AARがカンボジアで取り組む障がい児就学支援(インクルーシブ教育)事業を担当するニエムさん。自身も身体障がい者として、障がい児を支え続ける思いを聞きました。
単刀直入に。どうして右腕を失ったのですか。
首都プノンペン近郊のカンダール州にある故郷の村は、内戦時代の激戦地で地雷・不発弾がたくさんありました。小学校2年生の時、友だち4人が拾った不発弾で遊んでいて、ちょうど私が通りかかった瞬間に爆発したのです。ひとりが亡くなり、私は右腕を失いました。今も体内に金属片が残っています。
大変な思いをしたでしょうね。
1年休学して小学校に戻ったのですが、先生から「障がい者が勉強しても仕事には就けない。学校を辞めたほうがいい」と言われて、とても傷付きました。まだそんな時代だったのです。でも、両親はいつも私を応援してくれて、大学まで卒業させてくれました。本当は教師になりたかったので、英語塾を開いて近所の子どもたちに教えて生計を立てたり、地元の障がい者団体で会長を務めたりした後、AARの障がい者支援事業を知って入職しました。
AARで取り組んでいる仕事は。
障がいのある子どもたちが普通に小学校に通い、他の子どもたちと一緒に学べる環境づくりをしています。障がい児教育についての教職員や行政関係者の研修、学校施設のバリアフリー化、家族や地域住民の理解促進などを進めています。私自身、障がいを乗り越えてやって来られたのは、教育のおかげです。教育の大切さを誰より知る者として、障がい児が教育を受ける機会を得られるように精一杯サポートしています。とてもやりがいを感じますね。
仕事以外の時間はどうしていますか。
なかなか休む暇がないのですが、3人の娘たちに家で勉強を教えるのが一番好きです。自宅の庭で野菜を栽培し、ニワトリやアヒル、淡水魚を飼っているので、自家製の食材を料理して家族で食卓を囲む時は心から安らぎを感じます。障がい者に対して偏見を持たず、いつも明るく支えてくれる妻にも感謝しています。