特別インタビュー Interview

「顧みられない熱帯病」に挑む 飛弾 隆之さん(エーザイ株式会社)

2020年9月16日

エーザイ株式会社の飛弾さんが、エーザイの活動地が載った世界地図の前で立っている

新型コロナウイルスの感染拡大が続く現在、世界の製薬会社が治療薬の開発競争にしのぎを削る。そんな中、製薬大手のエーザイ株式会社(本社:東京都文京区)は「ヒューマン・ヘルスケア」(hhc)を企業理念に掲げて、開発途上国・新興国の「顧みられない熱帯病」にも取り組んでいる。スーダンの熱帯病「マイセトーマ」の制圧に向けて、AAR Japanと協働する同社サステナビリティ部副部長の飛弾(ひだ)隆之さんに国際貢献について思いを聞いた。

(聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2020年9月1日にインタビュー)


ヒューマン・ヘルスケアの理念

――御社は「ヒューマン・ヘルスケア(human health care:hhc)のエーザイ」がキャッチコピーですが、そもそもhhcとは何ですか。

飛弾氏 「ヒューマン・ヘルスケア」とは1989年に打ち出された当社の企業理念で、患者さんや生活者の皆様の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献することを意味します。私たちの顧客は誰かを改めて考えた時、当時は薬を処方するお医者さんを中心にビジネスを考えるのが一般的だったのですが、そうではなくて、薬を服用する患者さんのことを第一に思うべきではないのかという発想に行き着きました。医薬品を開発して販売するだけではなく、患者さんやご家族の気持ちにまで寄り添わなければならない。例えば、嚥下力の弱い認知症患者さんには、錠剤を砕いたりゼリーに混ぜたりしたほうが服用しやすい場合もあります。そういう言葉にならないニーズを理解するために、当社は全社員に就業時間の1%(年間2~3日程度)を患者さんやご家族とともに過ごすことを、業務として奨励しています。海外の現地法人も同じであり、世界中で毎年約500件の活動プログラムが実施されています。

私たちは社会課題の解決に向けた取り組みを、いわゆるCSR(企業の社会的責任)とは考えていません。CSRによる社会貢献は、その時々の売上や収益、経営戦略にどうしても左右されますが、当社はこれらの取り組みをあくまでビジネスの一環と位置付けています。

AARのポロシャツを着たスタッフが、屋外での研修の様子を見守っている

スーダン・白ナイル州でマイセトーマ啓発活動を行うAARスタッフ=2017年

スーダンのマイセトーマ制圧事業

――AARはスーダンの熱帯病マイセトーマ対策事業で御社と協働させていただいています。

飛弾氏 世界保健機関(WHO)や世界銀行、各国政府、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、大手製薬会社などが2012年、「顧みられない熱帯病」(Neglected Tropical Diseases:NTDs)の制圧に向けた共同声明「ロンドン宣言」を打ち出しました。現在20疾患が指定されているNTDsは、開発途上国・新興国の貧困層や紛争地域を中心に10億人以上が罹患する寄生虫・細菌感染症で、マイセトーマもそのひとつです。主に足の小さい傷から細菌や真菌(カビ)が皮下組織に入り込み、徐々に骨や筋肉を破壊していく深刻な炎症性疾患で、アフリカや中南米、インドなどで多数発生しています。治療法は確立しておらず、スーダンの国立ハルツーム大学マイセトーマ研究所に最も多くの知見が集められています。

当社が創出した治療薬が真菌性マイセトーマに効く可能性があり、マイセトーマ研究所やNTDs制圧に取り組む国際組織と協力して、2017年に臨床試験を開始しました。この過程で、2013年から同国でマイセトーマ対策の衛生啓発活動に取り組んでいたAARの方と出会い、現地での理解促進のための啓発や研修、意識調査などの協働事業を行うことになりました。

私も首都ハルツームから車で悪路を6時間かけて、マイセトーマが蔓延する地域を訪ねましたが、ナイル河流域の湿地帯にある村は極度に貧しく、診療所はあっても医師が常駐しておらず、設備の整った病院などありません。病気になると、祈祷師が針や石で患部を傷付けて悪霊を外に出すような伝統医療に頼る人が多いんですね。我々が考える医療とはかけ離れた状況を目の当たりにしました。
臨床試験は新型コロナの影響で予定より遅れていますが、3段階ある治験の第2段階まで進んでいます。WHOがNTDsの完全制圧を目指す2030年までには、有望な治療薬として届けることができればと期待しています。

