特別インタビュー Interview

「ともにしあわせになるしあわせ」 神戸から発信 矢崎和彦さん(フェリシモ代表取締役社長)

2025年1月31日

矢崎和彦代表取締役社長の写真

ファッション・生活雑貨などオリジナル商品の通信販売を手掛ける株式会社フェリシモ(神戸市中央区)は、環境保護や女性・子ども支援、災害復興支援をはじめとする幅広い社会貢献活動でも知られます。阪神・淡路大震災(1995年)から30年、能登半島地震(2024年)から1年となったこの1月、矢崎和彦・代表取締役社長に同社が掲げる「ともにしあわせになるしあわせ」という価値観、全社的に社会貢献に取り組む意義、そして地元・神戸への思いを聞きました。

(聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2025年1月22日にインタビュー)


阪神大震災後の神戸に本社移転

――阪神大震災から1月17日で30年が経ちました。兵庫県西宮市内のご自宅で震災に遭われたと伺っていますが、当時を振り返って、今どんなことを思い出されますか。

矢崎さん 明け方に激しい衝撃で目覚めて、何が起きたのか分からず、なぜかジャンボ機が近所に墜落したのかと本気で思いました。幸い自宅は窓ガラスが割れた程度で、家族も無事でしたが、2階に上がると遠くで火の手が上がっているのが見えました。大阪にあった本社にたどり着いて驚いたのは、全国のお客様からフェリシモを心配する電話やファクスがたくさん届いていたことです。時間が経つにつれて、「神戸の方々のために役立てて」と現金書留を送ってこられたり、「お釣りは義援金に」と購入額以上の金額を振り込まれたりする方がどんどん増えていきました。

私はお見舞いや御礼の手紙を書きながら、フェリシモとお客様の関係性が単なるモノの売り買いを越えた次元に移っていることに気付き、心が震える思いでした。この時の経験は私自身の生き方、会社の在り方を変える大きな転機になったと思っています。被災地を間近で見ながら、息の長い支援が必要になると考えて呼び掛けた「毎月100円義援金」は、あっという間に数万人のお客様が賛同してくださって、今も災害支援のための「もっとずっときっと基金」として続いています。

阪神・淡路大震災追悼イベントの様子

あの日から30年――阪神・淡路大震災の追悼イベントで灯ろうに点火する参加者=神戸市中央区の東遊園地で2025年1月16日夕

――御社はちょうど大阪から神戸に本社を移転するタイミングだったそうですね。震災から間もない神戸に移ることに迷いはなかったのでしょうか。

矢崎さん かねて探していた新たな物流施設の用地と本社の移転先が神戸市内で見つかり、1995年2月に引っ越す準備を進めているところでした。その年の正月休みには、家族を連れて本社が入る旧居留地の高層ビルを見に行き、「ここに移るんだよ」と話したほど、まるで子どもみたいにワクワク楽しみにしていたんですよ。その2週間後に大震災が起きて、見慣れた神戸の街が一変し、人々の心に大きな傷跡を残したことは大変なショックでした。もちろん引っ越しどころではありません。それでも、神戸に行かないという選択肢は私にはありませんでした。

取引先の中には「大丈夫なのか」と本気で心配してくださる方もおられましたが、ある神戸の社長さんからは「神戸の中心である居留地にフェリシモが存在することは復興の象徴になります。ぜひ来てください」という手紙をいただいて。社内にも異論はなく、むしろ「やってやろう」という意気込みが感じられました。結局この年の9月に本社を移転し、須磨区に情報・物流拠点である「エスパスフェリシモ」を建設しました。神戸居留地は25年間いたほど気に入っていたのですが、事業拡大に伴い、2021年に神戸港を臨む現在の自社ビルに移りました。

阪神・淡路大震災当時の写真

阪神大震災の際、支援物資の自社製品を運ぶフェリシモ社員=1995年1月(同社撮影)

能登の被災地に「無水グッズ」提供

――昨年1月の能登半島地震に際して、当会は水の要らないドライシャンプーや体拭きウエットタオルなど製品のご提供、炊き出し資金の助成という形でお力添えいただきました。被災地で断水が続く中、無水グッズは福祉施設でとても喜ばれました。

矢崎さん 私たちは阪神大震災の時、お客様から助けられた、支えていただいたという思いがあります。全国どの地域にも当社のお客様や取引先がおられます。災害の種別や被害の大きさにもよりますが、30年前の経験を踏まえ、当社は何か起きた時は必ず対応するルールを設けています。能登の震災では、かねてお付き合いがあったAARさんにフェリシモ基金事務局から「何かできることはないですか」とご連絡し、被災地での速やかな支援につながって本当に良かったと思います。

