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会長・長有紀枝のブログ

「緒方さんのいない世界難民の日に」 人道問題の研究者が明け暮れに考えたこと

2020年6月19日

    今年も再び「世界難民の日(World Refugee Day)」6月20日がめぐってきます。もともとアフリカ統一機構(OAU)の難民条約発効を記念した「アフリカ難民の日」だった6月20日が、国連総会で「世界難民の日」とされたのは2000年12月、緒方貞子さんが国連難民高等弁務官を退任された年のことです。つまり今年の「世界難民の日」は、世界が、緒方さんなしに迎える初めての「世界難民の日」、制定以来初めて、緒方貞子さんがこの世にいない形で迎える日です。

    誤解を恐れずに申し上げるなら、緒方さんのいない「世界難民の日」を迎える意味や意義は、世界のどの国よりも日本にとって大きいように思います。それは日本が緒方さんの祖国だからという意味ではなく、緒方さんを生んだ国であるにもかかわらず、従来とは異なり、また、これまでせっかく積み上げてきた世界的な実績を無にするような形で、日本政府が難民支援や国際協力に、背を向けようとしているように思えるからです。

    ある人の言葉を借りれば、現在の日本政府・政権は、まるで緒方さんが去るのを待っていたかのように、国連諸機関を通じて拠出する難民関係の予算、NGO向け予算、国際協力向け予算全般を、まるでこれまで国際社会で日本が築いてきた信頼や信用を根底から吹き飛ばすかのように削っています。こうした決定は、世界を揺るがしている新型コロナウイルス禍が広まる以前のものです。

    現政権が、難民支援、というより国際協力の資金を大幅に削減しようとしている、という訴えを、初めに耳にしたのは、昨年の晩秋、海外でのことです。国際機関の職員から、そして海外在住の日本人から、日本政府が大幅に拠出金を削減しようとしている、何とかならないものか、というご相談でした。曰く官房長官が「台風19号、20号の被害があまりにも甚大で、国際協力に割く資金は、大幅に削減せねばならない」と発言したとか、現外務大臣は国際協力にはあまり関心をもたれておらず、就任以来、国際機関の長が来日して面会を要請しても、まだ一度も会っていない(すべて断っている)とか、噂とも事実ともしれないまことしやかな話も伝わってきました。

    実際に、2019年度の補正予算で、UNHCRをはじめとする国際機関向けの資金は大幅に削減され、NGO向けの資金も、3割減、ではなく、3割とされました。難民を助ける会でも、そのために縮小せざるをえなかった現場もありました。コロナ禍直前、食事をともにした外務省の知人は、大幅な削減ぶりを嘆くというより、これまで築き上げてきた日本の存在感が薄れてゆく様に、失望を超えた絶望感さえにじませていました。

    なぜ、国際協力が必要なのか、なぜODA(政府開発援助)が必要なのか、日本にもこれほど困っている人がいるのに、なぜ世界の貧しい人を助けねばならないのか。

    たびたび繰り返されてきた問いです。私も、日本のNGOを通じて、難民支援に長く携わってきた者として、難民を助ける会の理事長として、大学教員として、そして国際関係や「人間の安全保障」の研究者として、こうした一連の問いに対して説明をすることが、仕事の一部というか大きな割合を占めたといっても言い過ぎではないと思います。

    これまで、外務省の方々を通じて財務省と予算交渉をするたびに、国会議員の方々に対して、その後ろにいる選挙民の方々に対して、さまざまな説明を加えてきました。憲法に書いてある、開発に割けば紛争予防につながり、紛争後に出すよりもはるかに少ない拠出で済む、東日本大震災で日本は163もの国や地域から支援の申し出を受けたではないか、本当に安心して暮らしたいならば、テロの温床となるような貧しい国々をなくすためにも必要だ、といった議論です。トマス・ホッゲや、デイビッド・ヒュームといった海外で論陣をはる一級の研究者の書物も邦訳され、道徳的義務や道義的責任、共通利益や自己利益といった整理も紹介され、日本でも盛んに出版がなされています。

    つい先日も人間の安全保障のオンライン授業で、難民問題を扱った際に、難民問題をどのような立場で論じるのか、国際社会の中の日本という立場で考えるのか、あくまで国内向けなのか、政治的なのか、政策的なのか、道義的あるいは人道的立場からか、難民条約締約国としての法的責任か、あるいは外国人労働者問題や経済的理由をもちだすのかなど、さまざまな視点を受講生に提示しました。

    繰り返しになりますが、これまでの実務家としての30年あまりの時間の多くをこうした大切な議論に費やしてきた者として、こうした議論や説明の重要さは否定するものではありません。しかし、「世界難民の日」を前にした今日だけは、こうした理屈は脇において、緒方貞子さんがされたような、議論をしてはいけないでしょうか。

