トルコ南東部で今月6日に起きた大地震では、隣国シリアと合わせて5万人超の死者が確認されています。AAR Japan[難民を助ける会]は発生翌日から被災地で緊急支援物資の配付を続けており、現在は都市部と比べて支援が届きにくい農村部の被災者への支援を行っています。AAR緊急支援チームが現地から報告します。
「村まで来てくれてありがとう。なかなか支援が届かなくて困っていたんだよ」――。
緊急支援チームは21日、拠点としているガジアンテプ県からさらに内陸のアドゥヤマン県に入りました。近年発展を続ける県都アドゥヤマン市も大きな被害を受けましたが、私たちは農村部の被災者に焦点を当てました。都市部では不充分とはいえ支援物資が定期的に配付されるのに対し、農村の人々にはそれらが行き届いていないからです。
私たちは21~22日、アドゥヤマン県の4地区を訪問し、現地協力団体とともに食料セット(小麦粉、コメ、豆類、パスタ、お茶、調味料など)、赤ちゃんセット(ベビーフード、おむつなど)、下着や生理用品を届けました。これらの地区では震災で大きな被害が出たうえに、道路が寸断されて支援が届かない「陸の孤島」の状況が続きました。
ヤイラコナック村のレズルさんは話します。「小さな村で130人もの住民が亡くなり、誰もが家族や親せきを失いました。倒壊した家屋も多く、そうした人々は近所の家に避難して一緒に暮らすか、庭にテントを張ってしのいでいます。私の家は幸い大きな被害がなかったので親せきなどを受け入れ、もともと6人家族だったのが今は22人が暮らしています」。
山間のプナルバシュ村に住むアドナンさんは、「地震が起きて5日間、車の中で過ごしました。深夜から明け方にかけて気温がマイナス20度まで下がり、湯を沸かして何とか暖をとりました」。その後ようやく救助隊が到着してテントを受け取り、現在は家族8人でテント生活を続けています。「いったん自宅に戻ろうとしましたが、余震でさらに壊れてしまい、とても安心して家にいられないのです」。
震災後に村の人口が急増
農村部では震災後、大きな変化が起きています。多くの建物が倒壊したアドゥヤマン市街から、親せきを頼って村々に避難する被災者も多く、ある村の住民は「もともと180人しか住んでいなかったのに、人口が急に2,000人まで増えてしまった」と証言します。つまり、物資が集積する都市部から遠く離れた村々こそ、支援を必要としているということです。
被災地ではまだまだ支援が不足しており、私たちは日々変化する被災者のニーズを確認しながら、きめ細かな支援を続けてまいります。AARのトルコ地震緊急支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。