アフガニスタンで再びイスラム主義勢力タリバンが実権を握った2021年8月以来、混乱と弾圧を避け、800人以上のアフガニスタン人が日本に逃れてきました。留学などで日本に滞在中で、帰国できなくなった人たちもいます。AAR Japan[難民を助ける会]は、今年1月から日本に滞在する難民・避難民を支え続ける「生活相談プログラム」を始めました。アフガニスタン難民の女性に、難民の方々が今日本で直面している問題について、AAR東京事務局の太田阿利佐が聞きました。
※安全に配慮し、仮名でご紹介します。
「桜を観ましたか。今は桜がきれいな季節ですよ」。日本の人たちは優しくそう声をかけてくれます。でも、今の私は桜を楽しめません。母国の家族のことを思うと、胸が苦しくなります。そう語るヤルダさん(仮名)は、昨年夏に難民認定を受け、この春までの6カ月間、日本政府による公的支援(日本語の授業、一人1日1,600円の生活費、月数万円の家賃補助)を受けてきました。
名前も書けなかった人が…
――6カ月間の日本語の勉強は大変ではなかったですか。
毎日朝9時半から午後4時まで、男女別で、オンラインでの授業でしたが、とても役に立ちました。先生も優秀でとても熱心でした。日本とアフガニスタンの社会は大きく違い、一緒に受講した女性たちの中には、これまで全く教育を受けられなかった人もいました。初めての学習、それも日本語学習はとても大変だったと思いますが、彼女たちは学ぶ喜びでいっぱいで、半年間でひらがなとカタカナ全部、そして100以上の漢字をおぼえました。最後には原稿用紙5枚の作文を書きました。とても感動しました
大家族ゆえの深刻な住宅問題
――ウクライナ避難民向けには公営住宅の無償提供がありますが、アフガニスタンやその他の難民の方は、難民認定後に月額4万~6万円の家賃補助を受けながら、自分で住宅を探して借りる決まりです。この半年の生活はいかがでしたか。
アフガニスタンは大家族が多いです。6人以上の家族がほとんどです。家賃補助でまかなえる住宅を見つけるのはとてもむずかしく、足りない分は生活費や食費を削るしかありません。日本語教室の終了後、夜にアルバイトをしていた人たちもいます。だからAARとさぽうと21(AARの姉妹団体)が当時実施していた緊急一時金(18歳以上ひとり10万円、17歳以下ひとり5万円)の支給はとてもありがたかったです。私はこのお金で住宅を借りることができました。知り合いのアフガニスタン難民も、みなとても喜んでいました。日本のみなさまからのご支援に心からお礼を言いたいです。
日本語と就職が課題
――アフガニスタン難民の方にとって、今、問題になっているのはどんなことですか。
私を含め、来日アフガニスタン難民は三つの大きな問題に直面しています。一つは日本語のレベルの問題。そして二つ目は仕事探し、三つ目は住宅問題です。
6カ月の日本語教室はとてもいいものでしたが、半年間で仕事に必要なクオリティーに達することはできません。私はこの6カ月間、ハローワークで仕事を探し続けていますが、まだ見つかりません。私は大学を出ていますし、アフガニスタンでは長年英語で仕事をしていました。しかし日本語力が足りないと言われてしまいます。アフガニスタンで日本大使館やJICA(国際協力機構)に勤め、経済学や政治学で修士号や博士号を持っている人たちでさえ、仕事を見つけられずにいます。彼らの中には、工場などで単純な作業をしている人もいます。そうした仕事は日本語のスキルを必要とされないからです。
4月からは支援なし
――現行の日本の難民支援は「6カ月間で日本語を覚え、仕事を探して自立する」のが前提です。でも、半年で自立するのは難しいということですね。ヤルダさんを含め、昨年夏に難民認定を受けた人たちには、この春から日本語学習支援も金銭的な支援もなくなります。
とても不安な気持ちでいます。仕事を得られても、パッケージを詰めるような仕事では10万~16万円ほどの収入しか得られず、家賃を払った残りではとても大家族を養えません。物価もどんどん上がっています。小さな子どもたちがおなかをすかせている家庭もあると聞きます。就職に必要な日本語力をつけるための、対面での日本語教育と、仕事を見つけるためのさらなる手助けをいただきたいと思います。
ウクライナ避難民と同じ思い
私は、国に残った家族も養わないといけません。アフガニスタンでは戦争が30年も続いています。それを考えると、心が苦しい。愛する人たちが危険にさらされ、苦しんでいるのに、難民として他国に逃れた人間は、ほとんど何もできないのです。本当に申し訳ない気持ちです。私はウクライナ避難民の方々の苦しみと胸の痛みが良く分かります。なぜなら、私もまったく同じ思いを味わっているからです。
日本の方々は、私たちアフガニスタン人に本当によくしてくれました。アフガニスタン国内でも、ここ日本でもです。ただ、ウクライナへの軍事侵攻が始まって以来、世界の多くの方々の関心がウクライナに集中してしまったのも事実です。ある方から「日本政府はもうアフガニスタン難民に関心はない」と聞いた時はショックでした。ウクライナの方の支援に大きな協力が寄せられるのは喜ばしいことで、彼らのためにたくさんの大企業が職を提供しています。でもアフガニスタン難民向けにはほとんどありません。仕事がなく、住宅への支援もなければ、生活が成り立たない。一つの家族から一人ずつでも、コンビニエンスストアなどで雇ってもらうことはできないでしょうか。若者が学校にいきながらアルバイトができれば一番いい。それは経済的にも精神的にも、彼らの支えになるでしょう。
