発生から間もなく半年となる能登半島地震の被災地では、障がい者がより困難な状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は災害時、障がい者への支援を常に優先して活動しています。石川県七尾市でこのほど、日本障害フォーラム(JDF)主催の「視覚障がい者が能登半島地震について語る会」が開かれ、視覚障がい当事者であるAAR東京事務局の田丸敬一朗が参加しました。
避難所で困ったことは
AARは能登半島地震の発生直後から炊き出し、物資提供などの支援活動を続けていますが、私(田丸)は視覚障がいがあるため、そうした活動には参加できず、何か私にもできることはないかと考え続けていました。
6月21日から3日間開かれたJDFの「語る会」に出席し、初めて震災後の能登を訪ねて、地元・和倉温泉で働くマッサージ師(視覚障がい者4人を含む計6人)とひざを交えて意見交換する機会を持つことができました。
参加者の皆さんからは、震災の経験として「避難所に入ったけれど、トイレに行きたくても周囲の人に頼みづらくて困った」「何とか知り合いと連絡が取れ、サポートに来てもらえてほっとした」など切実な話が聞かれました。ただでさえ混み合う避難所には入れたとしても、視覚障がい者にとっては周囲の様子が分からず、戸惑うことが多いのは容易に想像できます。
ダウン症の娘さんを持つ視覚障がい者同士のご夫婦は、「避難所への到着が遅かったので、小学校の校舎4階に入ることになったが、障がいがあるので大きな負担だった」と話します。こうした不安や不便を解消するためには、やはり障がい者や高齢者向けの福祉避難所などを地域ごとにきめ細かく設置することの重要性を強く感じました。
また、参加者の一人から「スマホが使えるように研修するのも大事」という発言があり、例えばアプリなどを利用して、困った時にすぐに支援を要請できる仕組みづくりも必要だと気付かされました。
マッサージの仕事が激減
他方、震災から数カ月が経ち、参加者の関心事は今後の生活再建に移りつつあります。皆さんが口を揃えたのは「早く仕事がしたい」ということでした。
和倉温泉では視覚障がいがあるマッサージ師が働いていますが、震災後はほとんどの旅館・ホテルが休業状態にあり、観光客の客足が途絶えたままです。皆さんは現在、温泉街にある公衆浴場の一室を借りて仕事をしていますが、お客が全く来ない日もあると言います。
障がいの有無とは関係なく、緊急期を過ぎた今、被災地では「なりわい」を取り戻して生活再建に向かわなければならない時期に来ていますが、とりわけ障がい者が置かれた状況は厳しく、将来の不安が増しているように感じました。
他方で、こういう時だからこそ気晴らしや楽しいことをするのも必要だと思いました。私たち視覚障がい者は、一人で大浴場に行ったり、ショッピングモールに行ったりすることは難しいため、入浴や買い物、料理、ヨガ教室など、日々の生活に少しの変化があるというだけで気分転換につながります。
今回の参加者は温泉街で働くマッサージ師同士、お互いよく知っている仲間たちですが、アットホームな雰囲気の「語る会」を通じて、改めてこれまでを振り返り、皆さんに共通する課題を共有し、個々人の思いを率直に話し合う良い機会になったと思います。
私自身も視覚障がい当事者として、被災地の障がい者が直面する課題について、有意義な意見交換をすることができました。AARは今回改めて浮き彫りになった実情や意見を踏まえて、新たな生計支援を検討してまいります。
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田丸 敬一朗TAMARU Keiichiro東京事務局
大学卒業後、一般企業、障がい当事者による国際NGOなどに勤務。2022年AAR入職。障がい者支援、国内避難民支援を担当。先天性の視覚障がい