3月28日にミャンマー中部で大きな地震が発生し、緊急支援チームの一員として私はミャンマーに入りました。しかし、海外のNGOの外国人スタッフである私には、深刻な被害を受けた被災地に入る許可がおりず、私はAARの事務所があるミャンマーの最大都市ヤンゴンで調整業務や物資調達にあたりました。

緊急支援の調整業務にあたる八木=AARヤンゴン事務所で2025年4月18日
静かで暗いヤンゴン
私にとって初めてのヤンゴンだったのですが、東南アジアの大都市らしい活気や喧噪を感じられませんでした。地震によって電力や通信インフラが影響を受けたものの、それ以外の被害はほとんど無かったヤンゴンには、静かな時間が流れていました。
滞在していたホテルが閑静な住宅街にあったことも理由のひとつです。しかし、最大の理由は停電による暗さです。ミャンマーでは政治の混乱や欧米の経済制裁などにより、経済は停滞し、慢性的な電力不足が続いています。ヤンゴンでさえも計画停電をせざるを得ず、街では多くの商店が閉じられ、夜になれば繁華街も真っ暗になります。物資調達のために訪れた大きな商業施設の照明はうす暗く、空き店舗も目立っていました。

ヤンゴン市内中心部インヤー湖近くの通り=2025年4月11日
水をかけない水かけ祭り
私の滞在中に、旧暦の正月を祝う水かけ祭りがありました。水かけ祭りには1年の不幸やけがれを水で洗い流すという意味が込められており、人々はお互いに水をかけあって新年を祝います。しかし、私が見たのは、拍子抜けするほど静かな水かけ祭りでした。幼い女の子が本物の銃さながらの水鉄砲で撃ってきた以外、私に水をかけた人はいませんでした。
内戦は今も続き、亡くなった人々への哀悼を示すために屋外で水をかけあうことを控えている人々もいます。そして、今年は水かけ祭りの直前に大地震が発生しました。とてもではないですが、盛大に水をかけあってお祝いする気にはなれないのでしょう。

2011年の水かけ祭り。当時のミャンマー駐在員が撮影
私が見たのは、「経済的貧しさ」が続く中で、「社会的な混乱」が生じ、そこに「深刻な大災害」が襲ったミャンマーで行われた、水かけ祭りでした。しかし同時に、私は、そのような状況の中でもお互い助け合いながら、困難な状況を克服しようとするミャンマーの人々の強く、美しい姿も目の当たりにしました。
水かけ祭り休暇中の被災地での支援活動について検討していた際、7人のミャンマー人スタッフが、自ら現地入りを申し出ました。1人は「AARが出動しなくても、1人でも被災地に行くつもりでした。水かけ祭りのことは忘れていました」と話してくれました。胸を打たれると同時に、自分が被災地に入れないことを申し訳なく思いました。被災した人々の声を直接聞けないこと、自分の手で直接支援を届けられないことが、これほどもどかしく、辛いことだとは知りませんでした。
ミャンマーの人々は、信仰心が篤く、慎み深くて親切です。そして生真面目なところが日本人に似ているような気がして、親しみがわきます。ミャンマーの人々を襲う、度重なる困難を思うと心が締めつけられます。みんなで盛大に水をかけあう水かけ祭りが戻って来ることを、強く願わざるを得ません。

八木 純二YAGI Junji東京事務局
国際協力NGOにて広報職員や海外駐在員として勤務後、2022年にAAR入職。広報コミュニケーション部職員として広報や渉外を担当