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スタッフ日記[国際協力の現場から]

もし自分だったら…と思いながら被災者支援:パキスタン

2023年2月22日

2022年夏に発生したパキスタン大洪水。多くの被災者が、今なおその影響に苦しみ、AAR Japan[難民を助ける会]も、連日被災者支援を続けています。同年12月~23年1月には、被災地のハイバルパフトゥンハー州ノウシェラ郡で、家族に障がい者のいる430世帯に2回にわたって食料や寝具、衛生用品を配付しました。その時に出会ったある家族の様子を、イスラマバード事務所のシーマ・ファルークが報告します。

自転車の後の荷台には男の子とブルカを被った女性が載っている

三輪車で物資を受け取りに来たファヒーム・カーンさん。荷台に乗っているのはブルカを被った妻のジャミーラさんと長男のモヘイミン君(2023年1月19日)

自宅は2mも浸水 壁がボロボロに

ファヒーム・カーンさん(41歳)は、バイクを改造した三輪車で野菜の行商をして生計を立てています。一日の収入は約250ルピー(約150円)。これだけでは夫婦と息子3人、娘1人の6人家族が生活することはできません。そのため、妻のジャミーラさん(36)が市場で仕入れた靴下や櫛、アクセサリーなどを近所の女性たちに売って家計を助けています(この地域の慣習では、女性が遠くの市場や男性店主のいる店に行くことが難しいため、ジャミーラさんのような商売が成り立っています)。長男のアブドゥル・モヘイミン君(15)は、生まれつき知的障がいがあり、四肢も不自由なため、日常生活を送る上でジャミーラさんのサポートが欠かせません。

昨年8月の洪水時には自宅が2mほど浸水し、ファヒームさん一家は約1週間、親戚の家に避難しました。木と縄で作った「チャパイ」と呼ばれる簡易ベッド以外に家具を持っていなかったため、家財道具の被害はほとんどありませんでしたが、トイレやキッチンを含めた家全体の床や壁がひび割れ、もろくなってしまいました。修繕するお金がないため、安全上の不安を抱えながらも、そのまま住んでいます。

配付のマットレスでぐっすり

AARは昨年12月、ファヒームさん一家に小麦粉や豆など1カ月分の食料とマットレス、毛布、タオル、懐中電灯、衛生用品などを配りました。さらに今年1月にも、追加で2カ月分の食料を配りました。

ソファに座る親子の写真

自宅で「チャパイ」の上に座る(左から)ファーティマさん、ファヒーム・カーンさん、モヘイミン君(2023年1月23日)

AARが配付したマットレスと毛布は、モヘイミン君が使っています。「柔らかくて暖かいので、このマットレスの上だとぐっすり眠ってくれます。その間にいろいろな家事ができるのです」とジャミーラさん。配付した食料の中には、ミルクティーを作ることを想定した粉ミルクもありましたが、「お茶には入れず、娘のおやつにしています」とのこと。モヘイミン君の妹のファーティマさん(10)は、毎日少しずつ甘い粉ミルクをなめるのが好きで、一人娘の笑顔を見るとジャミーラさんも元気が出るとのことです。

「日本の人たちの幸せを祈っています」

「一日一日を生きていくので精いっぱいで、将来のことはあまり考えられません。私たちの大変な状況に共感し、支援をしてくれる日本の人たちに感謝し、神様に幸せを祈っています」とジャミーラさんは話してくれました。

女性から話を聞きながらメモを取るAARスタッフの写真

ジャミーラさん(右)にインタビューするシーマ・ファルーク(2023年1月19日)

この文章を書きながら、私は想像してみます。もし自分が不安定な日雇い労働者で、障がいのある子どもを含む6、7人の家族を養うのに精いっぱいな時、さらに災害に襲われて家財道具や家も失ったら……。

洪水から5カ月が経った今も、被災地では多くの人が、家もないまま、食事もままならないままに、寒空の下で必死に生きています。少しでも、被災者の苦しみを和らげ、彼らが将来のことを考えられるようにと願いながら、私たちは支援を続けています。

スタッフの集合写真

支援の現場で活躍するノウシェラ事務所のスタッフ(2023年1月23日)

シーマ・ファルークイスラマバード事務所

大学で、パキスタンの政治や歴史、地方自治を専攻。卒業後は、欧米に拠点を置く国際NGOでの勤務や、5年間講師として大学で教えるなどした後、2016年8月より、AARパキスタン事務所で勤務。夫と娘の三人暮らし

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