特別インタビュー Interview

世界を知る義務がある。すでにわれわれは当事者だ ! ライムスター宇多丸さん(ラッパー・ラジオパーソナリティ)

2025年9月10日

ラッパー、ラジオパーソナリティ、映画評論家として幅広く活躍するライムスター宇多丸さん。難民問題をはじめ世界の社会派ドキュメンタリーに造詣が深く、このほど新刊『ドキュメンタリーで知るせかい』(リトルモア)を出版したばかり。深刻な人道危機が相次ぎ、米国トランプ政権が引き起こした新たな対立・分断が広がる今、ドキュメンタリーを通して見えてくる世界のリアル、そして世の中に対して思うことを縦横無尽に語ってもらいました。

     (聞き手:AAR Japan 中坪央暁/2025年9月5日にインタビュー)


ドキュメンタリー映画のとんでもない面白さ

――まずは出版おめでとうございます。アジアンドキュメンタリーズ社長の伴野智さんとの対談集ですね。紹介されている31本のドキュメンタリー映画は、難民・移民や人権問題、環境破壊など重いテーマばかりなのに、どんどん読み進んでしまいました。

宇多丸さん 僕がTBSラジオの番組内でやっていた映画の企画を本にしてはどうかというオファーをもらって、対談を何回かやってまとめれば比較的簡単にできるかな、という程度に当初は甘く考えていたのですが、やってみると実に大変な仕事で……世界の状況は刻々と変わるし、僕自身も関連書籍を読んで勉強したり、伴野さんも事実関係を確認したりしなければならず、その過程で自分の理解がいかに浅いかということを痛感しました。それに、通常の映画本と違って、読者が作品を観ているわけじゃないことを考慮して解説する必要もありました。

►新刊『ドキュメンタリーで知るせかい』

その意味で本としてはややハードルが高いんですが、それでも頑張って出そうと思ったのは、何よりも社会派ドキュメンタリーという一見取っ付きにくいメディアが、とんでもなく面白いということ。まあ、面白いという表現が不適切なくらい深刻な話が多いんですが、観る側の知性と感情がストレートに揺さぶられて、下手な劇映画よりもはるかに感情移入させられる。ホントにめちゃくちゃ面白いよ!ってことなんです。

もうひとつは、ニュースで知識として知るだけの遠い国の出来事であっても、そこには僕たちと全く同じ普通の人々がいて、それは紛争の死者が何人といった数字じゃなくて、個々の人間の肌合いみたいなものが映像を通じて伝わってくるということ。他人事だった社会問題が、まるで知り合いの身に起きたかのような身近な体験になるんですよ。世界に一歩踏み出すための窓、あるいは入り口として、こういうドキュメンタリー映画を紹介するのは、チャラいサブカルに関わってきた僕だからこそ、やる意味があるのかなと思いました。

『ピアノ―ウクライナの尊厳を守る闘い―』の一幕

『ピアノ―ウクライナの尊厳を守る闘い―』(アジアンドキュメンタリーズで配信中)

► アジアンドキュメンタリーズ

ウクライナの歴史を象徴する一台のピアノ

――本の冒頭、ウクライナで2013~14年に起きた「ユーロ・マイダン革命」を描いた『ピアノ―ウクライナの尊厳を守る闘い―』(2015年)を解説していますね。私は今夏、舞台となった首都キーウの独立広場を訪ねたばかりで、この機会に改めて作品を観ました。

宇多丸さん 今も続くロシアのウクライナ軍事侵攻につながる歴史的な出来事を、カメラが多角的に追った作品です。親ロシア派のヤヌコーヴィッチ政権に抗議するデモ隊と治安部隊が衝突する現場で、ひとりの女性がピアノでショパンを演奏する場面が印象的に描かれていて、比較的分かりやすい象徴性が感じられるんですが、それに留まらず41分という短い時間にさまざまな要素が濃密に集約されています。

ロシアの軍事侵攻は明らかな国際法違反、もう完全にアウトの侵略行為だし、国力の差を見ても「どっちもどっち」なんて安易に相対化できるような事象じゃありません。他方で映画に登場するウクライナの人々も一枚岩じゃないことが分かって、作品自体が単色の単純化されたメッセージではなく、まさにドキュメンタリーならではの多層性をはらんでいます。ドキュメンタリーの入門編として、ぜひ観ていただきたいですね。

――その他にお勧めのドキュメンタリー作品は?

