被災しても尊厳ある生活 それが目標です 赤松英知さん(きょうされん常務理事、日本障害フォーラム政策委員)
2026年6月30日

きょうされん常務理事、日本障害フォーラム政策委員の赤松英知さん
災害時の障がい者支援には多くの課題が残っています。日本障害フォーラム(JDF)政策委員で、全国の共同作業でつくる「きょうされん」常務理事でもある赤松英知さん(60)は、長年この問題に携わり、AARとも協力してきました。災害時に障がい者や関係者はどのような問題に直面するのか、AARなど支援するNGO側に求められるのはどんなことか、聞きました。
(聞き手:AAR東京事務局 太田阿利佐/6月5日にインタビュー)
――「きょうされん」はどんな団体ですか。
赤松 1977年に、障がいのある方たちが働く共同作業所の全国連絡会(略称・共作連)として結成されました。現在はグループホームなども含め、約1,800カ所の関連事業所が加盟しています。
――災害と障がい者の問題は、いつごろから注目されてきたのですか。
赤松 1995年の阪神・淡路大震災が最初でした。その頃は共同作業所の多くが小規模の無認可で、民家やアパートを借りて運営されていました。私は大阪府吹田市の作業所で勤務していて、原動機付自転車で毎週のように被災地の作業所の支援に通いました。地震で壊滅的な被害を受けたのに、無認可作業所は国や自治体からの支援が全く受けらず、再建は困難を極めました。当時、作業所の利用者への支援で精一杯で、作業所に通っていない地域の障がい者の方への支援には至りませんでした。
避難所に障がい者がいない
――2011年の東日本大震災では「障がい者の死亡率は全住民の2倍」という衝撃的なデータが明らかになりました。
赤松 2002年頃から国連で障害者権利条約の議論が始まり、日本でも2004年に、障がい者の権利推進を目標とする日本障害フォーラム(JDF)が結成されました。「死亡率2倍」はNHKが調査した数字ですが、JDFも協力していました。数字の裏には「津波警報が出ているけど『自分はもう逃げられないから、介護者だけ逃げて』と言われた」「知的障がいのある人が地震の揺れでパニックになってしまった」など辛いエピソードが多数ありました。
当時、真っ先に被災地入りしたきょうされんのメンバーが「避難所に障がい者がいない」と言うんです。「障がい者がいたけど、どこかに行ってしまったよ」とか「来てないよ」と言われてしまう。目の見えない人にとっては、避難所は足の踏み場もなく、トイレにも行けない。ベッドもなく、1週間も2週間も車いすに座りっぱなしの人もいました。障がいのある人にとって、避難所は避難できる、生活できる場所ではなかったんです。障がい者や高齢者の方ための「福祉避難所」はすでに制度化されていましたが、ほとんど知られず、機能もしていませんでした。

能登半島地震の被災地を調査するJDFスタッフ=赤松さん提供
――能登半島地震では、状況は改善されたのでしょうか?
赤松 能登ではプライバシーに配慮して、体育館の中に小さなテントを張っているのが見られました。仮設住宅も、スペースに余裕を持たせた車いす対応仕様が用意されています。ただ、まだ部分的なもの。障がいのある人たちが、本当に尊厳のある避難生活を送れているかというと、ほど遠い状況です。
福祉避難所 機能せず
――内閣府の調査では、能登半島地震の被災地(3市3町)で、障がい者向けの「福祉避難所」とされていた71施設のうち、地震から1週間後に開設できていたのは10施設だけでした。
赤松 老人ホームやデイサービスセンター、作業所などが福祉避難所とされていましたが、施設の職員も被災して、出勤できなかったことが大きな原因でした。このため多くの障がい者が、被災した自宅や車内に留まったり、金沢市など遠隔地の二次避難所に移動したりを余儀なくされました。それに伴い支え手側の施設職員も移動することになり、そのまま被災地に戻ってこない人が多数出ました。
AARさんは、七尾市の就労継続支援(A型)事業所「LABO」の建物を修繕する際、キッチンやバリアフリー・トイレを追加し、福祉避難所としても使えるように整備されています。さらに施設職員や地元の方と一緒に「LABO」で防災訓練をするなど、福祉避難所として機能させる取り組みをされています。この活動には大変期待しています。近くに福祉避難所があると分かれば、独り暮らしの障がい者も安心ですし、施設運営者・職員側にも「災害の時こそ、地元に頼れる場所があることが大事なんだ」という強い思いがある。これは今回の地震を踏まえた貴重な経験だと思います。

