尾崎行雄ゆかりの洋館を守る 山下和美さん & 笹生那実さん
2020年12月7日
東京都世田谷区豪徳寺にひっそりと建つ明治時代の洋館が今、日本の議会政治の黎明期から戦後まで活躍し、「憲政の父」と呼ばれる政治家、尾崎行雄(咢堂/1858~1954年)ゆかりの邸宅として注目を集めている。尾崎の三女、相馬雪香(1912~2008年)が創設したAAR Japanともつながりがある洋館は2020年夏、取り壊しの危機に直面した。それを救ったのが、同区内に住む山下和美さん、笹生那実さんのふたりの人気漫画家を中心とした住民有志の保存運動だった。代表作『天才柳沢教授の生活』で知られる山下さん、先頃出版した『薔薇はシュラバで生まれる』が大好評の笹生さんに、洋館の保存に立ち上がった思いを聞いた。
(聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2020年11月30日にインタビュー)
一時は取り壊し目前に
――水色の外壁が印象的な木造二階建ての洋館は、撤去される寸前だったそうですね。保存運動の経緯を教えてください。
山下さん 私が10年前、この町に引っ越すことを決めた理由が、あの洋館だったんですよ。ひと目で「乙女っぽくて、かわいい!」と気に入ってしまって。この界隈では「旧尾崎行雄邸」として知られていて、私はいつも愛着を持って眺めていました。ところが2019年3月、洋館を取り壊して建売住宅を数棟建てる計画があることを近所の人から聞いたんです。何とか保存する手立てはないかと「旧尾崎行雄邸保存プロジェクト」を立ち上げ、不動産会社と折衝を始めました。住んでいる方はおられたのですが、すでに土地・建物を売却して所有権は会社側に移っていました。
洋館そのものに不動産的価値はないのですが、敷地ごと買い取るには数億円かかるということもあって、交渉は1年余り進展しませんでした。それが今年6月下旬に居住者の方が突然転居されて空き家になり、間もなく「解体工事のお知らせ」が門に貼り出されたんですよ。びっくりして急きょネット署名を開始し、保存を求める署名約3,000人分(12月5日現在4,018人)を集めて不動産会社に送りました。保存プロジェクトのフェイスブックを立ち上げて、買い取り資金を調達するクラウドファンディングを準備しながら、会社側と直接交渉を進めました。この問題が毎日新聞をはじめメディアで相次いで報じられ、小池百合子・東京都知事が支援の可能性を示唆するなど関心が高まったものの、資金集めのめどが立たないまま、何とか解体工事だけは延ばしてもらっていました。
笹生さん 私はその頃にフェイスブックで保存運動を知り、同じ世田谷区に住んでいるので、一度こっそり洋館を見に来たんですよ。水色の外壁がかわいらしくて「素敵な建物だな、残したいな」と思いました。資金が足りずに解体・撤去が迫っていると聞いて、山下さんに「お手伝いします」と連絡し、同じく漫画家の夫(『静かなるドン』新田たつおさん)に話して説得したところ、しばらく考えて「自分の作品は今も多くの読者に読んでもらっている。社会への恩返しのつもりで、取り壊しを防ぐための一時所有であれば協力しよう」と了承してくれたんです。山下さんたちが交渉して8月末に買い取り価格に最終合意し、支払いを経て、11月30日に所有権が無事に保存プロジェクト側に引き渡されたという経緯です。取り壊しを免れて、私もひとまず安心しました。
都内最古級の洋風邸宅
――この洋館は、1)高級官僚だった尾崎三良男爵が明治21年(1888年)頃、英国留学中に結婚(後に離婚)してロンドンに残してきた娘のテオドラ英子(雪香の母)が単身来日したのを機に、麻布区(港区)六本木に建てたとする説、2)テオドラと結婚した東京市長(知事)の尾崎行雄が明治40年(1907年)頃に建てたとする説――があると聞きました。義父・娘婿の関係にある三良と行雄がもともと同じ尾崎姓なのがややこしいのですが、いずれにせよ、英国生まれのテオドラのために洋館を建てたのは間違いなさそうです。三良が建てたとしても、所有権は娘婿の行雄に引き継がれ、行雄が知人の英文学者に譲渡した後、1933年(昭和8年)に現在の場所に移築されて、学者の方の子孫が住み続けておられたという流れですね。
山下さん 大学の研究者の調査では今のところ明治21年説が有力で、そうであれば東京都内に現存する最古級の洋風邸宅になるそうです。『尾崎三良自叙略傳』には同年6月、新邸披露会に伊藤博文・枢密院議長ら政府要人を招いたという記述があって、歴史的にも貴重な建物と考えられます。内部は全面改修が必要ですが、全体の構造は130年余り経った今も非常にしっかりしています。計画としては、一時所有する新田さんから受け継ぐ形で私と笹生さんを含む5人ほどが共同所有します。洋館を曳家で移動して敷地(約200坪)を有効活用できるようにしたうえで、1階部分をカフェ、漫画やイラストを展示するギャラリー、2階をシェアオフィスやレンタルスペースとして再生したいと考えています。もちろん、法的規制の検討や行政との調整をしなければなりませんが、将来的には敷地内に他の洋館を建て、庭も整備して「洋館村」として公開できればと夢が広がります。
大切なものを残したい
