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スタッフ日記[国際協力の現場から]

ロヒンギャ難民キャンプに希望の種をまく 縫製センター訪問記@バングラデシュ 

2025年6月9日

バングラデシュ南東部のコックスバザール県には、隣国ミャンマーでの武力弾圧や迫害を逃れた累計100万人超のロヒンギャ難民が暮らす世界最大の難民キャンプ群が広がります。2017年の大量流入から8年、彼らが祖国に帰還できる見通しはなく、閉そく感と諦めの気分が漂う中、日本のグローバル企業が関わるひとつのプロジェクトがキャンプに「希望の種」をまいています。元コックスバザール駐在の中坪央暁がお伝えします。


施設に一歩踏み入れると、雑然としたキャンプとは別世界のように、そこは整理整頓が行き届いた活気ある作業場が広がり、70人余りのロヒンギャの女性たちがミシン仕事や裁断作業に取り組んでいました。狭いエリアに60万人以上が密集するクトゥパロン難民キャンプの一角に建つ「縫製センター」。ここではユニクロを展開する(株)ファーストリテイリングが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に資金提供し、技術トレーニングが実施されています。

縫製作業をする難民女性

縫製センターで作業するロヒンギャ難民の女性たち=バングラデシュ南東部 コックスバザール県のクトゥパロン難民キャンプで2025年5月15日

「女性たちがミャンマー帰還後に生計を立てるための技術を身に着ける」この自立支援プロジェクトでは、2022~2025年に1,000人が訓練を受ける計画です(2025年5月時点で約600人)。操業時間は平日(イスラム方式で金・土が休日)の朝8時から夕方4時まで。ここで製造される布製の生理用品8点と下着3点のセットは、商品として流通するわけではなく、キャンプの中で使われます。女性たちには賃金ではなく「有償ボランティア」として認められた対価が出来高制で支払われます。

難民キャンプには「読み書きソロバン」レベルの仮設学校はあるものの、正規の教育システムはなく、定住につながる起業・就業もバングラデシュ当局によって表向き禁止されています(実際は難民が営む商店が無数にあるのですが……)。難民のとりわけ若い世代は、知識や技術を習得したり、働いて家族を養ったり社会に貢献したりする機会を奪われ、将来への希望を持てないまま無為に過ごすしかありません。縫製センターはそんな状況に小さな風穴を開けているのです。

裁断作業中の難民女性

電動カッターを使った布地の裁断作業

昨年から縫製センターに通うアミーナさん(20歳)は「難民キャンプでは何もすることがありませんでしたが、ここでは今までやったことがない縫製や裁断技術を習えるので、とても楽しく満足していています。お隣に住む女性に縫い方を教えてあげたりして、つまり、このトレーニングは私だけではなく他の人たちの役にも立っているんです」。

2017年に武力弾圧を逃れて避難する途中、夫を亡くしたというアイシャさん(27歳)は、「キャンプで生きがいを失っていましたが、こうして縫製トレーニングを受けることは、これまでの私の人生で最も幸せな出来事と言えるでしょう。技術をしっかり身につけて、いつの日かミャンマーに帰って故郷の村で縫製店を開くのが夢です」と話します。

実習中の難民女性

電気配線の実習に取り組む女性たち

縫製センターに隣接するUNHCRの別の施設では、それぞれ15人ほどの若い男性グループが水汲みポンプのエンジン修理、女性グループがソーラーパネルを設置するための電気配線の実習に取り組んでいました。女性は黒いブルカの上に黄色い作業用ヘルメットと作業着を着けて、見るからに暑そうですが、バングラデシュ人指導員によると「彼女たちはミャンマーで初等教育も受けておらず、登録時に自分の名前さえ満足に書けなかったけれど、決して能力が低いのではありません。教えたことはすぐ理解して吸収してしまいます」。

現地のUNHCR関係者は「彼女たちは何か学びたい、生産的なことをしたい、家族やコミュニティに貢献したいという気持ちをずっと持て余していたのだと思います。ようやくその機会を得て、こうして生き生きと輝いているのでしょう」と説明してくれましたが、私も全く同じ感想を持ちました。

ファーストリテイリングは2011年にUNHCRとグローバルパートナーシップを締結し、ウクライナ、アフガニスタンなど世界各地の難民を支援しています。2024年9月から半年間、縫製センターに派遣された同社サステナビリティ部の宇佐見祐人さんは、「ミシンを使ったことがなかった女性もすぐに習得してしまい、スキルを身に着けることにとても積極的だと感じました」と振り返ります。

そして、「キャンプでは働くことができないため、『時間が経つのが長くてつらいので寝て過ごしている』という話を聞いて、難民問題は社会的な人材の損失でもあると気付かされました。人々の自立につながる支援事業をできる限り続けていければと思います」と話しました。

2017~2019年の約2年間、私はこの難民キャンプで支援活動に携わり、その後も推移を見守ってきました。ロヒンギャ問題の先行きに関しては常に悲観的で、それは今も変わりませんが、縫製センターを訪ねて、初めて暗闇の中にかすかな希望の灯を見たような気がします。ここでトレーニングを受けているのは100万人超の難民のほんのひと握りに過ぎないとはいえ、荒涼とした土地に一粒の希望の種がまかれた――そんな感じでしょうか。

ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで深刻な人道危機が相次ぐ中、ロヒンギャ難民への関心は薄れ、国際社会の支援も先細っています。加えて、米国トランプ政権による海外援助の大幅削減も大打撃です。状況が厳しさを増す中、この小さな希望が、女性たちを通じて難民キャンプに少しずつ広がっていくことを祈るばかりです。

中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当

全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を取材。2017年AAR入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。2022年以降、ウクライナ危機の現地取材と情報発信を続ける。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』ほか。

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