大きな会議室で8名が並んでいる

スーダン・ハルツームで開催されたマイセトーマ国際会議にAARとともに出席した飛弾氏(左端)=2019年2月

「象皮病」治療薬20億錠を無償提供

――同じくNTDsのひとつである「リンパ系フィラリア症」の治療薬を御社がWHOに無償提供し、いくつかの国での制圧に貢献したと聞いています。

飛弾氏 フィラリア(糸状虫)が寄生して身体の抹消部が肥大化する病気で、一般には「象皮病」として知られます。世界72カ国で制圧活動が開始されましたが、かつては日本でも九州南部や南西諸島に多く、江戸時代に大流行した記録があるほか、西郷隆盛もこの病気だったと言われています。日本で制圧が宣言されたのは意外にも1970年代のことです。

当社CEOの内藤晴夫が2009年、世界の製薬会社などが加盟する国際製薬団体連合会(IFPMA)の会長に就任し、WHOから製薬業界としての国際貢献を強く要請される中で、フィラリア症制圧に協力することになりました。実はDEC(ジエチルカルバマジン)錠という治療薬はすでにあったものの、採算が見込めないために供給量が少なく、制圧には高品質の治療薬が大量に必要でした。ちょうどエーザイのインド工場が稼働開始することもあって、当社が製造・提供を決定したところ、それを知ったインドの製薬会社が協力を申し出て、持っていたDEC錠のレシピ(製造法)を教えてくれたんですよ。おかげで準備に要する時間が短縮され、予定通り供給を始めることができました。これまでに当社インド工場で製造した約20億錠を無償提供し、WHOが指定する28カ国に送りました。フィラリア症対策は粘り強い取り組みが必要で、担当者が蔓延した地域を訪ね、村人ひとり残らず全員一緒にDEC錠を飲んでもらう。予防にも治療にも効果がありますが、これを年1回・5年間繰り返さないと完全には予防できないんです。この業務は各国の保健当局やNGOが担いますが、当社も地元インドや東南アジア諸国の現地法人に担当マネージャーを置き、実際に村まで行って薬の配布やモニタリングを行っています。これまでに当社のDEC錠を使用する国のうち、スリランカなど4カ国で制圧が報告されています。

この延長として、NTDsである「住血吸虫症」の治療薬をアフリカ諸国に無償提供しているドイツのメルク社と共同で、ケニアのNTDs蔓延地域4カ所に安全な水を供給する大型タンクの設置を進めています。フィラリア症は患部を清潔に保つ必要があり、住血吸虫症は川や湖に生息する住血吸虫の幼虫が皮膚から侵入して感染するので、いずれも衛生的な水の供給が重要です。天水(雨水)を利用するシンプルな給水システムで、利用者はごく少額の料金を支払い、その売上を設備のメンテナンスに使って持続性を確保する方式で運営されます。

このほか、NTDsと並んでグローバルヘルスの重要課題である三大感染症(HIV/エイズ、結核、マラリア)のうち、新たな抗マラリア剤の開発を米国の研究機関と共同開発していて、治験の第2段階まで進んでいます。世界では今もマラリアで年間40万人が死亡し、特に多くの子どもが犠牲になっています。既存の薬が効かない耐性原虫が現れて感染数が増加に転じており、新薬の開発が急がれます。

家の中で家族とともに撮影された記念写真

インドのフィラリア症患者の家を訪ねた飛弾氏(左端)=2016年(エーザイ提供)

薬の研究開発から国際貢献へ

――飛弾さん自身は製薬の研究者としてエーザイに入社されたとか。

飛弾氏 大学・大学院で薬学を専攻し、当社では免疫系の薬の研究を担当していたんですが、そこで新薬開発の難しさを実感しました。入社10年目頃から研究者と経営陣の思考のギャップを埋める必要性を感じて、大学院のビジネススクールに入学し、選択した研究テーマが「いかにして貧困層に薬を届けるか」でした。有効な治療薬があっても途上国・新興国の貧困層には買えない現実があり、欧米社会などでは製薬業界に対する厳しい批判もあります。製薬会社として何ができるのか、例えば開発した薬を資金力のある誰かに”No Loss No Profit”で購入してもらうなど、持続性がある会社のシステムとして解決する方法を真剣に考えました。

