特別インタビュー Interview

アフガニスタンの人々を見捨てない 酒井 啓子さん (千葉大学教授)

2021年10月5日

アフガニスタンで8月15日にガニ政権が崩壊し、イスラム主義勢力タリバンが実権を掌握して以降、政情不安と治安悪化による人道危機が続く。駐留外国軍部隊の完全撤退に伴い、外国政府・機関のアフガニスタン人職員の多くが抑圧を恐れて国外退避したが、日本の現地協力者は取り残されたままになっている。
20年におよぶ復興支援の総括、タリバン支配に戻ったアフガニスタンの行方、国際社会による人道・開発支援の在り方について、中東・イスラム研究で知られる酒井啓子・千葉大学教授(国際政治学)に伺った。

(聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2021年9月27日にインタビュー)


この20年は何だったのか

――9.11米国同時多発テロ事件(2001年)に端を発した米軍主体の多国籍軍のアフガニスタン駐留が終了し、かつて同国を支配したタリバンが復権しました。国際社会が対テロ戦争の一環として民主国家の確立を目指した20年間をどう総括しますか。

酒井氏 米国主導のアフガニスタン介入がうまくいかないのは、2001年の当初から分かっていたことです。外国勢力が軍事力で他国の政権を転覆し、新たな政権をつくって民主化を押し付けても決して定着しません。

アフガニスタン撤退はバイデン現政権の下で実行されましたが、撤退を決めたのはトランプ前政権(2017~21年)時代であり、対テロ戦争を始めたブッシュ政権(2001~09年)の後半からオバマ政権(2009~17年)の頃には、アフガニスタンへの関与がにっちもさっちも行かないのは、すでに明らかになっていました。誰もが分かっていながら、20年目の今まで続けてきたということにすぎません。

今回の撤退が失敗だったかどうかの評価は視点によって異なります。米国では国民の多くが米軍兵士の犠牲や軍事費の負担が大きすぎると感じており、国内世論は撤退の流れが確定していたので、国益だけを考えれば後先顧みずに撤退するのが正しかったということになります。

しかし、国際社会としては軍事力で当時のタリバン政権を倒した以上、米国をはじめとする関係国が復興の責任を負うべきであり、破綻国家を再建して支えるのは当然の義務と考えられています。それを果たせずに撤退したとなると、この20年は大失敗だったと言うしかありません。

他方でアフガニスタン国内に目を向けると、多くの人々にとって地場に最も根付いた勢力は、結局のところタリバンしかいなかったのです。地方の軍閥、あるいは米国が後押しした政権は民主化を実現するための意識改革ができず、腐敗・汚職が蔓延して国民の失望を招きました。

どうやらこの国を担えるのはタリバンだけだということが分かってきて、関係国による交渉はここ数年、いかにタリバンを引き込むかが焦点になっていました。タリバン抜きの国家建設はあり得ず、タリバンと融合してソフトランディングを図ることが最も重要でしたが、カルザイ、ガニ両政権も米国もその努力をしてきませんでした。

政権崩壊後の混乱を恐れて避難した女性たち

タリバン支配の不透明感

――タリバンは前政権の関係者や政府軍兵士・警察官、外国政府の協力者に報復せず、女性の権利も保障するとして、国際協調を重視したソフト路線を打ち出す半面、犯罪容疑者の遺体を街中に吊るすような行為は、かつての恐怖政治を想起させます。加えて、国内に浸透したIS(イスラム国)がタリバンを攻撃するなど不安定要因が増していますが、タリバン支配下のアフガニスタンは今後どうなっていくのでしょうか。

酒井氏 現時点ではまだ何とも判断できません。現地のパシュトー語で「神学生」を意味するタリバンは、いくつもの潮流を内包した自分たちの総称で、さまざまな側面があります。その発祥は旧ソ連軍撤退後の1990年代前半、内戦の混乱を収拾して、疲弊した人々の心にイスラム教のモラルをもたらし、社会を救済しようとする地道な宗教運動でした。

やがて勢力を拡大して政治権力を掌握するに至り、彼ら自身の信仰やイスラムの理念を反映した国家建設を目指しますが、その実現のための武力面でのサポートとして、国際テロ組織アルカイダの義勇兵を受け入れた経緯があります。

目下の問題は、復権したタリバンが20年前と同じなのか、変わったのかが分からないことです。タリバンの報道官は「女性の教育や就労を認める」と表明したり、少数民族などマイノリティを容認したり、周辺諸国との関係に配慮したりと、国際社会を意識した融和路線を強調しています。