AAR堀尾が物資を手渡す様子

能登半島地震で被災した福祉施設にフェリシモの衛生用品を届けるAAR職員(左)=石川県穴水町で2024年2月

さかのぼって2011年の東日本大震災の時は、発生翌日の土曜日に緊急会議を招集して対応を話し合い、まず被災地域のお客様にお見舞いのセーターなど、次いで避難所にも支援物資をお送りしました。「100円義援金」にも最終的に総額4億円超の善意をお寄せいただいたほか、神戸の企業15社が協力して支援物資を送るなどの取り組みを経て、緊急支援の時期が過ぎた段階で意識したのが被災地の経済的自立支援です。私自身、津波の被害を受けた宮城県仙台市の荒浜地区を3時間ほどひとりで歩き、阪神大震災と同じように、人々の幸せな日常と生活基盤が完全に失われてしまったことに胸が痛みました。

被災地にバイヤーを派遣し、東北各地の商品を集めて販売する「メイド・イン・東北プロジェクト」を5月に開始したほか、震災で仕事を失った女性に就労の機会を提供する「東北花咲かお母さんプロジェクト」として、例えばTシャツにリボンを縫い付けて付加価値を付ける仕事をお願いし、基金付き商品として販売したところ大ヒットして、基金で被災地にお花を植えることができました。また、その場限りの支援で終わらせたくなかったので、中長期的な視点に立って、100円義援金を活用する形で女性による産業復興を支援するプロジェクトを実施した経緯があり、能登の被災地でも同様のことができないか模索しています。

「しあわせな社会づくり」を実践

――全社的な社会貢献の核となる理念はどんなことでしょうか。

矢崎さん フェリシモが掲げるコアバリューは「ともにしあわせになるしあわせ」です。私が考える幸せには2種類あって、ひとつは「相対的幸福」、もうひとつは「絶対的幸福」なんですね。前者は勝ち負けに基づく他者との比較優位であって、ビジネスでも何でもそうですが、誰かと競い合ったり、相手を蹴落としたり、ひとりの勝者が幸福感を得るために多くの敗者を生みます。残念ながら、今の世の中は相対的幸福感に毒されているように思うのです。これに対して、後者は人と比べない「自分にとっての幸せ」です。誰かの犠牲の上に成り立つ幸せは本当の幸せとは言えません。

私たちは幸せを創り出すことも、それを誰かに贈ることも受け取ることもできるはずです。フェリシモの仕事は、社会に「しあわせ」の数を増やすこと、大人も子どもも自分が本当に好きなものを見付けて生きていける、そんな社会の「器」を創ることだと考えています。それを会社として実現するために、私はかねて「事業性」「独創性」「社会性」という経営方針を掲げてきました。企業が収益を上げて存続していくための「事業性」、ユニークな価値を創り出す「独創性」、そして社会に貢献していく「社会性」のバランスのとれた融合こそが、当社が目指す姿ということです。この3つは切っても切れない関係にあります。

たくさんのバングラデシュの子供と矢崎社長

バングラデシュの子どもたちに「ハッピートイズ」のぬいぐるみを届ける矢崎和彦社長=2012年7月(同社撮影)

企業の社会貢献というと「メセナ」「CSR」などがありますが、収益が上がった時だけどこかに寄付するのではなく、本業を通じてこそ持続的・継続的な貢献が可能になります。確固たる事業基盤の上に社会性を乗せる、あるいは売上と社会貢献をイコールにするという考え方です。例えば、当社にはボランティア休暇制度はありません。災害時のボランティア活動はとても有意義ですが、社員が社会性のある行動をしたいのであれば、仕事で実現してほしいのです。この経営方針を提唱した40年近く前は社会からは「何を言ってるんだ」という反応が多かったのですが、今では社員も「しあわせのために本気で働く」ことを理解し、お客様にも共感していただいていると思います。

基金活動の緩やかな広がり

――当会は災害支援に加え、タジキスタンの障がい者および家族のための縫製訓練事業、ウクライナ人道支援など海外の活動も応援していただいています。フェリシモには女性や子ども支援、自然・動物保護、災害復興、伝統文化の継承など実にさまざまな分野の「基金」がありますね。

矢崎さん 最初に創設したのは、「フェリシモ」に社名変更した翌年の1990年にスタートした「フェリシモの森基金」です。折から地球温暖化など環境問題への関心が高まっていた時期で、あまりに大き過ぎる課題に無力さを感じる一方、当社は環境を意識した生活雑貨ブランド「ウォールデンクラブ」を立ち上げていました。「緑と暮らす生活」をキャッチコピーとして苗木や鉢植えなどを販売する事業なのですが、担当者から「お客様と一緒に植林事業をやってはどうか」という提案があったんですね。

「面白い」と思ったものの、当初案は一口3,000円ほどのご寄付を募るというものでした。そこで私は「一口100円でなるべく多くの方に参加してもらおう」とアドバイスし、定期購入の商品価格に月々100円のご寄付をお願いする初めての「社会貢献型商品カタログ」を作りました。これは創業者である父が常々言っていた「一人のお客様からたくさん儲けさせてもらおうと思うな。1円でも10円でもいいから、たくさんの人に愛されなさい」という教えに従った判断でした。すると、大々的なキャンペーンを打った訳でもないのに、わずか1カ月間で2万人のお客様にご賛同いただいたのです。

