バングラデシュに累計100万人超
ミャンマー西部ラカイン州のイスラム少数民族ロヒンギャが2017年8月下旬以降、国軍による無差別の武力弾圧を逃れ、70数万人が難民として隣接するバングラデシュ南東部コックスバザール県に流入した出来事は、国際社会に大きな衝撃を与えました。「世界で最も迫害された少数民族」と呼ばれるロヒンギャ難民は、過去の流入と合わせて累計100万人以上が滞留していますが、ミャンマーへの帰還が遠のく中、今も過酷な避難生活を余儀なくされているだけでなく、国際社会から半ば忘れられつつあります。
大量流入のきっかけは、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が2017年8月25日、警察施設を一斉襲撃したことですが、国軍はARSA摘発を名目とした掃討作戦を発動し、イスラム教徒の集落を焼き払い、乳幼児や女性、高齢者を含む住民を無差別に殺害しました。弾圧の犠牲者は「控えめに見積もって1万人」(国連調査団)、「最初の1カ月間で少なくとも6700人」(国境なき医師団)、「2万4800人を殺害」(豪スウィンバーン工科大学)などと推計されます。女性に対する集団レイプも多発したとされ、国際社会でミャンマーへの非難が渦巻いたほか、ノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー国家顧問(当時)がこの事態に積極的に対応しなかったことも激しい批判を浴びました。
仏教国ミャンマーのイスラム集団
ロヒンギャとは、主にラカイン州北部で暮らしてきたベンガル系イスラム教徒が名乗る「民族名」です。同州内の推計人口100万人以上(2017年時点)に加え、中東・アジアのイスラム諸国や欧米諸国に移民・難民として拡散したディアスポラ(離散民)の側面もあり、、世界中で少なくとも200万人規模の集団と考えられます。日本でも群馬県館林市を中心に約300人が暮らしています。
ミャンマー政府と国民はロヒンギャをベンガル地方(現バングラデシュ)からの「不法移民集団」と見なして国籍を認めず、「ベンガリ」(ベンガル人)という蔑称で長年差別してきました。差別の要因としては、①宗教=仏教徒が9割を占める同国で絶対的少数派のイスラム教徒であること、②民族=ベンガル系で肌の色が浅黒く他の民族と見た目も違うこと、③言語=ベンガル語の方言を話してビルマ語の読み書きは上手ではないこと――が挙げられます。
しかし、背景には複雑な歴史的経緯があります。この地域にはイスラム教徒が数世紀前から居住していましたが、イスラム人口が急増したのは英国植民地時代の19~20世紀前半で、同じ英領インドからベンガル系移民が流入しました。第2次世界大戦後、ビルマ独立(1948年)直後の混乱期やバングラデシュ独立戦争(1971年)の際にも、国境を越えた移動が繰り返され、仏教徒住民と対立しながらイスラム集団が重層的に形成されたと言われます。
独立後間もない1950~60年代のビルマ社会では、ロヒンギャの存在は受容され、ロヒンギャ出身の閣僚や国会議員もいました。迫害に転じたのは1962年に登場したネウィン独裁政権の時代です。その後半世紀続く国軍支配の基盤を作った独裁者ネウィンは、中央集権的な「ビルマ式社会主義」を掲げて、外国資本やインド系・中国系住民の締め出し、少数民族の抑圧など強権政治を進めました。最も異質な存在であるロヒンギャは特に弾圧の対象となり、1978年に約22万人が初めてバングラデシュに流出しました。
1982年施行の改正国籍法は、135の土着民族を正規の「国民」と認定し、ロヒンギャはそこから外されて無国籍状態になります。1988年にネウィン政権が倒れた後、クーデターで成立した軍事政権の下でも抑圧が続き、1991~92年に約27万人が再びバングラデシュに流入しました。2011年のミャンマー民政移管後、過激な仏教徒集団によるイスラム排斥の動きが活発化し、2012年にラカイン州で両教徒の衝突が発生して、ロヒンギャを中心に約14万人が国内のキャンプに強制収容されました。この時期に生まれたロヒンギャの武装勢力が2016年10月に同州で警察襲撃事件を起こし、その報復として治安当局による人権侵害が加速して、2017年8月の事態へとエスカレートしていきました。
巨大難民キャンプの人道支援
コックスバザール県内には難民キャンプが10カ所余りに散在し、この地域で96万人余りが暮らしています(国連集計/2023年7月現在)。このうちクトゥパロン難民キャンプは約60万人が狭いエリアに密集する世界最大級のキャンプです。コックスバザールには過去に流入した難民や子孫が20万~30万人残留し、2017年に約74万人が加わって100万人規模に膨れ上がりましたが、公式には把握されずに周辺の町や村で暮らす流入者も少なくありません。
難民キャンプでは、国連機関や国際援助機関、地元と海外のNGOがバングラデシュ政府機関と協力して、食糧供給、保健・医療、教育など広範な人道支援活動を展開しています。AAR Japanは2017年11月に現地で活動を開始し、緊急支援物資配付のほか、水・衛生改善とプロテクション(権利保護)の2つの分野で支援事業を実施してきました。
水・衛生改善事業は、人間の生活に不可欠な給水とトイレ整備を中心とした取り組みとして、キャンプと周辺ホストコミュニティにトイレ450基、水浴び室226基、井戸92基を建設したほか、衛生啓発活動を実施。プロテクション事業では、子どものための活動施設チャイルド・フレンドリー・スぺース(CFS)、女性のためのウーマン・フレンドリー・スペース(WFS)2カ所ずつ計4施設を開設し、家庭内暴力や人身売買などのリスクを伝えるとともに、識字教室や手芸活動など少しでも安心して創造的に過ごせる機会を提供しました。