かつての余りに厳格すぎたタリバンとは違って、より進歩的な「タリバン2.0」とも呼ばれる新しいタリバン像をアピールしているようです。また、中東カタールに政治活動の拠点を置いて関係国と交渉するなど、以前のような単なるアフガニスタンの地場勢力ではなく、よりグローバル化した存在であることを示したいのでしょう。

しかし、もともと緩やかなネットワークであるタリバンは、全体が統制された組織ではなく、仮に指導部が穏健な方針を掲げたとしても、末端の兵士たちは違う考え方を持っているかも知れません。

従って、メディアに向かって報道官がいくら発言したところで、それが果たして統治に反映されるのか、本当に大丈夫なのか、未だに全体像が見えないことに不安を感じます。とりわけ「イスラムの教えの範囲で」という条件付きの女性の権利がどこまで保障されるのか、新体制の施政を慎重に見極める必要があります。

各国政府はタリバン政権を承認するかどうか、現時点では判断しかねていて、しばらくは様子見の状況が続くでしょう。一方で女性の権利やマイノリティの扱いに関する政策は、あくまで内政問題であって、内政不干渉の原則に立つと国際社会がどこまで関与できるか限界もあります。

それでも関係を断ってしまっては交渉さえできなくなるので、外交関係を維持しつつ、さまざまな要求をタリバン側に突き付けるという難しい対応が求められます。

タリバンが抑圧的かどうかという問題以上に懸念されるのが、ここ3~4年、アフガニスタンで活動を活発化させてきたISの存在です。タリバンはISなど過激なジハード勢力を制圧するだけの武力を持っておらず、タリバンが穏健な統治を目指したとしても、妥協をいっさい認めない過激派がそれを妨害しようとテロを繰り返す恐れがあります。

イラクとシリアで活動するISは2015年頃をピークに退潮していますが、彼らはマグレブ(アフリカ北西部)からホラサン(イラン・アフガニスタン・パキスタンにまたがる地域)までを「イスラム国」の領土とする野望を抱いています。権力の空白が生じた紛争地域に紛れ込んで拠点化するのがISの一貫した戦略であり、アフガニスタンはまさに格好の標的なのです。

混乱を逃れた国内避難民が暮らすテント群

アフガニスタンとイラクの違い

――酒井先生はイスラム諸国の中でもイラクがご専門です。バイデン政権はアフガニスタン撤退に続いて、イラク駐留米軍の戦闘任務の年内終了を表明していますが、いずれも対テロ戦争の文脈で旧政権を倒したアフガニスタンとイラクの違いは何でしょうか。

酒井氏 米国は2001年にアフガニスタンのタリバン政権、2003年にイラクのフセイン政権を軍事力で打倒し、自らが後押しする政権をそれぞれ樹立した構図は同じですが、アフガニスタンでは混乱の末にタリバンが復権したのに対し、イラクでは米国が主導した政権が続いています。この違いは隣国イランによるものです。

イランはイラクで伸長したISの撃退に軍事面で協力し、フセイン政権を支えたバース党の復権も阻止しました。外形的にはイラクの後見役は米国のように見えますが、シーア派の大国イランがイラクを2003年以前の反シーア派の体制に回帰させたくない一心で、資金面・軍事面でテコ入れしてきたというのが実態です。

かつてイランに亡命していた政治家が2003年以降のイラク政府の中枢を占めているほか、イラク軍が2017年に北部の要衝モスルをISから奪還した際は、イラン革命防衛隊が軍事訓練した民兵や義勇兵が大きな役割を果たしました。モスルの激戦では防衛隊が前線で戦闘を指揮したと言われています。

イラク駐留米軍の任務は来年以降、イラク軍の訓練や援助だけになりますが、イラクの実権はすでに親イラン派に移っており、軍事プレゼンスを含む米国の影響力がこの先縮小しても、イランがイラクを支えていくでしょう。

それに対して、アフガニスタンは米軍撤退後に代わって介入しようとする周辺国が存在しません。タリバンと関係が深いパキスタンが間接的に関与する可能性はあるにせよ、域内の大国が空白を埋めるメカニズムは機能していないのですね。

アフガニスタンとイラクに共通するのは、米軍が軍事訓練や武器供与を通じて政府軍の育成を図ったものの、結局は形を整えたにすぎず、祖国防衛の意識を兵士たちに叩き込むことができなかったという点です。兵士の士気が必ずしも低いわけではないのは、イラン革命防衛隊がイラク人義勇兵を指揮し、奮起させたことを見れば分かります。