取り残される10代の子どもたち
――ヤルダさんは、特に若い人たちのことを心配されていますね。
多くのアフガニスタン人が若者の教育に悩んでいます。日本は小学校、中学校は無償で、それはとても素晴らしいです。でも16歳以上の子、例えば3月に中学校を卒業した子たちは、日本語が十分わからず、高校にも大学にも進学できないでいます。仕事もなく、ただ家にいるしかない。私たちの中には、子どもの将来のために日本に来ることを選んだ人もいます。でも高等教育を受けられないなら、日本でもアフガニスタンでも同じです。もちろん、日本は平和で、それは大変なメリットですが、将来がないという点では同じことです。
日本政府や日本の団体は、アフガニスタンでたくさんの奨学金事業を行ってきました。今、こうした事業の多くは休止していると聞いています。それを日本にいる10代の子どもたちの日本語学習や進学支援のために活用していただけないでしょうか。また、女性たちの日本語学習支援も続けてほしいと思います。大家族は、夫一人の収入では支えきれませんし、彼女たちは日本語と日本文化を学び、自分の力で生きていきたいと強く願っています。
いつまでも支援されたくない
――最も大きな問題は何でしょうか。
やはり仕事です。もしできるなら、アフガニスタン難民を何人かNGOで雇ってもらいたいです。日本大使館やJICAで働いてきた人たちは、英語も堪能だし、優秀です。その人たちは仕事を得られるし、ほかの難民を助ける大きな力になると思います。
考えてみてください、博士号を取った人が、工場でごく簡単な作業をしています。幸福なはずがない。少量のお金やお米のパッケージは確かに助けになります。しかしそれは、人生を支えてくれるものではありません。私たちは物乞いではありませんし、いつまでも支援される存在でいたくありません。働いて、コミュニティーに貢献して、自立したい。こういうことわざがあります。「だれかを助けたいと思ったら、魚を食べる方法ではなく、釣りの仕方を教えてあげなさい」。私たちは仕事を欲しています。税金を払って、コミュニティーの一員になりたいのです。どうか私たちを受け入れてください。
時々、「自分の国に帰れ」などひどい言葉を投げかけてくる人もいます。でも人にはそれぞれ考えがあるでしょうし、日本人みんながこのような考え方ではないと分かっています。ただできるなら、アフガニスタン難民の女性には親切にしてあげてほしい。彼女たちの中には外国は初めての人もいます。例えば電車やバスに乗る時に列を作るのがルールだとか、買い物の時にお金ではなくカードも使うなど、文化の違う国で暮らすのはとても大変です。
家族を日本に招きたい
――日本の人たちに言いたいことはありますか。
アフガニスタン難民の受け入れは、日本にとって異例の措置だったと聞いています。必ず申し上げたいのが感謝の気持ちです。特に外務省の方々は、大変な時に手を差し伸べ、命を救ってくれ、難民としての地位を認め、平和な国で暮らせるようにしていただき本当に感謝の気持ちに堪えません。入国管理局の方にも感謝したいです。人手がない中、とてもよくしてくれました。AARやさぽうと21などNGOの方々に対しても同じ思いです。AARは緊急一時金支給だけでなく、アフガニスタン国内の人々への支援も続けています。とても感謝しています。
それでも、もし今望んでいることを聞かれたら、私は、国に残された家族のことをお話するでしょう。家族を日本に招きたい。自分が安全でも、家族が安全でなかったらとても心配です。もし日本政府が家族を日本に招く手助けをしてくれたらうれしいです。
アフガニスタンにいる女性たちの人生はかごの中の鳥のようです。学ぶことも、仕事をすることも禁じられている。教育がなければ、将来もなく、働けなければ、家族を幸福にすることもできません。アフガニスタンの経済状況は大変な状態で、この冬は電気が使えないこともありました。また会えるかどうかも分からない。とてもつらいです。
日本人のように頑張る
私は、春には桜が咲く、こんなに美しい国にいます。日本は文化も人々も素晴らしい。でも、祖国に残る家族を思うと、私は心から楽しむことができないのです。美しい場所にいくたびに、ここにいられる幸福を思い、家族と一緒にこの国の光景を楽しみたいと思います。日本には親切にしてくれる人がたくさんいます。友人もできました。でも家族は特別です。夜、一人でいると寂しくて、私の人生は全く意味がないと思えてきます。
がんばって、仕事をして、みんなを幸せにしたい。そのために自分も元気でいたい。私は適応力が高いんです。日本の食事はアフガニスタンの食事と違うけれど、私は大丈夫。むしろ楽しんでいます。いろんなものに適応して慣れていきます。日本の人がそうしているように。
すべてがよくなると希望を持っています。そしていつか、日本と母国のために働きたいと願っています。
AAR Japan[難民を助ける会]は、母国の紛争・政情不安からの退避を目的として来日した難民・避難民の方々を支えるため、2022年5月から23年1月末まで姉妹団体・社会福祉法人「さぽうと21」と共同で緊急一時金支援を行い、225人に給付を行いました。23年2月からは難民・避難民の方々を継続的に支援する「生活相談プログラム」を実施しています。日本で暮らす難民・避難民の方々のため、どうかご支援をお願いいたします。
太田 阿利佐Ota Arisa東京事務局
全国紙記者を経て、2022年6月からAAR東京事務局で広報業務を担当。