当社はこの時期、NTDs制圧事業に参画したり、開発途上国向け医薬品開発のグローバルな連携を推進する(公社)グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)の設立に加わったりと、製薬会社としての国際貢献を本格化させました。2015年にはSDGs(持続可能な開発目標)が国連サミットで採択されます。当社はSDGsの「貧困の撲滅」「健康と福祉」「水と衛生」「パートナーシップ」などの目標にコミットしていますが、その核になるのは”Access to Medicines”(医薬品アクセス)の向上です。良い薬を開発・製造するだけでなく、世界中の貧困層にも薬を届けること、SDGsの精神である「誰も置き去りにしない」ことを実現するのが、製薬会社が取り組むべき社会課題の解決になると考えます。

足が膨れた女性が椅子に座っており、腰をかがめた3名のスタッフと話している

インドのフィラリア症患者に語り掛ける現地法人社員=2016年(エーザイ提供)

NGOは大切なパートナー

――AARのようなNGOとの協働をどのように考えていますか。

飛弾氏 スーダンのマイセトーマ事業に着手するにあたって、当社はアフリカに拠点がなく、市場・販路も全くありませんでした。ましてやマイセトーマの蔓延地域には医療の環境もありません。治療薬になり得る薬があっても、どうやって患者さんにアクセスしてもらえばいいのか、私たちだけでは解決策を見出すことはできないと考えていました。他方、WHOのNTDs制圧の会議には、現場に薬を届けるなど制圧事業に参画する海外のNGOも出席していました。そんな時、ある報告会でAARのスーダンでのマイセトーマ対策の発表を聞き、すでに現地で正しい知識を広める啓発活動に取り組んでおられることを知りました。すぐに情報交換を始めて、私たちにとって唯一無二の大切なパートナーになっていただいた次第です。

そもそも薬を必要としてもらうには、祈祷師にしか頼れない人々に「これは悪霊のせいではなく病気であり、病院に行って治療を受けたほうが良い」という、私たちにとっては当たり前のことを、まずは認識してもらわなければなりません。そのためには、村々に入り込んで地道な啓発活動を展開していくしかありませんが、それをAARさんがすでにスーダンで実施されていたことに驚きました。

医療へのアクセスの問題は途上国だけの話だと思うかも知れませんが、そうではありません。日本でも少し前までは、お年寄りの物忘れを「痴呆」と呼んでいましたが、加齢による物忘れと認知症による記憶障害は今日、医学的に明確に区別され、認知症の治療薬もあります。ですから、病気を病気と認識して治療の必要性を理解するプロセスは、ある意味で世界共通の課題とも言えるのです。

「顧みられない熱帯病」の制圧にはまだまだ時間がかかりますし、SDGsの達成も容易ではありません。グローバルヘルスの分野では、国連や国際機関、各国政府、財団・基金、NGO・NPO、民間企業など多くのプレーヤーとの連携が今後ますます重要になります。私たちは医薬品へのアクセス向上を通じて社会課題の解決を図り、世界の人々の健康と幸福にさらに貢献していきたいと思います。

ひとこと 江戸・徳川幕府の「小石川御薬園」(現植物園)近くに本社を構えるエーザイは、ビタミン剤「チョコラBB」、胃腸薬「サクロン」などでお馴染み。コロナ禍の今、国際ネットワークに参画して治療薬の共同開発を急ぐ。他方、DEC錠の無償提供を始めとするグローバルな熱帯病対策への貢献は、日本で広く知られている訳ではないが、それで救われた命、守られた健康の価値はプライスレス。(N)

中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局

全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣で南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争復興・平和構築の現場を長期取材。新聞社時代にはアフガニスタン紛争、東ティモール独立、インドネシア・アチェ紛争などをカバーした。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。栃木県出身

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