バングラデシュの首都ダッカから南西に約150キロ。ナライル県の「SMスルタン・メモリアル・ギャラリー」は、同県出身の画家SMスルタン(1923-1994)の作品を集めた美術館です。スルタンの作品の特徴は、非常に筋肉質あるいは豊満な農民の姿。しかし、実際の農民は痩せた人がほとんどでした。なぜ、スルタンは農民の肉体を力強く描いたのか。同美術館を訪れたバングラデシュ・コックスバザール事務所の宮地佳那子が、スルタンの作品の背景をご紹介します。
農村のなかにたたずむ、庭が広くて静かな美術館です。スルタンのお墓もあります。入場料は10タカ(約14円)。訪れた7月は、とりわけ高温多湿な時期でしたが、冷房ではなく大きな扇風機が回っていました。週末でしたが、ほかに訪問者はいませんでした。
展示されているのは縮小された複製画が多いですが、原画も約20点あります。なかでも目を引くのが、入館したらまず向き合う横10メートル超の原画「文明の進化」で、農民たちの日常が重々しく描かれ、くすみが重厚感を増しています。他の複製画やウェブサイトの作品と比較して見てみると、この作品は元々このような色合いだったのではなく、歳月を経て、くすみが進んでいる可能性があります。これは、画材や保存方法に起因しているのかもしれません。スルタンは高価な外国の画材は使わず、地元で手に入る植物などを調合して使っていたからです。
また、有名になった後も、描いた絵に執着しなかったため、いつの間にか作品が民家や売店の壁に使われていることがありました。「スルタンの作品の変化は、作品の一部、いや作品そのものなのか…」と、気ままに解釈すると、味わいが深まりました(そもそも、くすみが進んでいるというのも憶測です)。もちろん、この美術館にある作品は一部なので、保存状態が良い作品は他館にあるはずです。
40代でスタイルを確立
生家が貧しかったスルタンは、支援者の助けで、インド・コルカタの芸術大に入学し、その後は助成金を得て欧米に渡るなど、国外で精力的に画の道を歩み、印象派などの作風の影響を受けながら、主題を探っていきます。長い間、農民の姿は描き添えられる程度だったようです。しかし30歳ごろ、久々に故郷に戻ったことが転機になりました。以来、ナライル県を流れるチトラ川の近くで、猫など多くの動物と暮らし、子どもたちに朝食を提供して描画を教える生活を送ります。農民画家と称される由縁となった、筋肉質、豊満な農民を中核に描くスタイルが確立したのは40代半ばごろのようです。
農民の“心の強さ”を描く
スルタンが日々接した農民は、実際は貧しく、栄養不足で痩せていました。しかし、絵の中の農民の体は心の強さを表しています。それは、日々の仕事だけでなく、不平等や困難に立ち向かう中で獲得されてきたものだとスルタンは考えました。スルタンを追ったドキュメンタリーで、彼はウルドゥー語を用いた詩人アッラーマ・イクバル(Allama Iqbal)の一節を引用しています。
『もし農民が自分の収穫を享受できないのであれば、彼はその作物に火を放つべきだ』
スルタンが農民たちに感じた物怖じしない強さを、スルタン自身も臆せず作品に反映しているように感じました。
<参考資料>
『Adam Surat: The Inner Strength』脚本・監督Tareque Masud(1989年、ドキュメンタリー)
Journeying through Modernism: Travels and Transits of East Pakistani Artists in Post-Imperial London
宮地 佳那子MIYACHI Kanakoバングラデシュ・コックスバザール事務所
女性の健康と権利の推進に取り組むNGOでの勤務、夜間大学院生を経て、2019年にAAR入職。ロヒンギャ難民支援に取り組む。