2022年2月に始まったロシアの軍事侵攻で母国を追われ、隣国モルドバに滞在するウクライナ難民は11万人近くに上ります。AAR Japan[難民を助ける会]は同年5月にモルドバの首都キシナウに現地事務所を開設し、難民の支援を続けています。ウクライナ人道危機の発生から間もなく1年、難民の思いを現地を訪れたAAR東京事務局の八木純二が報告します。
モルドバ北部ファレシュティを訪れた1月20日は季節外れの暖かさでした。西隣のルーマニア国境に近いこの地域で、ウクライナ難民は提供された住居や賃貸アパートなどに滞在し、地域コミュニティに溶け込んで生活しています。ファレシュティでは当初設けられた難民の宿泊施設が早い時期に閉鎖され、女性と子どもが多数を占める難民は、それぞれの事情に合わせて街中に散らばって暮らしています。
AARは昨年10月以降、ウクライナ難民の親子が集まり、地元の子どもたちと一緒にイベントや図画工作などの活動に取り組むチャイルド・フレンドリー・スペース(CFS)を現地の関係者と協力して運営しています。
モルドバの人々に支えられて
CFSで出会ったイリナ・ビラストゥさんは、2014年以降、ロシア軍との激しい戦闘が続くウクライナ東部ルガンスク州リシチャンスクの出身です。「2014年に始まった戦争に比べても、今回の戦争はひどいものです。最初は避難をためらっていましたが、攻撃が激化したため、先に避難していた親戚を頼って、昨年4月上旬に15歳の息子とファレシュティに避難して来ました」。
イリナさんは「息子は地域のスポーツクラブなどを通して、モルドバ人の友だちが多くできました。消防士の夫はウクライナ北東部のハルキウに残っていて、クリスマス休暇に会いたかったのですが、残念ながら会えなくて……」。ウクライナ政府は成人男性の出国を原則禁じていますが、海外に逃れた家族に休暇で会う場合など特例措置があるそうです。
「モルドバの人はほとんどがロシア語を話すので、ロシア語を母語とする私にとってファレシュティは暮らしやすい環境なのです。今はここで図書館司書の職を得て働いていますし、地域の多くの住民や団体が私たちを助けてくれます。モルドバの人たちには本当に感謝しかありません」。「自分は恵まれている」と話すイリナさんですが、周囲を見ると生活費や子どもの教育などの問題を抱える人も少なくないと言います。
「弟は戦争の初日に」
ウクライナ南東部ドネツク州の小さな町で暮らしていたカテリーナ・ドリーガさんは、自分でNGOを設立して、現在もオンラインで国内避難民支援などを続けています。「今までの経験を生かして、モルドバの子どもたちの遊び場整備のプロジェクトにも携わっています」。
NGO代表として精力的に活動するカテリーナさんですが、母国での経験は過酷なものでした。「戦争が始まった日、弟は夕方に外出した後、行方不明になりました。一カ月後、川の中で遺体が見つかりました。誰の犯行かは分かりませんが、6歳と3歳の子どもを残して彼は殺されたのです」。このように殺害された犠牲者は少なくないといいます。
カテリーナさんは「もしモルドバまで戦争が拡大するような事態にあれば、またどこかに逃げなければなりませんが、ファレシュティには学校もあるし、子どもたちはこの町を気に入ってます。戦争が終わればすぐにも故郷に帰りたいと思いますが、それまではここにいるしかありません」と話します。
つながりの中で助け合う女性たち
マリア・シリストラさんはウクライナ南部の都市ミコライウから避難して来ました。娘のサブリナさん、ソフィアさんと一緒です。マリアさんは「亡くなった母がファレシュティ生まれで、義理の姉妹たちがここに住んでいるので、戦争が始まる前からよく訪れていました。この町のことはよく知っていましたし、戦争が始まるとすぐ姉妹たちが避難して来るように言ってくれました」。
マリアさんは現在、市内の玩具工場で働いていますが、給料が安くて生活は大変です。マリアさんは「モルドバの人たちがとても親切にしてくれるだけでなく、遠い日本からも支援が届いています。私たちを支えてくれる日本の人々に心からありがとうと伝えたいですね」。サブリナさんは「いつか日本の人たちに会って友だちになりたいな」と付け加えました。
モルドバで出会ったウクライナ難民の大多数は母親と子どもです。母親たちは戦火と暴力から子どもたちを守るために、モルドバの地で必死に生活しています。AARはモルドバの市民社会とともに、こうした母子を中心とした難民の生活サポートに取り組んでいます。モルドバは決して経済的に豊かな国ではなく、人道危機を乗り越えるためには日本を含めた国際社会の支援が必要不可欠です。
危機発生から1年の節目にあたって、AARのウクライナ人道支援へのお力添えを重ねてお願い申し上げます。
八木 純二YAGI Junji東京事務局
国際協力NGOにて広報職員や海外駐在員として勤務後、2022年にAAR入職。広報コミュニケーション部職員として広報や渉外を担当