宇多丸さん いくつかのジャンルに分けて紹介していますが、日本でも身近なテーマとして取り上げた結婚問題では、婚活に奔走する3人の中国人女性と家族の本音を描いた『結婚しない、できない私』(2019年)が、とにかく号泣と拍手の大傑作です。都会で立派にキャリアを積んでいる弁護士の女性が、田舎に帰ると結婚しないことを実家で散々責められたりする。「結婚は誰のため?」という本質的な問い掛けは、今日の日本社会にも通じますよね。

「もう、どうすればいいんだ!」と頭を抱えざるを得ないインパクトという点では、『わたしの、幼い息子イマド』(2021年)でしょうか。イスラム国(IS)統治下のイラクで、2歳の時に拉致されたヤジディ教徒の男の子は、解放されるまでの2年余りで完全に洗脳され、ISを転写したみたいな子どもになってしまった。父親は拉致されて行方不明、母親は性奴隷にされた記憶に苦しみ続けています。しかし、想像を超える悲惨な現実に打ち勝つには、結局は人の善意と愛しかないんだということを感じさせてくれる作品です。

ウクライナの独立広場の写真。無数の国旗と戦没者の遺影。

ウクライナの戦死者を悼む無数の国旗と遺影=首都キーウの独立広場で2025年7月(中坪央暁撮影)

難民問題でも観てほしい作品がたくさんありますが、例えば『難民の通る村で』(2016年)は、欧州に向かうシリア難民の通り道になったブルガリアの寒村が舞台です。有権者数十人の村長選挙で、村の活性化のために難民受け入れを訴える主人公と、難民排斥を主張する対立候補のはざまで揺れ動く人々の心情が描かれています。登場人物のキャラが立っていてコメディの味わいもありますが、最後に悲劇的な事件が織り込まれて、小さな村から見た世界の重い課題が胸に迫って来ます。

世界のいろんなことに興味が尽きない

――宇多丸さん自身、サブカルから社会派ネタまで、どういう文脈で関心領域が広がっているのでしょうか。

宇多丸さん まぁ単純にいろいろなことに興味が尽きないというだけなんですが、社会問題への関心は、幼い頃から両親の薫陶を受けたことも大きいかも知れません。精神科医だった父からは日本の社会運動についてよく話を聞いていたし、戦争については母の経験を聞いて学んだことがたくさんあります。ドキュメンタリーを観るようになったのも母の影響で、小学生の頃からホロコーストの記録映画などの上映に連れて行ってもらったりしていました。

高校生くらいからブラックミュージックに魅かれ、早稲田大学時代にヒップホップのグループを結成しましたが、もともとヒップホップカルチャーは、貧困地区の若者が自分たちの環境の中で自ら編み出した表現方法です。その意味で、彼らの作品に触れるということは、すなわち遠い国の人々の生の声を聞くということであって、ドキュメンタリー映画を観るのと近い感覚があると言えるかも知れません。

同じように、僕は僕で自分の言葉で自分自身の考えをまさにドキュメンタリーのように伝えようとしていて、その意味ではラップも、文章を書いたりラジオでしゃべったりすることも、すべて一直線。いろんなことをやっているように見えるかも知れませんが、僕の中では一貫しているつもりです。

宇多丸さんのステージ写真

ステージに立つ宇多丸さん(スタープレイヤーズ提供)

