心を込めた料理は人を幸せにします 浜内 千波さん (料理研究家)
2022年1月31日
料理研究家の浜内千波さんは、料理教室を40年余り主宰するとともに、多くのテレビ番組や著書を通じて料理の楽しさ、食の大切さを伝えている。グルメ情報があふれる一方、食材の安全性や食品ロスへの関心も高まる今日、「食」との向き合い方はひとつの社会的テーマでもある。東日本大震災(2011年)の被災者支援の一環として、障がい福祉事業所が販売する弁当作りを指導した経験を持つ浜内さんに、料理に込める想い、社会に広げたいメッセージを語っていただいた。
(聞き手:AAR Japan 中坪央暁)
被災地支援で出会った笑顔
――東日本大震災から11年目の3月11日がやって来ます。AAR Japan[難民を助ける会]は現在も長期的な支援活動を続けていますが、浜内さんには2014年、岩手・宮城・福島3県の障がい福祉事業所が製造・販売する弁当のメニュー開発、調理指導にご協力いただきました。
浜内氏 何年も経ちましたが、あの時のことは今も鮮明に覚えています。障がいのある方々が働く大切な場所である福祉作業所が被災し、再建のために皆さん頑張っておられると伺って、ぜひ応援したいと思いました。各県を訪ねて調理指導をした時は、障がい者の皆さんが食材を切ったり、火を使ったり、盛り付けしたり、それぞれが得意な作業を分担して、生き生きと取り組む姿が印象的でしたね。
お弁当やカフェメニューの開発では、栄養バランスや彩りはもちろん、地元産の食材を使って郷土色を出すことを心掛けました。例えば、岩手では「三陸産すき昆布とニンジンの煎り付け~米ぬか風味」、宮城では「大豆入り雑穀ご飯」「レンコンのイチゴ煮」、福島では「地元産野菜のラタトゥユ」「リンゴを使ったソース」などを考えました。
その他にも新鮮な野菜やキノコ、豚肉、鮭などをふんだんに盛り込み、塩分や油の量にも気を配りながら、施設職員の皆さんと相談を重ねて健康的なレシピを作りました。
障がい者の方に料理を教えたのは初めての経験でしたが、私自身、心を真っ白にして寄り添う気持ちになれたのは楽しかったですし、皆さんも心を開いて、あるがままに笑顔で接してくれたこと、野菜や果物の美しさに心躍らせる様子が感じられたことがとても印象に残りました。
私は「作り手の笑顔が料理のおいしさにつながります。自信を持って取り組んでください」とお伝えしましたが、あの時一緒に考えたメニューを今も作り続けてくれていると伺って、嬉しい気持ちでいっぱいです。
38キロ減量に成功した方法とは?
――料理研究家として40年余りのキャリアをお持ちですが、料理の道に進んだきっかけや転機となった出来事をお聞かせください。
浜内氏 徳島生まれの5人兄弟姉妹の末っ子だった私は、いつも母が台所に立つ姿を見て育ちましたが、最初から料理の道を目指したわけではありません。大阪の短期大学に進んで栄養学を学んだものの、学外実習で行った調理現場の雰囲気に違和感を覚えて、卒業後は証券会社に勤務しました。
3年間かなり懸命に働きましたが、女性はどんなに頑張っても昇進できない時代で、空しさも感じ始めた頃、ふと手にした女性週刊誌でおいしそうな料理の写真を見たんですよ。私が求めていたのはこれだと思いました。
それが欧風料理を日本の家庭に広めた先駆者、岡松喜与子先生(故人)との出会いです。すぐにアシスタントに応募して上京し、住み込みで修業を始めたのですが、何しろ他のお弟子さんたちが次々辞めてしまうほど厳しい先生でした。それでも岡松先生の夢のある料理に憧れて必死に勉強しました。
ところが、ここで問題が……。東京での孤独感と日々のストレスを抱えつつ、おいしい食事や珍しい食材を目の前にした生活で、身長173センチの私がいつの間にか体重96キロまで太ってしまったのです。こうなると体調が悪化して疲れやすくなるし、精神的にも良くないし、ダイエットしなければときっぱり決断しました。
そこで、1. 食事は腹7分目にする、2. 大好物を10個(唐揚げ、ケーキなど)書き出して上から順に食べないようにする、3. こまめに体を動かす、4. 炭水化物を減らすという方法を徹底しました。始めてみるとケーキなど食べなくても何とかなるもので、1カ月に2キロずつ減って、何と1年半で38キロ減量することができたんですよ。
単にダイエットというだけでなく、食生活が健康にとってどれほど重要か身をもって知ったことで、その後は日々の食事にとても気を配るようになりました。もちろん体型も個性のうちですが、こうした自分の経験があるので、余りに不健康に太っている方を見ると「大丈夫かな」と心配になってしまいます。
料理は「サイエンス&アート」
――浜内さんのイメージというと、テレビの情報バラエティ番組の料理コーナーですが、他にもさまざまなお仕事をされてきたそうですね。
浜内氏 お世話になった岡松先生の下を卒業して、1980年に中野坂上(東京都中野区)に料理教室を開いた時、自分の人生が本当にスタートしたように感じました。でも、教室だけに納まっていたわけではなく、ホテルのレストランの裏方業務を請け負ったり、料理や食材のテレビCMのコーディネーターをしたり、30~40代は料理に関わる多くのビジネスに携わりました。