修理前の作業所の床(左)と、フローリングに張り替えられ、キッチンもついた作業所内部=石川県七尾市の「LABO」で
支える側を支える
――AARと協力してきた経過を踏まえて、今後期待することはありますか。
赤松 たくさんあります(笑)。AARさんとの協力は東日本大震災の時からです。AARさんは緊急支援のプロで、いつも驚くほど早く現地に入られる。私たちが現地の障がい者のニーズを集め、AARさんに救援物資を届けていただくなどの連携や情報交換は、今後も大事にしたいです。
能登ではJDFとAARで七尾市の事務所を共有し、協力関係が深まりました。ひとつの成果が、「支える側を支える支援」というか、福祉事業所や自治体の福祉担当職員を対象にした研修会の共同開催です。震災では、障がい者を支える側の職員も被災者で、その負担は大変重い。きょうされんは東日本大震災以来ずっと、福島県浜通りの作業所への訪問を続けているのですが、「今でもスタッフ同士で震災の時の話はしにくい」と聞きました。当時のことがトラウマになっているんですね。そのトラウマもちゃんと手当をすることが必要です。障がい者を支える側、職員や家族のケアをしないで、障がい者を支えることはできません。能登でAARさんと一緒に経験を積めて良かったです。また、JDFは今年3月で同事務所を閉鎖しましたが、AARさんは継続されています。長期の活動をどう継続するか、どう地元に引き継ぐのかも一緒に模索していきたいです。

七尾市の事務所で活動の合間に鍋で交流するJDFとAARのスタッフ=赤松さん提供
――引き継ぐといっても、地方は人口減、人手不足が深刻です。
赤松 地方の人口減少は全国的な課題です。平成の大合併で、自治体は広域化したのに、職員数は減らされた。被災した場合、業務量が激増してしまいます。日本の人口政策は再考されるべきではないでしょうか。福祉避難所や、障がい者・高齢者が使いやすい仮設住宅の整備なども基本的には行政がやるべきことですが、AARさんと一緒に行政に働きかけていきたい。秋に発足する予定の防災庁にも、一緒に提案、提言ができたらいいなと思っています。
――一般の方々に伝えたいことはありますか。
赤松 募金でもボランティアでもなんでもいい。とにかく被災地を忘れないで、とお願いしたいです。きょうされんは、各地の作業所の製品が買えるサイト「TOMO市(https://www.tomoichiba.jp/)」に被災地商品コーナーを設けています。送料はきょうされん負担で、購入を呼び掛けています。被災地に心を寄せることは、わが町は大丈夫かなという災害への備えにもつながると思います。
海外での災害発生の際、私たちは障がいのある方たちはどうしているんだろうと、すごく気になります。全国の関係者には「AARさんなら、障がいのある方に支援を届けるルートが確保できるはず」と募金を呼び掛けています。

きょうされんのTOMO市のサイト
福祉仮設住宅を標準装備に
――神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、19人もの入所者が殺害された事件から10年が経ちます。
赤松 障がい者に対する差別発言などは、外国人や性的少数者であるLGBTQ+へのバッシングと連動しているところがあります。特に政治家のような社会のリーダーに、差別的な発言をする人がいると影響は大きい。きょうされんやJDFの活動の一つは、そうした言説に向き合って、障がいへの理解を広げていくことです。そうすることが、外国人もLGBTQ+の人も暮らしやすい社会に繋がっていくと思っています。
災害時の障がい者支援もそうです。真夜中に地震で停電したら、目の見えない人もそうでない人も、同じように大変でしょう? つまり障がいは、周囲の環境によって重くもなれば、軽くもなる。自分には障がいがないと思っている人も、周囲の環境によっては障がい者と同じぐらい不都合がある。歳を取れば誰しも目や耳が悪くなり、若い時のようには動けない。そして災害は必ず来る。今後高齢化が進む中での災害を考えたら、障がい者や高齢者が利用しやすい福祉避難所、福祉仮設住宅を標準装備しないといけません。災害対応は、誰にとっても他人事ではなく我が事なんです。被災しても尊厳のある生活が送れるように、そこに近づいていく、それが僕らの目標です。
ひとこと 赤松さんはバブル経済の最中、就職市場が圧倒的に売り手有利だった時代に大学を卒業し、すぐ共同作業所に就職した。以来、2010年から2年ほど内閣府障害者制度改革担当室などで勤務したが、一貫して作業所と障がいのある方々を支える仕事をしてきた。国内災害や障がい者支援を担当するAARの職員は、赤松さんに厚い信頼を寄せている。
TOMO市で、能登半島地震で被災した障害福祉事業所「ゆうの丘」のクッキーを購入した。ホロホロと口の中で崩れていくような食感を楽しみながら、被災地に思いを馳せた。

太田 阿利佐OHTA Arisa東京事務局広報担当
全国紙記者を経て、2022年6月からAAR東京事務局で広報業務を担当。



