お買い物は理想の社会を選ぶ投票です 水野泰平さん(シサム工房代表)
2024年2月7日(2024年2月7日更新)
フェアトレード商品を手がけるシサム工房(有限会社/京都市)は、持続可能な「ものづくり」を通じて開発途上国の生産者と日本の消費者をつなぎ、新たな価値観を提案し続けています。1999年に同社を創業した代表の水野泰平さんに、フェアトレードが持つ可能性、同社が目指すもの、日本社会に伝えたいメッセージを聞きました。
(聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2024年1月25日にインタビュー)
相次ぐ紛争・災害に心痛める日々
――ウクライナやガザの人道危機が続く中、年明け早々に能登半島地震が起きるなど、このところ世界と日本で深刻な出来事が相次いでいます。日々どのように感じていますか。
水野さん 能登半島地震の被災地の状況には本当に胸が痛みます。今回のような自然災害では、文字通り人知を超えた力で当たり前の日常が一瞬で失われてしまうことを改めて痛感しました。シサムも能登支援の店頭募金を呼びかけています。これに対して、武力紛争は人間が起こすものであって、情けないというか、何とかならないのかという憤りを感じます。当事者双方に正義があるのでしょうが、それで泣くのは常に弱い立場にある人々ですよね。
世界各地の問題が何ひとつ解決しないうちに、次々に大変な事態が起きて、少し前のことへの関心がどんどん薄れていくのは仕方ない面もありますが、被害を受けた人々はつらいままなんですよね。事態の規模とか犠牲者の数じゃなくて、個々の痛みは同じはず。そこに共感を寄せながら、大きな状況はどうすることもできないとしても、小さな範囲でできることを考えて毎日を過ごしていくしかないと思っています。もどかしいですけどね。
アジア5カ国の生産者とつながる
――シサム工房についてご紹介ください。「シサム」ってどういう意味ですか。
水野さん シサムとはアイヌの言葉で「よき隣人」という意味で、フェアトレードを通じて世界中の人々のより良い隣人になりたいという思いで名付けました。シサム工房は25年前、友人たちに手伝ってもらって、京都・百万遍に個人事業の小さな店を開いたのが始まりです。アジア各国の生産者に発注したオリジナルの衣類やファッショングッズ、生活雑貨、コーヒーなどを取り扱い、現在は京都を拠点に大阪、神戸、東京の直営8店舗とオンラインショップ、卸売り事業を展開しています。
実際に製品を作ってくれているのは現在、インド、ネパール、バングラデシュ、フィリピン、インドネシア5カ国の生産者たち。当社もメンバーである世界フェアトレード連盟(WFTO)に加盟する現地NGOを通じてやり取りしているほか、一部は「手仕事品」と呼んで直接注文する商品もあります。
社会的・経済的に弱い立場にある生産者を支えつつ、買い手側が対等な立場で取引するフェアトレード事業では、とにかく現地パートナーが大切です。連携している5カ国12団体のNGOは、単なる生産管理や日本への発送だけでなく、生産者へのサポートを担っています。例えば、女性が縫製作業に従事する場合、仕事をしている間に子どもの世話をする託児所を運営したり、コミュニティの意識を高めたり、常に介在者としての役割を果たしてくれています。あくまでビジネスですが、それと同時に開発途上国の貧困対策の意味合いが欠かせません。
生き方を決めたアフリカの経験
――開発途上国の貧困問題やフェアトレードに関心を持つようになったきっかけは?
