ウクライナ南部の都市ミコライフからモルドバに逃れてきたナタリアさん。日本に住んでいたこともあるというナタリアさんが、自身の状況や日本での思い出について話してくれました。AAR東京事務局の本間啓大が報告します。
ウクライナとの国境近くのモルドバ側に、行き先も大きさもさまざまなバスが集まるバスセンターが設けられています。ルーマニアなどのヨーロッパ諸国に向けたバスが政府や国際機関によって運行されており、ウクライナから逃れてきた人々は無料で利用することができます。
食料や飲み物を提供するテントやベンチ、トイレなども設置されており、バスが発車するまでの時間を過ごす人々や運営ボランティア、報道関係者、援助関係者で人があふれています。そこで私が声をかけたのが、暖かそうな猫を抱いたナタリアさんでした。
ナタリアさんはウクライナ南部の都市ミコライフから、17歳の娘と猫と一緒にモルドバに避難してきました。「ロシア軍が私たちの街にも侵攻してきて、空爆の音が聞こえるようになりました。危険を伝えるサイレンの音も鳴り、同じくらい怖かったです。サイレンが鳴り止むまで、私たちは地下室で過ごしました」。
戦闘が収まることを願っていたものの、状況は日に日に悪化し、これ以上ここで暮らすのは危険だと判断して、避難することを決めたといいます。「母親が長距離の移動に耐えられるか不安で、まずは私たちだけで逃げてきました。母と一緒に叔父の家族も残っているのですが、これからどうなるのかとても心配です」。
私たちがAAR Japanという団体であることを伝えると、「日本から来たの? すごい! 昔、日本に住んでたの!」と笑顔のナタリアさん。以前日本人の男性と結婚しており、その期間に日本に住んでいたそうです。ビザの関係で度々ウクライナに戻りながらも、和歌山県に3年ほど暮らしていたといいます。「日本は最高の国です。みんな優しかった。パパとママ(義理親)も友だちも本当によくしてくれました」。
「優しい人たち、美しい風景、美味しい料理。日本で過ごした日々のことは今でも心の中に残っています。刺身が美味しくて、大好きでした。まさかこんなところで、日本人に会えるなんて思いもしなかった」。嬉しそうな表情で、時々日本語も織り交ぜながら、日本での思い出を話してくれました。
日本語も使っていたけど、ほとんど忘れてしまった、といいます。今でも覚えている一番好きな日本語はなんですか、と聞くと、「大丈夫」と答えてくれました。とっさに私は、大丈夫、大丈夫、と、ナタリアさんに言っていました。ナタリアさんは笑いながら「今、大丈夫と言ってもらえて嬉しい」と言い、それから私たちは、大丈夫、大丈夫、とお互いに言い合って笑いました。
これからどこに行くのかと聞くと、バスを乗り継いでオランダに行く、とのことでした。「医者をしている友人がオランダにいて、家に滞在させてくれることになっています。戦争が始まってからずっと私たちのことを気にかけてくれていた優しい友だちです」。
モルドバに来て、ウクライナから逃れてきた方々の話を聞くと、経験の悲惨さに圧倒され、私たちにできることは本当にわずかなことだと改めて感じます。日本人と話すことで、また、「大丈夫」という日本語によって、ナタリアさんの長旅の疲れが少しでも癒やされていれば、と願っています。
日本の皆さんに向けた、ナタリアさんからのメッセージです。どうぞご覧ください。
本間 啓大HONMA Akihiro東京事務局
大学院修了後、子ども支援の国際NGO勤務を経て2020年5月にAAR入職。東京事務局で広報を担当。新潟県出身