世界を単純化したい欲望の「合わせ鏡」

――トランプ米大統領の不寛容な難民・移民政策が世界に影響を与え、日本でも外国人排斥の風潮が広がりつつあります。現状をどう受け止めますか。

宇多丸さん 海外援助を打ち切って、難民支援を止めたり病院を閉鎖したりって、即座に人の死に直結する話ですよね。あってはならないことですが、でも、トランプは米国民による選挙で選ばれて大統領になった。つまり、トランプひとりの問題じゃないんですよ。

この複雑極まりない世界の現実を、何とか努力して複雑なまま受け止めていこうとする面倒な道じゃなくて、もっとシンプルに割り切ってシンプルに仕切ってしまえ、という大衆の欲望が、トランプというとんでもない存在を生み出したんじゃないでしょうか。戦争とか差別とかを防ぐために、これまで人類が議論を積み重ねてきた知恵を全部無視して、良識は関係なく極端な発言をすればするほど、実はウケるということを彼は知っている。

何なら、自分に対する良識派の非難や攻撃も、その言葉の総量が増えれば増えるほど、逆にパワーとして取り込んでしまう。トランプがやっていることは、言ってみれば人々の欲望の「合わせ鏡」であって、もし環境保護や人権尊重を訴えるほうが圧倒的にウケるということになれば、彼は平気でそうするでしょう。

日本でも兆しがみられる外国人や移民への排斥は、コミュニティの中で「敵認定」しやすい対象を探し、彼らを攻撃して留飲を下げたい、気持ち良くなりたい欲望を持った人々が常に一定量以上いる、ということです。より弱い立場の人々、とりわけ文化的・民族的に遠い人々は標的にしやすい。

そういう気分が生じること自体は僕も理解できますが、それでも差別はダメなんだよっていうのは、今さら議論するまでもなく、歴史的に証明されて、社会の知恵として積み重ねられてきたはずですよね。でも同時に、そんなのはすっ飛ばしたいという欲望も世の中には確かに存在する。

ただ、外国人を追い出せって声高に言ったところで、そういう極端な主張は、現に日本社会がずっと以前から外国の方々ありきで回ってきている以上、ある時点で現実的限界が来るのではないかという気もします。むしろ本当に心配なのは、今はまだ外国の皆さんも日本に来てくれているけど、日本に来るメリット自体がなくなる日が案外早く訪れるかも知れないっていうこと。いたずらに排斥を主張するより、そういう現実をもっと直視したほうがいいんじゃないかとも思います。

映画について語る宇多丸さんの写真

ドキュメンタリー映画の魅力を語る宇多丸さん

今は1980年代よりよっぽどいいと思う

――とはいえ、米国や日本に限らずインターネットやSNSに誤情報とフェイクニュースがあふれ、悪意が拡散される今の世界ってどうなんでしょう?

宇多丸さん ネットやSNSが普及する前の1980年代を思い出すと、あの頃の僕たちよりも、まだ今の子たちのほうが社会に目が向いているように思います。僕らのほうがよっぽどひどかったなと。若い人が新聞や本を読まなくなったと言われるけど、当時から読んでなかったですよ(笑)。

必要があって1980年代の新聞のテレビ欄を調べたんですが、今みたいに報道番組とかニュース解説って、民放はまったくやってないんですよ。NHK以外は全然やってなかった。「ニュースステーション」(テレビ朝日/1985~2004年)以降、急激に増えたんです。海外ニュースにしても、今のほうがいろんな情報が詳しく正確に入ってきますし。

確かにネットやSNSはデマを拡散しているけど、例えば性暴力や性差別を告発する「Me Too運動」とか「ブラック・ライブス・マター(BLM)運動」は、SNSがなければあんなに盛り上がらなかった。あるいは、イスラエルがパレスチナでどれだけ滅茶苦茶なことをやっているか、今はまさにリアルタイムで知ることもできます。そんなの昔はなかなか見られなかったですよね。つまり、弱者のためのツールにも間違いなくなり得るわけです。

