ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって2年、同国では東部・南部を中心に今も激しい戦闘が続き、1,100万人以上の難民・国内避難民が故郷を追われて避難生活を余儀なくされています。AAR Japan[難民を助ける会]は現地協力団体「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)とともに、南部ミコライウ州、ヘルソン州の国内避難民と地元住民への食料配付を実施しています。AARキシナウ事務所(モルドバ)の東マリ子が報告します。
生まれ育った村がロシア占領下に
ヘルソン州の小さな村で一人暮らしをしていたオレーナさん(65歳)。2022年3月にロシア軍に占領され、穏やかな暮らしが突如として奪われました。女性や子どもまでロシア兵に殴られているのを目撃し、生まれ育った土地から避難することを決意したと言います。
西隣ミコライウ州に向かう道中にある検問所には、オレーナさんと同様に避難する人々が長蛇の列をつくっており、やっとの思いでミコライウ州に避難できたのは自宅を離れて7日後のことでした。家財を自宅に残したまま、手持ちの現金も十分ではなく、避難生活は容易ではありません。現場チームがパスタ、コメ、ソバの実、缶詰などの食料詰め合わせを届けると、「毎日心細く過ごしています。これだけの食料があればしばらく楽になりますね」と笑顔で話しました。
「支援を続けてくれる日本の皆さんに感謝」
「日本で大地震が発生し、多くの方が亡くなったことをニュースで知りました。それにも関わらず、こうしてウクライナを支援し続けてくださる日本の皆さんに本当に感謝します」。そう話すのは、ヘルソン州との州境にあるミコライウ州リマニ村で3人の娘たちと避難生活を送るリタさん(28歳)。同村は戦闘の前線からそう遠くない地域です。なぜもっと遠くに避難しなかったのかと尋ねると、「少しでも地元の近くにいたかったから」。こうした思いを抱えて、ウクライナではあえて戦闘地域の近くや、もともと住んでいた場所に近い地域に留まる避難民の人々が少なくありません。
前を向いて生きていきたい
ロシアが2014年に併合したクリミア半島にほど近いヘルソン州の村で暮らしていたユリヤさん(55歳)。ロシア軍の侵攻直後に占拠されましたが、愛する故郷を離れたくありませんでした。しかし、物流が止まって食料の確保が難しくなり、村にはロシア兵があふれ、ついには自宅から一歩も出られなくなってしまいました。
夫がウクライナ兵として戦っていることが知れたら、自分の身に危険がおよぶかもしれないと思い悩んだ末、ユリヤさんは命からがらバルト3国のリトアニアに逃れました。しかし、母国を思う気持ちは募るばかりで帰国を決意し、現在は故郷の村からの避難民が多いミコライウ州都ミコライウ市で避難生活を送っています。
ソーシャルワーカーとして働いていたユリヤさんは最近、ミコライウ市内で仕事を始めました。「思い出がたくさん詰まった家を失ってしまったけれど、前を向いて生きていくことを決意しました。いつか愛する故郷で元の暮らしに戻れるよう、今はミコライウで精一杯働きます」と、穏やかに、そして力強く語ってくれたユリヤさん。「ウクライナのことを忘れず、こうして支援してくれる日本の方々にありがとうと伝えたい」と繰り返しました。
ウクライナ支援を途切れさせない
AARとTTAは食料支援に加えて、避難生活のための現金給付を開始しました。対象は国内避難民および地域住民ですが、オレーナさんのような高齢者、リタさんのような3人以上の子どもがいる世帯、障がい者、ひとり親世帯など、より困窮した世帯への支援を優先しています。
人道危機発生から2年を経て事態の終息が見通せない中、こうした一人ひとりに寄り添う支援がますます重要になっています。AARのウクライナ人道支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
※この事業はジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成を受けて実施しています。
東マリ子HIGASHI Marikoモルドバ駐在員(ウクライナ国内担当)
大学でロシア語を専攻。商社や在ロシア日本大使館勤務の後、2021年にAAR入職。旧ソ連タジキスタン駐在を経て、2023年1月からモルドバ駐在員としてウクライナ事業を担当。