アフリカ大陸には54の国があります(日本政府が承認していない「サハラ・アラブ民主共和国」を含めると55ヵ国)。ではこのうち、「対人地雷禁止条約(通称オタワ条約)」にまだ参加していない国は、何ヵ国だと思いますか? 実は、エジプト、リビア、モロッコの3ヵ国だけで、他の国はすべてオタワ条約締約国です。それは素晴らしいことではありますが、地雷問題の現状はというと、非常に厳しいと言わざるを得ません。アフリカにおける地雷問題の現状と、地雷がアフリカの開発に及ぼす影響を、AARの地雷対策担当の紺野誠二が報告します。
対人地雷禁止条約の規定履行を阻むもの
アフリカでは、16の国と地域に地雷が埋設されており、そのうちアンゴラ、チャド、西サハラは国内で地雷が埋設されていると推測される面積が100km2を超えるほど、汚染が広がっています。
オタワ条約に加入すると、様々な義務が生じます。例えば第1条では、締約国に対して一般的な義務として対人地雷の使用、開発、生産、取得、貯蔵等やすべての対人地雷の廃棄を求めています。これを実際に行うのは容易ではありません。中でも履行が難しいと思われるもののひとつが、第5条に定められた、「地雷敷設地域における対人地雷の廃棄」です。条約加入国は、自国の管理・管轄下の地雷敷設地域におけるすべての対人地雷を10年以内に廃棄すること、それが完了するまでの間、一般市民が地雷の被害に遭わないよう保護することが求められています(定められた条件のもと、最長10年間の期限延長が可能)。(条約全文はこちら(PDF))
これを実行するには、まずどこに地雷が埋まっているのかを特定する必要がありますが、これだけでも容易なことではありません。
理由のひとつとして、紛争が多発していたことでアフリカ16ヵ国に地雷汚染が広がっていることに加え、継続中の紛争も多いことが挙げられます。紛争が続いていれば、新たな地雷や即席爆発装置(IED)が日々使用され、不発弾も増え続けます。例えばソマリアは30年にわたり内戦が続いていますし、20年以上の内戦の末に2011年に独立した南スーダン共和国は、2013年に再び紛争が勃発し、今も継続中です。コンゴ民主共和国で1996年から続いている紛争は、600万人を超える犠牲者を生み、「忘れられた世界最大の紛争」とも言われています。
また、地雷原の特定にはきわめて特殊で専門的な調査が必要となり、その専門家の派遣費用や資機材費だけでも高額です。アフリカ54ヵ国のうち、実に33ヵ国が後発開発途上国とされており、地雷対策を実行するのは非常に大きな経済的負担となります。
その他にも様々な要因が考えられ、条約には加入したものの、その義務の履行には課題が多いのが実情です。
モザンビークの成功体験
厳しい現実がある一方、世界有数の地雷汚染国から、地雷ゼロの宣言をするまでの成果を挙げた国もあります。それはモザンビークです。モザンビークでは2001年に2,000人を超える地雷被害者が報告されていましたが、2015年12月のオタワ条約締約国会議の席上、公式に、第5条で規定されている地雷敷設地域における対人地雷の廃棄が完了したことを宣言しました。残念ながらその後、2016年に2名、2017年に7名の被害者が報告されてしまいましたが、大幅に被害を減らすまでには長い道のりがありました。
モザンビークにおける地雷埋設の歴史は、1964年の独立戦争にさかのぼります。74年に独立を果たすものの、1977年に内戦に突入、包括和平協定が締結される1992年まで地雷は使用されていました。それにより世界有数の地雷汚染国となりましたが、紛争終結後、23年余りで廃棄完了宣言を出すまでに実績を上げました。なぜそのようなことが可能になったのでしょうか。
第一に考えられるのは、強い政治的意思があったことです。内戦終結から3年経った1995年10月24日、当時のシサノ大統領が当時のブトロス・ガリ国連事務総長との会談で、「地雷禁止に関してモザンビークは国際社会をけん引する役割を果たしていく」との力強い意思表示を行っています。事実、モザンビークは対人地雷禁止条約を1997年12月3日に署名、1998年8月25日に批准、1999年3月1日に締約国となっています。