「私たちひとり一人は微力だが無力ではない」ということを実感した出来事でした。この基金付き商品がベースになって生まれた「森基金」では、これまでに国内外43カ所で植林を実現し、高額の寄付ではなく無理なく続けていただける参加型の事業として、その後の展開のフォーマットになりました。もともと当社の商品カタログはお客様の声を反映した双方向型なので、ご意見を気軽にお寄せいただける関係性があり、さまざまな社会課題の中で「どんなことに基金を使いたいか」という声をお聞きするうちに、支援する分野が次々広がっていったという流れです。

AARタジキスタン事業に参加する縫製訓練生たち

「フェリシモ地球村の基金」の助成を受けてAARがタジキスタンで実施した縫製訓練の研修生。自分たちで仕立てた伝統的なドレスを着ている=2020年

これまでに「基金付き商品」「100円基金」などを通じて善意をお寄せいただいた賛同者は約230万人(実人数)、総額32億円以上に上ります。フェリシモのお客様は幅広い世代の女性が多く、仕事をしておられる方も専業主婦の方もおられます。それぞれ身近な問題から地球規模の課題まで、関心のある分野を選んで無理なく緩やかに参加していただいた結果、ここまで共感の輪が広がったのだと感謝しています。

1,000万人で未来を変える」プロジェクト

――当会のようなNGOをはじめ、さまざまな組織・団体との連携にあたって、どんなことを期待し、将来的にどのような関係構築を考えておられるでしょうか。

矢崎さん 当社には災害の被災地や紛争地に行って直接支援する仕組みはないので、現状では当社の基金から資金を提供し、自分たちではできない現場の支援活動に役立てていただいています。それはそれで良いのですが、次の段階を考えると、フェリシモが持つビジネス上のさまざまな機能、あるいは豊富なネットワークや情報を活用しながら、一緒にやれること、互いの思いを重ね合わせて実現できることは、もっとあるのではないでしょうか。

当社は昨年、「1,000万人で未来を変える」プロジェクトを打ち出しました。これは「新しい経済圏と社会システムづくり」を目指して、社員とお客様、ビジネスパートナー、さまざまな分野の専門家など、できるだけ多くの方々と「ひとつのチーム」として広くつながっていこうという大きな運動です。当社の商品を買ってもらわなくても構わないので、この呼び掛けに賛同される方にはWEB上でチームに参加していただきます。

その窓口となる「GO!PEACE!」キャンペーンでは、第一幕として環境保護、フェアトレード、病気や障がいがある子ども支援、名著復刊など、30の社会貢献プロジェクト、69の商品・基金を紹介しています。今後10年かけて、個人の方だけでなく、協賛企業1万社、各分野の専門家1万人に参加していただき、1,000万人と緩やかにつながっておいて、何かあった時にはすぐ連携できる体制を目指します。これが誰もが「しあわせ」を実感できる社会づくりへの第一歩になることを期待しています。

フェリシモ本社周辺の写真

「神戸港震災メモリアルパーク」からフェリシモ本社を望む(対岸左奥の白いビル)=2025年1月17日

大好きな神戸に貢献し続けたい

――神戸のランドマーク「神戸ポートタワー」が昨春リニューアルされた際、御社がプロデュースと運営を手掛けられたとか。地元・神戸への深い愛情を感じます。

矢崎さん 神戸、大好きですね。ポートタワーの件は本業ではないけれど、2025年は当社の創業60周年という記念の年でもあり、社員の熱意に押されて取り組むことになりました。プレゼン資料を数カ月かけて準備する過程で、改めて神戸を客観・主観の両方から見直して、つくづく面白い街だなと。明治時代に国際的な輸入港として映画、ジャズ、ゴルフなど「日本初」と言われる多様な文化を受け入れ、海と山にはさまれた独特の地形や歴史の積み重ねの中で、豊かな生活文化を醸成してきた街だと思っています。

その豊かさは、世界遺産の寺社が建ち並ぶ京都や奈良のように「目に見える」ものではなく、実際に住んでみないと分からないので、それだけ奥が深いと言えます。生まれ育った大阪が嫌なわけじゃないけれど(笑)、神戸は小学生の頃、家族で遊びに来た時に見た光景が忘れられず、いつかここで仕事をしたいと憧れていた街なんですよ。私自身にもフェリシモの社風にも、神戸はとても合っていると感じます。

大震災から奇跡の復興を遂げた神戸には、まだまだ発信できる魅力があります。神戸をもっと面白くするために、貢献し続けていきたいですね。

フェリシモの基金活動についてはこちら

ひとこと フェリシモ「FELISSIMO」とは、ラテン語を語源とする「至福=FELICITY」と強調の接尾語「SSIMO」を組み合わせた造語で、その意味するところは「最大級で最上級のしあわせ」。日本社会はモノや情報があふれながら幸福感が薄く、子どもの精神的幸福度に至っては先進38カ国中37位に沈む。「しあわせな社会づくり」を本気で語る経営者と企業が、他のどこでもなく神戸に存在する意味は、この街で暮らしていると何となく分かる。

中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当(神戸駐在)

全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を取材。2017年AAR入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。2022年以降、ウクライナ危機の現地取材と情報発信を続ける。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』ほか。

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