アフガニスタンでイスラム主義勢力タリバンが再び政権を握ってから8月15日で2年。AAR Japan[難民を助ける会]は現地で地雷除去や地雷回避教育、食料配付などを続けているほか、日本国内では来日アフガニスタン難民女性を支援するために「手芸体験教室」を開催しています。その過程で出会った、アフガニスタンの女性たちの「今の思い」を東京事務所の太田阿利佐がご紹介します。
「アフガニスタン手芸教室」では、難民女性を講師に招き、伝統的な刺繍や編み物を習います。地域住民との交流や将来的な収入確保を目標に、これまでに2回、栃木県小山市と千葉市で試験的に開催しました。
日本では私は自由
講師候補のある若いアフガニスタン女性は、こう語りました。
「日本に来られて私はとても幸せ。ここでは女性も人間として尊重され、人間としてのすべての権利を持つことができます。ここでは私は自由です」。その表情は本当に晴れ晴れとしていました。でも、それは一瞬のことでした。
「ニュースを聞くたびに、毎日タリバンがアフガニスタンの女性たちに新たな制限を加えていることを知ります。とても悲しくなり、心配になります」
全てを捨てて避難
タリバンの復権を受け、日本政府は2022年、日本大使館で勤務していたアフガニスタン人の職員やその家族ら147人を難民と認定しました。2023年7月には国際協力機構(JICA)の現地スタッフらを中心に114人を同様に難民に認定しました。その他の在日アフガニスタン人についても、一定の条件のもとに日本在留の延長を認めています。
やや年配の別の女性は「タリバンが政権を握ってから、毎日のように『外国人と働く者は殺せ』という放送が流れていました。実際にすぐ近所で、ドイツ人と働いていた人が殺され、門のところにさらされていました。夫は日本人と20年以上仕事をしてきました。家族の安全のため、それまで築き上げた生活や家のすべてを捨てて逃げなければなりませんでした。もう帰国は考えられません。日本大使館のお陰で日本に来ることができて本当によかった」と話します。
仕事と日本語 解決難しく
しかし「今、困っていることは」と尋ねると、堰を切ったように続けました。「夫は年配ですし、日本語の問題があり、日本に来た家族全員(8人)を養う仕事を見つけることができないでいます。20歳前後の子どもたちは、アフガニスタンで高校を卒業していますが、日本語の問題で大学に行けず、アルバイト以外は何もできないでいます。家賃、電気代、水道代、健康保険料、そして税金……お金はまるで足りない。不安な日々です」
多くのアフガニスタン人が、祖国に親戚や家族を残してきています。彼女も、祖国で暮らす娘や孫たちをひどく心配しています。別の女性は「我が家は子どもが6人おり、やはり生活が大変です。でも両親がアフガニスタンに残っているので、わずかですがお金を送っています。アフガニスタンでは今、多くの人が失業し、貧困に陥る人が急増しています。日本にいる私たちだけが安全で、いたたまれない」と言葉を詰まらせます。
精神的に不安定になる人も
こうした困難に、日本語が分からないことによる不便さや孤独感が加わります。「具合が悪くてクリニックに行ったら、日本語がたくさん書かれた紙を渡され、記入するように言われました。結局、診察を受けられませんでした」と語った人も。様々な要因があるでしょうが、中には精神的に不安定になる人も出てきていると言います。
AARが企画する「手芸教室」は、刺繍など難民女性の特技を生かして地域の方々と接点を持ち、困ったことがあったり、災害があったりした時に助け合えるネットワークを築くことを目指しています。参加費は講師への謝礼となります。栃木県小山市と千葉市にて本格的に開催予定で、近く参加者募集を始めます。
AARは、アフガニスタン国内での地雷除去、地雷回避教育にも引き続き力を入れています。また今年度は、干ばつや経済環境の悪化、紛争によるアフガニスタン国内の避難民で、障がい者がいたり女性が世帯主だったりする困窮世帯を中心に、総計約1万人に食料、生活必需品を届ける計画です。
アフガニスタンの人々の苦境は続いています。今後ともAARのアフガニスタン支援活動へのご理解・ご支援をお願い申し上げます。
太田 阿利佐Ota Arisa東京事務局
全国紙記者を経て、2022年6月からAAR東京事務局で広報業務を担当。