厳冬期の1月、ウクライナの平原を首都キーウに向かいながら、信州・松本城下に福島安正の生家跡を訪ねたことを思い出しました。情報畑一筋で陸軍大将にまで上り詰めた異能の軍人は、明治時代にあって英・独・仏・露・中国語に堪能な超国際派。情報将校として欧州・アジア各地の踏査を重ねましたが、何と言っても有名なのは、世界を驚かせた「シベリア単騎横断」です。東京事務局の中坪央暁が戦時下のキーウからお伝えします。
ドイツ駐在武官だった福島少佐は明治25年(1892年)、騎乗でのユーラシア大陸単独横断を計画し、ベルリンからポーランド、ロシア、外蒙古、満州経由で1年4カ月かけて日本に帰国しました。日清・日露戦争を控え、帝政ロシアによるシベリア鉄道建設などの情報収集を目的とした諜報活動に他なりませんが、行く先々で質実かつ大らかなロシア軍の将兵に歓待され、貧しくも純朴なロシアの村人たちに時には生命まで助けられています。
騎兵の父親に命じられたと思しき「玩具の兵隊」のような紅顔の少年に先導されたり、ウラル山麓の駐屯地で軍楽隊が「君が代」で迎えてくれたり、過酷な環境を物ともしないコサック兵の忍耐強さに感嘆したり……印象に残る出会いがいくつもあって、福島は19世紀のロシア軍を人間味と規律を併せ持つ集団として描いています。現在のウクライナは通っていませんが、私が見ている冬景色と同じ風景の中で、福島はロシアを体感したはずです。
旧ソ連時代を挟んで130年を経た今日、ロシア軍はウクライナ軍事侵攻で数万件の戦争犯罪を摘発され、国際社会の「ならず者」に成り下がりました。無数の虐殺行為、民間軍事会社の無法ぶり、市民生活の破壊を狙ったインフラ攻撃など、21世紀の出来事とは思えない卑劣さです。他方、ろくな訓練も受けず装備もないまま前線に送られた部隊が、素手で塹壕を掘らされていたなど、お粗末な内情も伝えられています。
ウクライナで私が会った国内避難民の若い母親は、「私たちはひどい目に遭っているけれど、何のための戦争かも知らずに死んでいくロシアの兵士たち、息子を戦地に送り出さなければならない母親たちも本当にかわいそう」と話しました。プーチン大統領は自らが抱く時代錯誤の妄想を実現するために、ウクライナ市民や自国の若者たちの生命を奪い続けている……問題の本質は世界中がとっくに見抜いているのですが。
福島はユーラシア横断中、情報将校として冷徹な観察を欠かさない一方、ロシア軍の若手士官の誠実な態度に接して、「人の真心(まごころ)というものは、国家とか人種の垣根を越えて、すべて世界共通の唯一最大の宝物だ」と深い感慨を吐露しています。多難な単騎行を官民問わずロシアの多くの人々に支えられた福島にすれば、人は互いに理解し合い、助け合えるのだという思いは、偽らざる実感だったことでしょう。
今般のウクライナ危機もいつかは終わります。しかし、曲がりなりにも保たれてきた国際秩序と安全保障環境は激変し、欧米・日本など多くの国々にとって、ロシアはこの先長く関係修復不能な敵になりました。何らかの形で危機が去った時、福島が19世紀ロシアで確信した「世界共通の唯一最大の宝物」が21世紀の今、果たして戻って来るのか。ウクライナの冬空の下、私は楽観的な気分にはとてもなれません。
参考文献:島貫重節著『福島安正と単騎シベリヤ横断』(原書房)ほか
*日本外務省の海外安全情報(2023年1月現在)では、ウクライナは「レベル4:退避勧告」に該当しますが、AAR Japanは独自の情報収集に基づき、安全を確保して短期間入国することは可能と判断しました。AARは今後も万全の安全対策を講じながら、ウクライナ人道支援に取り組んでまいります。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。