    国際協力をするのに、理由がいるのでしょうか。

    コンピュータに関係する用語に、「デフォルト(default)」という単語があります。あらかじめ設定されている標準の状態、初期設定を指す言葉ですが、日常生活でも耳にすることが多くなりました。この言葉を使わせていただくなら、国際協力を「する」、難民支援を「する」ということを、理由のいらない、人として、人間としての初期設定、デフォルトと考えてはいけないでしょうか。緒方貞子さんは、ち密に論理的に仕事をしつつ、その根底にあったのは、デフォルトとしての国際協力であったと思います。

    難民を助ける会の堀江事務局長が、ある時ある職員から、「なぜ今、この地域で、この活動をするのだ」と問われ(いつもぎりぎりの人数、ぎりぎりの予算で、活動を続けているので、こうした議論は年中あります)、「難民を助ける会が援助をする時に理由はいらない。理由を説明する必要や義務があるのは、やるべき時にやらない時、やれない時。やる時に理由はいらない」という、非常に説得力のある発言をしましたが、この発言はまさにこのデフォルト設定ゆえだと思います。しかし、国際協力がデフォルト設定されているのは、国際協力NGOだけでしょうか。

    2020年の世界を突然揺るがしている新型コロナウイルス。6月18日現在、世界で824万人もの感染が確認され、44万5,000人もの方々が命を落とされています。コロナウイルスが特徴的なのは、いまだ予防法も治療法も確立されておらず、予防薬も治療薬も開発されていないこと。多くの人が重症化しにくいからこそ、軽症者や自覚症状のない感染者が日常生活を送り、かえって感染が拡大するといった矛盾も引き起こしています。私たち日本はいうまでもなく世界中の医療のみならず、経済や社会活動に大きな影響を及ぼしています。

    しかし、予防薬も治療薬も開発されていないということがどれほどの問題かを考えるとき、世界3大感染症(HIV/エイズ・マラリア・結核)の実態と比較する視点を失ってはいけないと考えます。2018年には、世界全体で新たに170万人がHIVに感染し、2018年末にはHIV感染者は累計で約3,790万人になりました。2018年には、世界中で77万人がHIV関連の疾患(原因)で死亡しています。同じく2018年には、推定2億2,800万件のマラリアが発生(マラリアに感染)、推定40万5,000人がマラリアで死亡しています。日本でも昭和10(1935)年~25(1950)年まで死因の第一位をしめ、「国民病」、「亡国病」と言われた感染症・結核については、安価な治療法が存在するにもかかわらず、2018年の年間発症者は約1,000万人。死亡者数は150万人です。

    新型コロナウイルスには、今のところ、有効な治療薬がないからこそ恐れられているわけですが、では、治療法も特効薬も予防薬もあるにもかかわらず、これだけの人が命を奪われている3大感染症の実態を私たちはどう考えればよいでしょうか。

    なぜ、海外の難民を助けるのか、なぜ、国際協力をするのか。

    生前、緒方さんが語った印象的な言葉があります。「人間を助けるということが何より大事」そしてそれは「本能的な常識」だと。(「朝日新聞」2016年10月3日夕刊「人生の贈りもの 私の半生 元国連難民高等弁務官・元JICA理事長 緒方貞子)

    緒方さんがいなくなって初めての世界難民の日、同時に、ペシャワール会の中村哲さんを失って初めて迎える世界難民の日でもあります。

    今日は、国内の困った人を助けるのに理由がいらないように、難民支援や国際協力にも、理由はいらない、と言わせてください。

    最後に生前の緒方さんの文章の一節を紹介して終わります。
    「(1979年、日本初の難民救援・支援団体を創設した)相馬雪香さんは、「日本人には古来、脈々として善意が伝わっている。今こそこれを世界に示さなくては世界の信頼を失うことになる。」といって発奮されたと聞いている。私たちが現在生きる相互依存の世界においては、個人の権利のみに注目するのではなく、国籍を問わず、より人道的に、より人間的に人々に思いを馳せ、行動することが必要である。まして、難民は、国家による迫害を受け、保護を必要とする人々なのである。」(UNHCR駐日事務所発行『Refugees』6号2011年)

    参考資料
    UNAIDS
    WHO マラリア報告
    WHO Global Tuberculosis Report

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    長有紀枝OSA Yukie理事長

    2008年7月よりAAR理事長、2021年7月より同会長。2010年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科・立教大学社会学部教授。2019年10月より立教大学副総長(茨城県出身)

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