活動レポート Report

「帰りたいけれど帰れない」ウクライナ難民の親子@モルドバ

2022年6月3日

ロシアのウクライナ軍事侵攻が始まって3カ月余り。AAR Japan[難民を助ける会]は隣国モルドバの首都キシナウで、難民が滞在する大学の学生寮や公共施設への食料提供、子どもたちの遊び場「チャイルドスペース」開設などの支援を行っています。学生寮で暮らす難民の親子に今の思いを聞きました。

夫や両親を残して避難

キシナウの学生寮に滞在するスザンヌさんと子どもたちの写真 写真はいずれも川畑嘉文撮影

キシナウの学生寮に滞在するスザンヌさん(中央)と子どもたち=写真はいずれも川畑嘉文撮影

スザンヌさん(35歳)はウクライナ南部の港湾都市オデーサ(オデッサ)の出身。夫と3人の男の子(12歳、4歳、1歳半)、双方の両親と一緒に暮らしていました。今は3人の子どもとスザンヌさんだけがモルドバに避難しています。

「戦争が始まると知って、家のクローゼットの壁を厚くしてシェルターにしました。空襲警報はたいてい夜間で、警報が鳴るとすぐにそこに隠れました。そのうち自宅から5キロほど離れた軍事施設が攻撃され、翌日行ってみると人々が協力して救助活動をしていました。がれきの中から生存者も見つかって……。この時、子どもたちのためにモルドバへの避難を決心しました」

病気を抱える両親たちは長時間の移動が心配だったので、家に残りました。キシナウに着いたのは4月9日。「この大学寮はウクライナ人の知人に教えてもらいました。温かい昼食が出されるほか、AARが提供してくれた冷蔵庫やオーブンがあるので、朝夕の食事は自分たちで作っています。何よりもスタッフの方々が非常に親切で助かっています」と話します。

スザンナさんたちが滞在する学生寮の写真。5階部分が難民に提供されている

スザンヌさんたちが滞在する学生寮。5階部分が難民に提供されている

オデーサに残る夫は電子機器会社の販売担当でしたが、首都キーウ(キエフ)にある倉庫が爆撃されて仕事を失いました。スザンヌさんたちは今、貯金を切り崩し、行政が支給する児童手当も使って生活しています。

「AARの食料支援がなかったら、私たちは町で食べ物を恵んでもらうしかなかったでしょう。あるいは危険を冒してウクライナに戻らなければならなかったと思います。本当に感謝しかありません。子どもたちの安全を最優先に考え、しばらくはここに留まるつもりです」

心に傷を負った子どもたち

チャイルドスペースでくつろぐスザンナさん親子の写真

チャイルドスペースでくつろぐスザンヌさん親子

何より気がかりなのは、その3人の子どもたちのこと。年齢が違い、それぞれやりたいことも違うので、それをかなえてやるのは大変だといいます。長男ブラディスラブ君(12歳)が最近、雷の音を聞いて怯えて泣き出したのも気になっています。「爆音を聞き続けたことなど、戦争のトラウマがあるのでしょうが、きっと克服してくれると思っています。多くの子どもたちがチャイルドスペースで遊んで笑顔を取り戻し、それを見ていると母親たちも笑顔になれます」

5年生(小学校相当)のブラディスラブ君は今、無料のWi-Fiを使ってオンライン授業を受けています。勉強が好きで、得意科目はウクライナ語と算数。携帯電話でドイツにいる友だちと話したり、オンラインで一緒に宿題をしたりすることもあります。

「自由な時間には外でバスケットボールをしたり、チャイルドスペースで遊んだりしています。ほしいものは……ラップトップコンピュータかな。いろいろ学べると思うんだ。英語を勉強して、日本から来た人と話せるようになりたいな」。そしてこう続けました。「だけど、やっぱり家に帰りたい。父さんたちや家の庭、ペットが恋しいんだ」

スザンヌさんは「父親がいないので、ここでは彼が小さい弟たちの面倒を見ながら、スーパーに買い物に行ったり、重い荷物を運んだり、父親役を務めようと一生懸命です。困難を通じて、急速に大人にならなければならない状況にいるのだと思います」と少し切なそうな表情を見せました。

昼食を運ぶ手伝いをするブラディスラブ君の写真

昼食を運ぶ手伝いをするブラディスラブ君

事態の長期化に伴い、支援物資の提供に加えて、子どもたちの教育や心のケアなどが重要になっています。AARは難民の人々に寄り添い、その時々のニーズに即した支援を続けてまいります。AARのウクライナ人道支援へのご理解・ご協力をお願い申し上げます。

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