水野さん 同志社大学の学生時代、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)をテーマにしたドキュメンタリー映画を観て、衝撃を受けるとともに怒りを感じました。その後、上映会を主催したグループに参加して、さまざまな社会運動に関わる人たちと接するうちに刺激を受けて、世界中の人権や貧困の問題に広く関心を持つようになったんです。
バックパッカーとして何度かインドに行ったり、ケニアから南アフリカまで陸路旅したり、ひとりで世界を歩いてたくさんの人々に出会い、日本では考えられない貧困の現実も目の当たりにしました。まだ旅慣れていなかった頃、インドでいきなりカメラを盗まれたりなんてこともありましたが(笑)。
そんな旅の中で、自分の生き方を決めた瞬間があるんです。アフリカ南部のレソト王国という小さな国の山の中を2週間、テントを担いで野宿しながら歩き回っていた時のこと。それまでは海外に行くと、どこかに貧しい人たちを何とかしてあげたい、かわいそうだから助けてあげたいという気持ちがありました。
でも、めったに人に会わない山中を歩くうちに、自分のちっぽけさを感じるようになって。夕暮れ時、小さな村で食事の支度をしているのか、煙が上がっているのを見て、そこには「かわいそうな人たち」が暮らしているのではなくて、自分なんかよりもずっとずっとたくましい人たちが、当たり前の暮らしをしているって、それこそ当たり前のことを実感したんですね。 その時に、僕はこの人たちとより良い形でつながった生き方をしていきたい、と思ったんです。
それは漠然とした思いに過ぎませんでしたが、帰国後に大学院に進んで南部アフリカ研究をしながら進路を考える中で、国際協力のひとつの形としてフェアトレードに関心を持つようになりました。修行させてもらうつもりでエスニック雑貨・食材を扱う京都の会社に就職し、バイヤー(仕入れ担当)としてアフリカやアジアで雑貨を買い付けたり、古材を集めて家具を作ったり。ものへのこだわりが増して、ものづくりがどんどん好きになっていったのを覚えています。
4年間経験を積んで独立する時、10年後の自分が生き生きできる仕事を思い浮かべて、自分が良いなと思う空間でフェアトレード商品を提案し、誰もが刺激を受け合う交流の場を創りたいと考えて、シサムの開業を決めました。ちょうど30歳の時です。そんなに資金もなかったし、百万遍の小さな店は、お寺の古い壁土をもらって再利用するなど友人たちと手作りして。
最初は古民具や家具が多く、フェアトレード商品はショールやアクセサリー、生活雑貨などの小物を扱っていましたが、数年後に専属デザイナーが加わり、衣料品に領域が広がっていきました。それほど恵まれた立地ではなかったのですが、気に入って通ってくださるお客様もいて、おかげ様で少しずつ事業が軌道に乗っていったという感じでしょうか。
フェアトレードに甘えないこと
――海外の生産者と日本の消費者をつなぐ仕事で心がけていることは?
水野さん フェアトレードというと、以前はチャリティのイメージが強かったのですが、僕は一貫して事業として取り組んできました。お客様はフェアトレード商品だからではなく、良いもの、気に入ったものだからこそ買ってくださる。他方で開発途上国の生産者に対しては、おカネやモノを一方的にあげるのではなく、経済的に弱い立場にある人たちが自立できるように、継続的に仕事を提供していく仕組みがフェアトレードです。
近江商人の哲学として「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」が有名ですが、シサムでは「作り手よし、地球環境よし」を加えた「五方よし」をミッションに掲げています。フェアトレードは生産者・消費者の双方にとって良いものでなければならないし、商品を製造する過程で自然への負荷を極力減らし、地球環境を守って次世代につなげるタスクもあります。
社内で徹底しているのは「フェアトレードに甘えない」ということ。シサムの事業は「ものへの共感」があって初めて成り立ちます。フェアトレードだから不良品があったり、納期が遅れたりしても仕方ないでは済まされません。こちらでデザインしたものを発注して、現地で商品を作ってもらうわけですが、20年前はお互い今のようなレベルじゃなかった。当初は日本ではとても通用しないような雑な仕事もあり、「これじゃダメなんだ」と根気強く説明したり、やり直したりを繰り返して、現地NGOも生産者も、私たち自身も一緒に成長してきたように思います。
その一方で、やはり大量生産・大量消費の規格品ではないので、お客様には同じ服でも必ずしも均質ではなく、ひとつひとつ個性があることを丁寧にお伝えするように心がけています。わずかな縫い目の乱れ、織ムラなどは手作りの味わいでもありますからね。とはいえ、もちろん不良品は信用問題になるので、社内で厳しく検品して「これはダメ」という線引きはきっちりしています。商品開発部門も販売部門も真剣なので、時には白熱した議論を重ねることもあって、今もチャレンジの連続です。
エシカルなメンズ服の選択肢増やす
――新しいことにもチャレンジされているとか。
水野さん フェアトレードってすごい仕組みなのに、なぜなかなか広がらないのだろうと創業以来ずっと考えてきましたが、SDGs(持続可能な開発目標)の普及で少し変わって来たような気がします。2021年に始めた取り組みが「エシカルなメンズ服」の販売です。僕が今着ている服もジャケットからボトムスまで全部その商品なんですよ。
フェアトレードを含むエシカル消費って、ソーシャルな意識の高い女性にまず響く傾向があり、男性にはとっつきにくいところがあります。その点、SDGsは政府や企業が当事者なので、男性の意識も変わらざるを得ず、新たなニーズが増えると予測しました。温暖化の影響もあって、オフィスでもノージャケット、ノーネクタイなどが普通になり、エシカルなファッションを楽しみたいというメンズの潜在的ニーズは確実に高まっています。