――TVドラマにもなった山下さんの「柳沢教授」は「モーニング」連載中から存じていますし、笹生さんの「シュラバ」は1970年代に活躍した女性漫画家たちのエピソードが盛り込まれていて、少女漫画史としても面白いですね。そんな山下さん、笹生さんが洋館保存運動に立ち上がった理由、そこに込めた思いとは何でしょうか。
山下さん 建物でも何でも今日残っているものって、長い歳月を経て研ぎ澄まされてきたものであって、それを真似して作ろうとしても二度と作れないんです。そういう古いものが壊され、殺風景な景色に変わるのをさんざん見てきました。私は自分が生きているうちに古い館をひとつでも守って、100年後に研ぎ澄まされたものを残したいという願望を持っていて、この洋館を守ることは自分の夢をかなえることにもなるんですね。
私は北海道の小樽出身で、小学校6年まで過ごしました。山の手に並ぶ美しい洋館は、子ども心にも大きな憧れでした。亡くなった経済学者の父(古瀬大六・横浜国立大学~東北大学教授=柳沢教授のモデル)が当時勤めていた小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)は、そんな洋館をいくつも所有していて、円筒形の不思議な建物や、国会議事堂のような学長の立派な邸宅を今も鮮明に覚えています。そうした洋館の多くが近年、次々に失われてしまったのは残念でなりません。
笹生さん 私が生まれ育った横浜も洋館が多く、港の見える丘公園から山手十番館あたりの眺めは子どもの頃から大好きでした。私も古くて価値があるものをきちんと残していきたいと考えています。そういう大切なものを失うと、その時代のこと、昔のことを忘れてしまう気がするんです。本当に惜しいですよね。欧州など海外を旅行すると、歴史的な建物がたくさん残っていて、日本との違いを感じます。「もったいない」という言葉は日本語にしかないと聞きましたが、それは日本人がもったいないことをしているからなのかも知れません。
何かを残したいという気持ちは、漫画の仕事をするうえでも同じです。育児に追われて30歳代で引退し、32年ぶりに描いた「シュラバ」は、私がアシスタントとしてお世話になった美内すずえ先生、三原順先生、山岸凉子先生など、少女漫画黄金期と呼ばれる時代に多くの名作を生んだ女性漫画家の先生方や仲間たちとの実際の経験を描いているんですが、これも私にとって残しておきたい当時の大切な記憶であり記録です。薔薇のような名作が生み出される現場は本当に修羅場そのものでした(笑)。
東日本大震災の被災者を支援
――来年3月11日で東日本大震災から10年になります。山下さんは当時、70人の漫画家と共同で「チャリティ漫画本」を出版し、笹生さんはチャリティカードを販売するなどして、東北の被災者を支援されました。AARは震災直後から今日まで、被災地で障がい者福祉施設やお年寄り、子どもたちの支援活動を続けています。困難に陥った人々に手を差し伸べる取り組みについて、どのようにお考えですか。
笹生さん 助け合いって本当に良い言葉だと思います。誰かを一方的に助けるんじゃなくて、困った時は互いに助け合えるというのは素晴らしいことではないでしょうか。私たちはたまたま難民にも被災者にもなっていない、たまたま障がいを持っていないだけのこと。自分が困難な立場に置かれることだってあるかも知れません。ですから、困っている方々がいたら、ごく自然に手を差し伸べられればと思います。
山下さん 人道支援は難民が発生したとか大災害が起きたとか、その時は盛り上がるんだけど、1~2年すると皆が忘れてしまう気がします。そうじゃなくて、常に忘れないように定期的に火を付けるというか、動くためのきっかけを作る必要があるのではないでしょうか。この洋館保存運動も私たちの呼び掛けに多くの方々が応えてくれて、同じ気持ちを持って支援の輪が広がった気がします。尾崎行雄さんから始まって、相馬雪香さん、そしてAARさんにもつながった訳だし、そういうつながりを大切にしていきたいですね。
そうそう、この洋館保存運動を描いた漫画の新連載『世田谷イチ古い洋館の家主になる』が「グランドジャンプ」(集英社)で年明けにスタートします。どれくらいの期間の連載になるか? それはこの洋館がどうなっていくか、今後の展開次第なので何とも言えませんね(笑)。
ひとこと 私事ながら昨年、郷里の実家が更地になった。築60年ほどの小さな家だったが、両親が長く暮らし、自分と弟が生まれ育った家が庭木ごと消え去った喪失感は想像以上だった。どんな家にも、それを建てた施主や職人、生活した人々の記憶と時間が封印されている。取り壊してしまえば何もかも瞬時に霧消し、二度と戻って来ない。瀬戸際で生き延びた水色の洋館は、この先どんな時間を紡ぐのだろうか。(N) |
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣で南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争復興・平和構築の現場を長期取材。新聞社時代にはアフガニスタン紛争、東ティモール独立、インドネシア・アチェ紛争などをカバーした。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。栃木県出身