2023年以降は国際NGO「Terre des hommes」(本部スイス)と連携し、これら活動施設を女性と子どもだけでなく、従来支援が少なかった青年層を対象に加えた多目的施設として共同運営しています。若者が主導してさまざまな問題を解決する活動には、16~25歳の男女400人が参加し、児童婚の予防や女子教育、違法薬物の問題などをテーマにワークショップなどを開催して理解を深めています。
国際社会では2017年の事態の真相究明が進められ、国際司法裁判所(国連の司法機関)は2020年1月、ミャンマーに対して「ジェノサイド(集団殺害)につながる迫害行為の防止」を命じる暫定措置を決定しました。しかし、難民のミャンマー帰還は全く実現せず、2020年以降は新型コロナウイルス感染の影響で人道支援活動が停滞する中、バングラデシュ当局は同年12月、ベンガル湾のバシャンチャール島に建設した収容施設(10万人規模)への難民移送を開始しました(2024年時点で約3万人を移送)。
さらに、ミャンマー国軍による2021年2月の軍事クーデターと非常事態宣言発令で国内が混乱し、民主化の流れが完全に断たれたことで、ロヒンギャ難民の本国帰還はほぼ絶望的になりつつあります。ミャンマー国内の少数民族武装勢力が共闘し、一部地域で国軍が劣勢に追い込まれるなど、同国内は2024年現在、事実上の「内戦」とも言える状況に陥っています。ロヒンギャの居住地域であるラカイン州北部では、仏教徒の少数民族ラカイン(アラカン)人の武装勢力「アラカン軍」と国軍の戦闘が激化。焼き討ちや略奪が多発し、多くのロヒンギャがアラカン軍に殺害されていると言われます。他方、ロヒンギャはミャンマー国民と認められていないにも関わらず、劣勢にある国軍はロヒンギャを強制的に徴兵しており、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は「国軍とアラカン軍双方から迫害を受けている」と重大な懸念を表明しました。
キャンプの治安悪化に高まる不安感
当初は難民に同情的だったバングラデシュの国民感情は徐々に悪化し、キャンプ一帯では違法薬物や銃器の流通、殺人事件など犯罪集団が絡んだ治安悪化も問題になっています。キャンプの周辺には2019年以降、初期にはなかったフェンスや鉄条網が建設され、キャンプ内に武装警官隊駐屯所まで設けられました。これは硬化する国民世論を背景に、バングラデシュ当局にとって、難民が人道上の「保護」の対象から「警戒・監視」の対象に変わったことを意味します。
最近は難民のリーダーに対する恐喝や殺害、見せしめの放火、銃撃戦などの暴力行為がエスカレートし、難民たちの不安は高まる一方です。難民の苦境に追い打ちを掛けたのが、国連世界食糧計画(WFP)が資金不足を理由に2023 月、食料引換券(バウチャー)を一人当たり月額12 ドルから10 ドルに、6 月にはさらに8 ドルに大幅減額したこと。「子どもの栄養失調が深刻化しているだけでなく、食料をやり繰りするために児童労働や児童婚の強要、犯罪行為が増えることが懸念される」(WFP担当官)。
NGO関係者は「難民から絶望という言葉がしばしば聞かれるようになった」と話します。抑うつ症状や心的外傷後ストレス障害(PTSD)といったメンタル面の問題を抱えた難民も少なくありません。こうした状況に文字通り絶望して、一部では密航業者の手引きでインドネシアなどに渡航しようとする難民が後を絶ちません。しかし、同じイスラム教徒が大多数を占めるインドネシア側も相次ぐ密航者への対応に苦慮しており、2024年3月には同国スマトラ島北部のアチェ州沖で約150人が乗った漂流船が沈没し、多数が死亡する大惨事も起きました。
2022年2月に始まったロシアの軍事侵攻によるウクライナ人道危機を国際社会が注視する中、解決の糸口が見えないロヒンギャ問題への関心は急速に薄れています。自分たちが忘れられつつあること、支援が先細りしていることを難民たちは敏感に感じ取っています。事態のさらなる長期化は必至ですが、とりわけロヒンギャ難民の半数以上を占める子どもや若者たちが適正な教育や職業訓練を受けられず、「失われた世代」になるのは何としても防がなければなりません。
日本をはじめ国際社会がロヒンギャ難民の存在を忘れず、バングラデシュ政府と協調しながら地道な支援を続けていくことが今、改めて求められています。
<参考文献>
ISCG「Joint Response Plan for Rohingya Humanitarian Crisis」(2018~2021年)/「ISCG Situation Report」(2017~2021年)
根本敬『物語ビルマの歴史』中央公論新社
中坪央暁『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』めこん
中西嘉宏『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』中央公論新社
日下部尚徳・石川和雅編著『ロヒンギャ問題とは何か』明石書店
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ロヒンギャ難民100万人の衝撃(めこん、税込4,400円)元AARコックスバザール(バングラデシュ)駐在の中坪央暁による 日本初のロヒンギャ問題の専門書。多数のメディア・学術書で紹介・ 引用されています。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙の東南アジア特派員・東京本社編集デスクの後、国際協力機構(JICA)の派遣でアフリカ・アジアの紛争復興・平和構築を取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在を経て東京事務局勤務。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』ほか