トルコ南東部で2023年2月に発生した大地震は、隣国シリアと合わせて5万6,000人以上の命を奪い、約300万人が住宅を失う甚大な被害をもたらしました。AAR Japan[難民を助ける会]は震災直後から緊急支援を続けてきましたが、現地では復興に一定のめどがつきつつあることから、2024年11月をもって活動を終了しました。AARトルコ事務所の景平義文がこれまでの活動と復興が進む現地の様子を報告します。
極限状態で始まった緊急支援
地震が発生した2023年2月6日は、雪の降る寒い日でした。翌7日夕、AARの緊急支援チームが被災地に到着すると、街は停電のため真っ暗で、建物のほとんどが崩壊していました。「極寒の中、家を失った人々がなすすべもなく立ちすくんでいる。まるで、世界の終末のようだ」。現場からは、こんな一報が入ってきました。
経験豊富なスタッフでさえおののくような極限状況の中、私たちは日々、行き場をなくし寒さに凍える人たちへ毛布や食料を配りました。状況が少し落ち着き、人々がコンテナの仮設住宅での生活を始めると、住環境を改善するため、雨漏りを防ぐためのシートや強い日差しを避ける日除けタープ、コンテナへ虫が侵入するのを防ぐ網戸などを配付しました。ほかにも、子どもの学用品や冬物衣料、障がい者の福祉用具など支援物資は多岐にわたり、アディヤマン県、カフラマンマラシュ県、ハタイ県、シャンルウルファ県、ガジアンテプ県の5県で、のべ14万2,911人に日本からの支援を届けました。
被災地ではその後、復興住宅が整備されるなど生活再建への道筋がつき始めたことから、AARは2024年11月14日、アディヤマン県で子ども用冬物衣料の最後の配付を行い、支援活動を終えました。
見えてきた「復興の兆し」
現地では震災の影響を感じさせない地区が少しずつ増えてきています。アディヤマン県の中心街の大通りには、倒壊した建物は残っていません。スーパーや銀行など、未だコンテナで営業している店舗もありますが、それすらも、活気が戻りつつある町では風景の一部として溶け込んでいるように感じます。
震災からほどなく、トルコ政府は被災した村の再建計画を発表しましたが、ようやく2024年春頃から、私たちが支援している地域でも具体的な動きが見られるようになりました。山間部では、斜面を削って平地にしたうえで、10~20棟の住宅を作る復興事業が至る所で行われています。コンテナで生活している被災者は皆、新しい家に移ることを待ち望んでおり、生活再建への明るい兆しとなっています。
この11月、旧知の村人と話してみたくなり、何度も支援物資を届けたアディヤマン県ベスニ郡のギュネイカシュ村を訪れました。村の細い路地に、セメントを積んだタンクローリーが列をなし、たくさんの建設作業員が忙しく働いていて、村はとても賑やかでした。
地震で家が全壊したサフィエ・カラカヤさんは、家族5人でコンテナの仮設住宅に住んでいます。彼女によると、村では「家を失ったすべての世帯が入居できるように新しい住居が建設中で、数カ月以内に完成する見込み」とのこと。「新しい家を案内してくれませんか」と頼むと、内装工事中の真新しい平屋の家を見せてくれ、「ようやく落ち着いた生活が戻ってきます」ととても嬉しそうでした。
上水道が復旧していないなど、まだまだ震災の傷跡は残っていますが、サフィエさんたち村人たちの雰囲気はかつて見たことのないほど明るいものでした。これまで、家族や家を失ったことなど、暗くてつらい話ばかり聞いてきましたが、初めて、笑顔の被災者から希望に満ちた話を聞き、幸せな気分になりました。また、彼らが将来への希望を持てる日まで支援を続けられたことに、安堵のような気持ちを抱きました。
トルコ南東部地震に対する日本での関心の高さは、トルコにいる私にとって大きな驚きでした。その関心の高さのおかげで、現在まで支援を続けることができました。また、遠い日本から支援が届いたことは、被災者にとっても励みになったようで、強く手を握られ、「日本からの支援をありがとう」と感謝されたことは数え切れません。
トルコ地震の被災者支援にご協力いただいた皆さまに、改めて心より感謝申し上げます。
※この活動は皆さまからのご寄付に加え、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて実施しました。
景平義文KAGEHIRA Yoshifumi中東・ヨーロッパ地域マネージャー
大学院で教育開発を専攻、博士号を取得。ケニアで活動するNGOで開発支援に従事したあと、2012年11月にAARへ。東京事務局でシリア難民支援事業担当、トルコ事務所駐在などを経て現職。