊されていく惨状を目の当たりにしながら、私たちの安全を第一にサポートしてくれた彼には、本当に感謝しかありません。スーダン国内避難民への支援は、私にとって特別な意味があります。退避時の恩を返さないといけないんです。
元々アフリカの問題に関心があったのですか?
実はそういうわけではないのです。大学では国際関係のゼミに所属し、大学院では平和構築を専攻していたのですが、特定の国だけを掘り下げて研究していたわけではありませんでした。でも今では、スーダンとウガンダは私にとって特別な国になりました。
ウガンダと言えば、2月に俳優のサヘル・ローズさんが訪問しましたね。
はい。難民居住地やAARが支援する学校などをご案内しました。難民居住地での人々の暮らしは本当に厳しくて、住まいでも身に着けているものでも、決して衛生的ではないんです。そんな中でも、サヘルさんは目をそむけたりせずに、敬意を持って人々と接していました。上からの態度で接するようなことは一切なく、子どもたちと話す時には必ず同じ高さまで目線を下げていました。
一緒に難民居住地をまわって、サヘルさんが難民の子どもたちと話している様子を見ていると、その子たちが抱える苦痛を一緒に引き受けようとしているように見えました。そしてそのような姿勢は、子どもたちにも伝わっていたと思います。
難民居住地内の学校を訪問した際、サヘルさんは孤児院で育ったという自らの過去を引き合いに出して、「勉強をあきらめないで」というメッセージを子どもたちに伝えました。サヘルさんでなければできない話です。同じように厳しい境遇の中にいる子どもたちの心に、強く響いていたと思います。
サヘルさんと出会った難民の子どもたちが将来、人生をあきらめそうになった時に、今回のことを思い出して希望を取り戻すきっかけになればいいと思います。それだけ意義のある出会いだったと思います。
忙しい日々だと思いますが、ストレス解消法はなんですか?
体を動かすようにしています。事務所の近くにサッカー場があって、週末になるとそこで現地スタッフと一緒にサッカーをしています。1人、ものすごく上手なスタッフがいて、彼がボールを持つと絶対にボールに触らせてくれません(笑)。いい汗を流すと、疲れた頭もすっきりしますね。