日本の協力者・元留学生の退避を

――欧米諸国は8月中旬以降、自国に協力してきた多数のアフガニスタン人とその家族を国外に退避させ、韓国も撤収作戦に成功しています。しかし、日本政府が派遣した自衛隊機は日本大使館や国際協力機構(JICA)、NGOの現地職員など約500人の退避希望者を救出できず、NGO職員は家族帯同も認められませんでした。

酒井氏 それぞれの撤退時の状況について正確な情報がないので、他国と比べて日本がどうだったかは分かりません。とはいえ、米国政府が今年4月に「20年におよぶ米国史上最長の戦争の終結」を謳って、9月11日までの完全撤退を表明した時点で、それを見込んだタリバンの地方制圧が特に6月頃から加速しており、軍事状況を見れば首都カブールが奪還されるのは明らかでした。

アフガニスタンに軍事プレゼンスがあるNATO(北大西洋条約機構)加盟国などは、自国民と現地協力者の撤収を早い時期から想定しており、そういう点で日本の対応は遅かったかも知れません。

理由のひとつは、日本のアフガニスタンへの関与が欧米諸国と比べてやや薄く、そもそも現地駐在の日本人がそれほど多くなかったこと。もうひとつは自衛隊機の海外派遣をめぐるさまざまな制約があって、他国のように即応できなかったことがあると思います。

付け加えると、日本は軍事的な関与をしておらず、良くも悪くもアフガニスタンの政治に首を突っ込んでいないので、「タリバンの怒りを買うことはないだろう」「日本に協力した現地職員が狙われることはないだろう」、あるいは「政権が変わっても温かい目で見てもらえるはずだ」という希望的観測や過信があったのではないでしょうか。

治安情勢に不安がある中、日本はこれまで現地で極力目立たないようにロープロファイルで活動してきました。米国などと比べて確かに好意的に見てもらえる面もあるでしょうし、日本の官民が非軍事の貢献をアピールしてきたことは評価できると思います。とはいえ、現地では必ずしも日本人が期待するように受け止めてくれるとは限らないのです。

日本は2003年以降、JICAの人材育成事業などを通じて、アフガニスタンから約1,400人の留学生を国公立・私立大学の主に大学院レベルで受け入れてきました。

保健・医療や教育、行政、エンジニアリングなど幅広い分野で、日本の高度な知識と先端技術を身に付けた彼らは、帰国後に政府の主要官庁で局長級・部長級ポストに就いたり、大学の教授・准教授になったりして、アフガニスタンの復興に多大な貢献をしています。

地雷の危険性を子どもたちに伝える回避教育

しかし、タリバンが再び実権を握った今、腐敗した前政権で働いていたこと、米国と連携する日本に留学していたこと、あるいはリベラルで親西欧的な思考・行動様式を身に付けていることで、元留学生たちは迫害の対象となったり、職場を追われたりする危険にさらされています。

彼らは縁故採用で前政権に取り立てられたわけではなく、熱意を持った優秀な人材ばかりですが、そういうことは理解されません。日本大使館やJICA事務所、日本のNGOで働いていた現地職員も同様でしょう。

こうした現地の関係者の多くが日本への退避を希望しており、実際に留学先の大学や指導教官に支援要請や問い合わせが8月以降相次いでいます。「先生、ごめんなさい。私は先生方から学んだ平和と発展の手法を自国に植え付けることに失敗しました」というメッセージを送ってきた卒業生もいます。

私たち大学関係の有志はAAR JapanなどNGOとともに、日本政府に対して元留学生や現地協力者が家族と一緒に国外に退避するのを支援し、日本にスムーズに入国させる措置を講じるように要請する共同声明を提出しました。

本人だけでなく家族を帯同しないと、残された家族が人質になる危険性があるだけでなく、イスラム社会では家族を残して自分ひとりが救済を求めるのは、倫理的に許されない非難されるべき行為とされています。彼らはいわゆる高度専門職業人であり、家族とともに在留が認められれば、自ら生計を立てながら日本社会に貢献することができるでしょう。

日本と日本人を信頼し、日本以外に退避先がないアフガニスタンの関係者に対して速やかにビザを発給するとともに、何らかの方法で出国できるようにサポートすることを強く求めます。

アフガニスタンをはじめ紛争経験国の留学生たちは、第二次世界大戦後の焼け野原から立ち上がり、非欧米系でありながら世界有数の経済大国に発展した日本に強い関心を持ち、その高度な教育水準を母国にも投影できるのではないかという希望をもって、日本で学んでいます。

日本に好印象を抱いてくれる人々を失望させたり、これまで築き上げてきた良好な両国関係を損ねたりすることがあってはならないと考えます。

ヒンドゥークシュ山脈に抱かれた首都カブール(2008年撮影)