第二に考えられるのが、国際社会からの多額の支援です。モザンビークの政治的意思があってこそではありますが、『ランドマイン報告書』の1999年版から2018年版までの支援額を手元で集計した限りでは、3億1,500万ドル以上の国際支援が寄せられています。だからこその成果と言えます。
第三に、言うまでもないことですが、内戦終結後は新紛争が発生せず、新たな地雷が埋設されなかったためです。地雷除去にはとてつもなく時間がかかりますが、地道に、活動すれば安全な土地は確実に広がっていきます。
今年4月、モザンビークをサイクロン・イダイが直撃し、同国は大きな被害を受けました。もしこの時、地雷が残ったままであれば、洪水によって対人地雷はあちこちに流出してしまい、新たな被害の発生につながったり、除去作業のために災害復興が遅れるといった影響もあったことでしょう。
第二のモザンビークを目指して
オタワ条約第5条の地雷敷設地域における対人地雷の廃棄作業が完了した締約国は29ヵ国あり、アフリカではモザンビークのほか、ブルンジ、コンゴ共和国、ジブチ、ガンビア、ギニアビサウ、マラウィ、ルワンダ、チュニジア、ウガンダ、ザンビアが完了しています。
それに続こうとしている国のひとつが、アンゴラです。
アンゴラはアフリカ南部に位置し、日本の約3.3倍の面積で人口は約2,881万人。石油やダイヤモンドといった鉱物資源が採掘されており、経済発展の大きなポテンシャルを秘めた国です。また、アンゴラには多くの自然が残されており、生物多様性が維持されている場所もあります。
1975年から2002年までの長期にわたって内戦が続きました。内戦中の1997年12月4日にオタワ条約に署名、2002年4月に停戦合意があり、7月5日に条約を批准、2003年1月には締約国となっています。アンゴラでは60,000人とも88,000人ともいわれる人々が地雷や不発弾により死傷しています。しかしながら、現在は除去活動が随分と進み、2017年の被害者数は43人(25人死亡、18人負傷)となっています。
AARは隣国ザンビアで20年にわたりアンゴラ難民支援を行い、内戦が終結してからは、地雷の多く残った母国に帰還する人々に向けて地雷回避教育を行いました。2004年からはアンゴラ国内でも地雷回避教育を実施し、2011年に活動を終了するまでに、のべ約5万6千人に地雷の危険から身を守る方法を伝えました。また住民が発見した地雷や不発弾の情報を除去団体に提供し、除去活動の促進も担いました。
アンゴラでは2018年4月の時点で、対人地雷に汚染されている場所が全土の18州で999ヵ所合計で89,303,516㎡(9,450メートル四方)あります。対人地雷に汚染されている疑いのある場所が221ヵ所合計で58,628,040㎡(7,525平方メートル四方)あります。こう考えると気が遠くなりますが、アンゴラでは国内の4つの機関と3つの国際NGOが活動していますので、十分な資金さえあれば、時間はかかるものの除去することは十分可能でしょう。
アンゴラから地雷や不発弾の脅威がなくなれば、それは地雷や不発弾に苦しむ多くの国にとっての希望となることは間違いありません。「アンゴラにできたのだから、わが国でも地雷ゼロを達成できるはずだ」という大きな励みになるでしょう。特にアフリカの国々にとってみれば、アンゴラが安定し、地雷除去が進むことにより、経済発展を遂げる姿を目撃することになります。実際、2017年2月には日本政府とアンゴラ政府はアンゴラ南部の拠点港「ナミベ港改修計画」に21億3,600万円の無償資金協力の贈与契約を結んでおり、これから本格的に改修が行われています。但し、そのナミベ州にも、周辺の州にも地雷に汚染されている地域があり、人々の生活に影響が出ている、と関係者は教えてくれました。できる限り早い除去活動がなされれば物流も大きく改善するものと思われます。南部アフリカの経済開発のためにも、地雷除去が求められています。
2019年8月28日から30日まで、横浜で第7回アフリカ開発会議(7th Tokyo International Conference on African Development:TICAD 7)が開催されます。アフリカの開発や平和に関しての熱い視線が注がれるこの夏。アフリカの地雷問題に少しでも関心を持っていただければ幸いです。