ネットやSNSは良くも悪くも異なる主張がせめぎ合う装置になっていて、それをどう使うかは結局、われわれ次第ということ。極端な論調を拡散しているのと同じツールを使って、良識を持ってそれに対抗することもできるんじゃないでしょうか。

僕は長い目で見れば、社会は明らかに進歩していると考えています。衣服や食事の質は明らかに上がっているし、人権や差別に対する意識なんて、今思い出すと昔はひどかったですよね。差別用語も平気で使ってて、「ホントすみませんでした」って感じです。

企業の経済活動もそうです。中坪さんが「東洋経済オンライン」に書かれてたユニクロ(ファーストリテイリング)のロヒンギャ難民支援の記事で、柳井康治取締役の発言を読んで、これは想像以上にすごいなって思いました。市場で絶大な影響力を持つグローバル企業が「正しいことをしない企業は生き残れない」と真面目に考えている。

難民支援とか環境負荷を減らした製品づくりとか、そういうことを重視する企業を、われわれ消費者、言い換えれば市場の投票者が選んで、その評価を個々に発信することだってできる。今はそういう時代であって、僕たちは決して無力ではないんです。

ロヒンギャ難民キャンプの学校の様子

ロヒンギャ難民キャンプの子どもたち=バングラデシュ南東部で2025年5月(中坪央暁撮影)

人権に線引きしてはならない

――とはいえ、日本社会で誰もが幸福感を享受しているわけではありませんよね。

宇多丸さん 今とても不思議なのは、株価が最高値更新とか言ってるのに景気は良くならず、物価も上がって国民生活が豊かになった実感はないってことです。それじゃ一体誰が儲けてるんだろうかと。世代とは関係なく「自分は貧しい」という自己意識は、人生の希望や社会の展望を失わせ、他人のことを考える余裕がなくなって、結果的に社会的弱者に対する攻撃に転化したりする。そういう状況は、ひょっとすると社会を簡単に仕切りたい権力者にとっては都合が良いんじゃないか?と勘繰ってしまいます。そんな状況に怒りや疑問の声がもっと上がってきてもいいと思います。

もうひとつは、当たり前だけど人権とか人道というのは普遍的な価値であって、恣意的に線引きしてはいけないということ。米国は今、トランプ支持者が議会を襲撃しようが、大統領がウソをつきまくろうが構わないという、最低限の原則を失ってタガが外れた状態だけど、これはダメに決まっている。ロシアやイスラエルがやっていることも、「結局は強い方が勝つよね、仕方ないよね」と分かったような顔をしていると、いつか必ずそのしわ寄せは、われわれにも降りかかってくるはずです。

それでも、僕は基本的に楽観主義なので、マクロでみれば社会は正しい方向に進歩していると思っているし、その中で差別的な人が常に一定数存在するのも、フツーのことだと考えています。とにかく何があっても、めげたり腐ったりしたら負けです。何か良くないことがあるからって、いきなりこの世の終わりみたいに考えるのは、一種の甘えでもある気がします。悲観するのは文字通り100年早い!というか。

話が元に戻りますけど、ドキュメンタリー映画をぜひご覧になってください。どんな絶望的な状況に置かれても、世界のいろんな場所で、僕たちと同じような普通の人々が、幸せを願って懸命に生きているということが分かります。そして、そこにこそ人の世の希望を感じることができると僕は考えています。われわれはいつでも、世界の当事者なんだと思います。

 

ひとこと 初めてお会いしたのは昨夏、渋谷で開かれた「アジアンドキュメンタリーズ映画祭」のトークセッション。当方が伝える難民取材の裏話をうまく拾っていただき、建前論ではない“難民問題のリアル”をめぐって刺激的な対話になった。身もフタもない現実に向き合い、いかに希望を失わずに踏み留まるか。「世界は悪い方に向かっている」と考える悲観論者の私としては、宇多丸さんの軽妙な楽観主義にちょっと気が楽になったような。

中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当

全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を取材。2017年AAR入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に従事。2022年以降ウクライナ危機の現地取材と情報発信を続ける。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』ほか。

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