でも、僕自身が感じていたことでもありますが、たとえエシカルを意識したとしても、男性にとってそういう選択肢が市場にまだまだ少ない。じゃあ、自分でも着たいものを作ろうと。世の中に選択肢を増やすのもシサムの役割だと考えて、環境に配慮した独自デザインのメンズ服をインドの生産者に発注して発売しました。天然素材のボタン、余り布を使用した裏地、そしてワンポイントの刺繍と細かいところにもシサムの遊び心が詰まっています。男性客はもちろん、ユニセックスのファッションとして女性が買ってくださることもあり、想定外の広がりを見せています。
もうひとつは「ロングライフ・プロジェクト」。ものづくりの会社として、販売するだけではなく、その後のことも考えて、買っていただいた商品はできるだけ長く使ってほしいと思っています。環境に負荷をかけて作ったものを、短期間消費して終わりではいけない。例えば、大切に着ていた服のシミが取れなくなったら、捨てるのではなく染めてみる。どうしても不要になったものは当社で回収し、販売ではなく社会活動へのご寄付と引き換えにお譲りしたり、裂き織りにして生まれ変わらせたりすることを提案しています。リサイクルではなくアップサイクルの発想ですが、これからも試行錯誤しながら進めていきたいと思っています。
NGOの人道支援活動を応援
――ミャンマーを追われたイスラム少数民族ロヒンギャ難民の問題を通じて、AAR Japanが取り組む人道支援を応援していただいています。
水野さん 開発途上国の問題に関心を持ち続けていましたが、京都の大学で開かれた写真展でロヒンギャ難民の写真を見て、アパルトヘイトを思い出したんです。いわれない差別や弾圧を受けている人々がここにもいるんだって。ぜひ支援したいと思って寄付先を探す過程で、AARがロヒンギャ難民キャンプで活動していることを知り、さらにロヒンギャ問題の本(『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』)を読んで理解を深めました。
フェアトレードの道に進むことを決めた時、実はNGOという選択肢もあったんです。NGOにはリスペクトしかないし、とにかくプロフェッショナルであり続けてほしいと思っています。紛争や災害のニュースを見て、僕たちは心を痛めることしかできませんが、AARをはじめNGOの人たちは世界中で起きる深刻な事態に対して、感傷ではなく、さて具体的にどうするかということを常に考えて行動しているのだろうと思います。
僕たちの事業をNGOの活動にも何らかの形でつなげていきたいと思って、昨年春の創業祭では売上の一部をAARのロヒンギャ支援に寄付させてもらったり、この裏寺通り店でトークセッションを開いたりしました。そんな感じで無理なく緩やかに連携していければいいですよね。
遊び心もって楽しくお洒落に
――フェアトレードを通じて伝えたい思いを聞かせてください。
水野さん シサム工房は「What you buy is what you vote~お買いものとはどんな社会に一票を投じるかということ」というスローガンを打ち出しています。例えば服を買う時、価格が安いとかお買い得とか、格好いい流行りものだとか、商品を選ぶ物差しはたくさんあります。ですが、「自分事」として買い物をしても、もしかしたら知らず知らずのうちに、児童労働や環境破壊などの社会課題をそのまま買い支えてしまっているかも知れない。そうなると自分事だけでは済まない訳です。
何かを買うことは、その背景を含めて賛成票を投じてるっていうこと。僕自身は貧困や差別、紛争、風習などのせいで自分の未来の選択肢さえ持っていない子どもたちをなくしたいという想いで、賛成票を投じるようにしています。 日常のお買い物などいろいろな場面で、一人ひとりが少しずつ意識するだけで、より良い社会になっていくんじゃないか。そんな流れを創るのもフェアトレードの社会的役割ではないかと思います。
だからといって、お買い物するのに貧困とか環境とか言われたら楽しくなくなっちゃいますよね。まずはお買い物を通じて、わくわくした気持ちを楽しんでもらいたい。いつもそんなふうに考えながら、魅力的な商品開発に力を入れたり、提案の仕方を工夫したりしているんですが、最近は賛成票を投じるって考えること自体、それはそれで楽しめたりしないだろうかと思ったりしています。
フェアトレードが持つ前向きな力で、新たなライフスタイルを提案していく。あくまで遊び心で、楽しく、お洒落に。パーフェクトじゃなくていいので、シサムらしくやっていきたいと思っています。
ひとこと 京都はコロナ明けの昨年来、観光シーズンは市バスに乗れないほどのオーバーツーリズム状態。そんな狂騒を逃れ、ひと筋入った裏寺町通にたたずむシサム工房の店舗には、ほっと安心できる空間が広がる。優しい風合いの商品ひとつひとつに、人と人とをつなぐ「物語」が織り込まれているからだろう。分断と対立、不寛容の気分が世界中に蔓延する時代、つながることに価値を見出す消費者は決して少なくないと思う。
中坪央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当
全国紙の海外特派員・本社編集デスクの後、国際協力機構(JICA)の派遣でアフリカ・アジアの紛争復興・平和構築の現場を取材。2017年AAR入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。2022年以降はウクライナ危機の現地取材を続ける。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。