人道支援を途切れさせないこと

――現地では新たに数十万人規模の国内避難民が発生し、深刻な食料不足も伝えられています。AARは約20年前からアフガニスタンで地雷回避教育や障がい者支援などに取り組み、今も現地協力団体を通じて地雷除去活動を続けていますが、8月以降は思うような人道支援ができていません。今まず何が必要でしょうか。

酒井氏 タリバンも国際社会に人道支援の継続を求めており、海外からの援助がなければアフガニスタンが立ち行かないのは明らかです。他方で新体制がどこまで国連やNGOの活動を受け入れるのか、タリバン指導部が認めても末端まで指示が徹底するのか、現時点では不確定要素がたくさんあります。また、支援継続に当たっては、かつてのように援助が政府高官のポケットを潤すことがないようモニタリング制度の導入も不可欠です。

AARの現地協力団体THE HALO TRUST(英国に本部を置くNGO)による地雷除去作業=THE HALO TRUST提供

日本が今すぐに取り組むべきなのは、前述した通り退避希望者へのビザ発給の条件を緩和し、安全な退避と日本への入国を保証することです。理想としては、日本留学経験者や現地協力者が引き続き国家再建に力を尽くせるように、タリバン側に担保させるのがベストですが、現実問題として現地に残ることが難しいのであれば、とりあえず日本に受け入れるしかありません。

それ以外にも生命の危機に直面して退避を求める多くの人々、強制結婚や性暴力などの被害にさらされる女性たちを見捨てることなく、国境を越えてアサイラム(避難先)を提供できるように、国連機関と連携してサポートする必要があります。

ここで留意すべきは、人々が逃げ出すのを促しているような印象を与えると、タリバンを孤立させ、ますます過激な方向に追いやることになるので、あくまでアフガニスタンをバックアップしているのだというメッセージを伝えなければなりません。

もうひとつは、日本外務省はNGOなどの日本人がアフガニスタン国内で活動するのを認めないでしょうから、例えば国連機関や現地NGOなどへの資金の拠出・提供を通じて、国内避難民に対する食料配付や医療サービスなど緊急支援を実施することが急がれます。

人道支援を途切れさせてはなりません。その後、状況がある程度落ち着いた段階で、特に開発が遅れた地方社会の復興支援事業を早期に立ち上げる必要もあります。

私たちにとって他人事ではない

――最後に日本で暮らす私たちに何ができるのか、お考えをお聞かせください。

酒井氏 アフガニスタンに限らず紛争経験国の人々と話すと、「まず何が起きているかを知ってほしい。私たちがなぜ、こんな大変な目に遭っているのかを正しく理解してほしい」と言われるんですね。

紛争で被害を受けた人々、あるいは難民・国内避難民について「かわいそう」というレベルの理解に留まってしまうのは、かえって危険であり、もっと問題の根本まで考える必要があります。

アフガニスタンについて言えば、タリバンの復権をもたらしたのは前政権の腐敗であり、それを生んだのは米国をはじめとする国際社会です。その前には2001年以降の対テロ戦争があって、20世紀後半の歴史的背景として東西冷戦や旧ソ連軍の侵攻がありました。

そういう意味で、アフガニスタンの今日の苦境は国際政治の大きなうねりの中にあると言えます。そしてもちろん、9.11発生直後に米国の軍事行動を全面的に支持すると表明した日本は、アフガニスタンでの戦争、政権転覆、復興の失敗といった国際社会が行ってきたことと無関係ではありません。

それをきちんと認識しないと、「自分には何の関係もないけれど、かわいそうだから助けてあげる」という発想で終わってしまい、そのような援助は長続きしません。

日本も深く関与してきた国際政治のツケを、現地の人々が払わされているのだと考えれば、決して他人事ではないことが理解できるはずです。私たちは今日のアフガニスタンの問題を、もっと自分のこととして受け止める必要があると思っています。

ひとこと タリバンが去った20年前のカブールで、ブルカを脱ぎ捨てた若い女性たちに会った時のことを思い出す。真っ暗な小部屋の格子窓越しに外界を覗くような息苦しさから解放され、彼女たちは生き生きと美しかったが、女性抑圧の象徴とされるブルカは「ならず者に顔を見られないための慣習」とする説明もあった。その真偽のほどは知らないが、タリバン=絶対悪という固定観念だけでは理解できない何かがあるように思う。(N)

中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局

全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の平和構築事業に従事。東ティモール独立、アフガニスタン紛争のほか、南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争・難民問題を長期取材。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。 (記事掲載時のプロフィールです)

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