どうすれば料理を温かくおいしそうに撮影できるかを工夫するとか……おかげでいろいろな角度から料理を見詰めて、技術を習得することができました。
テレビの料理コーナーは13年間、毎週休まず生放送なので、ずいぶん鍛えられましたね。限られた時間内でいかに情報をリアルに伝えるか、いかに余計なものを捨ててシンプルに視聴者にお見せするか、ひたすら考え続けました。食材や調理具を抱えてテレビ局に駆け付けるなど、時間的にも体力的にも大変でしたが、多くの皆さんに料理の楽しさをお伝えできたかなと思っています。
私がいつも黒い服しか着ないのは、この頃からの習慣で、たとえテレビに出ている時でも自分はあくまで裏方=黒子であり、それを見てご家庭で料理する皆さんが主役という気持ちだったからです。今ではトレードマークみたいになっていますけれど。
50歳の節目に現在の東中野に教室とラボを移し、改めて自分が何のために仕事をしているのか、落ち着いて考えるようになりました。現在も食品製造やケータリング関係の企業のコンサルティング業務として、冷凍食品や調味料の開発、デパ地下のお惣菜作りから病院の食事まで手掛けていますが、そこでも私が一貫して大切にしたいのは、非日常の「おもてなし料理」「お出かけ料理」ではなく、子どもからお年寄りまでが口にする日々の食事です。
私は料理を「サイエンス&アート」と定義しています。サイエンス=科学とは、食材が持つ栄養素と調理の温度や組み合わせのこと、アート=芸術とは、おいしく美しく作る技法のことです。
栄養価の高い旬の食材を組み合わせて、おいしく料理して食べることで、私たちの健康は維持されています。栄養士と調理師は未だに別々の世界なのですが、若い時に栄養学を学び、料理の世界で生きてきた私なりの集大成として、その両方が揃ってこそ料理だと考えています。
すべての基本は家庭料理
――浜内さんにとって「日々の家庭料理」が基本とお見受けします。故郷・徳島の思い出の味は何でしょうか。
浜内氏 私の実家は海辺にあって、いつも新鮮な魚が手に入る恵まれた環境でした。質素な暮らしながらも、母は家族のために毎日工夫しながら料理をしてくれましたね。郷土料理の筆頭は、醬油をまぶしたカツオの刺身と刻み海苔をご飯に乗せてお茶をかけた「カツオご飯」。シンプルな大人の味は父の大好物で、今も食べるたびに父の面影が浮かびます。
お祝い事に欠かせない「出世イモ」も楽しい思い出です。サツマイモやサトイモを蒸かしてアンコで包んだ料理ですが、海苔巻きのように長細く作り、筒切りにして供します。コメが貴重だった時代、イモを代用して「おはぎ」を作ったので、「イモがコメに出世した」という意味で名付けられたそうです。他にも季節の行事に合わせて、母は子どもたちが喜ぶような料理やお菓子をたくさん作ってくれました。
家庭料理は家族の健康を守り、子どもたちの心身を養い、生活の土台となる大切なものです。テイクアウトの料理を買って来て、さっさと食べて容器をポイっと捨てれば簡単で楽ですが、それが毎日となると、食事はただの消耗品のようになってしまうのではないかと思います。
「今夜何にしようかな」と買い物に行って、栄養たっぷりの旬の食材を選び、家族の好みなどを考えるうちにメニューが決まる。重い買い物袋を提げて家に帰り、料理する時は一生懸命おいしく作ろうとする。相手を思う気持ちは家族に必ず伝わり、食卓での会話も弾みますよね。子どもたちも後片付けを手伝ってくれることでしょう。
「世界で最も多くのミシュランの星を持つシェフ」と呼ばれたフランス料理の巨匠、故ジョエル・ロブションさんは、貧しい家庭に生まれながらも、母親が愛情込めて作ってくれた料理のおいしさ、両親や兄弟姉妹と囲んだ食卓の思い出を、とても厳粛で大切な記憶として語っています。ロブションさんは有名シェフになってからも「母の料理こそ世界一」と思って、食材や料理に愛情を込めていたそうです。
その気持ちはよくわかります。私自身もそうであったように、食卓の幸せな記憶は必ず子どもに受け継がれ、DNAとして将来につながっていくのだと思います。そこでは食事の作法を含めて、社会に出るためのマナーが親から教えられ、子どもたちも自然に身に付けていくのです。
大きくなって故郷を思い出した時、子どもの頃に食べたもの、親に言われた言葉は、大切な宝物のようなものです。ですから、大人はできるだけたくさんの思い出を、子どもたちの宝箱に詰め込んであげなければならないと思いますね。
本当においしいものを知る
――インターネット上にグルメ情報があふれる一方、食の安全性の問題、食品ロスの削減などへの社会的関心も高まっています。料理研究家の視点でどう見ておられますか。
浜内氏 バラエティ番組やインターネットの動画を見ていると、私たちにとって大切な料理や食事が「娯楽」として消費されているところもあるような気がします。面白さばかり狙った激辛や激盛り、大食い競争、あるいは市販の加工品や調味料を組み合わせただけの安直なレシピなどが大量に流れていますよね。
そういうものを見て若い方が料理に関心を持ってくれるのも嬉しいのですが、本当にそれでいいのかなと時々不安を感じざるを得ません。まず料理の基本をしっかり知ってほしいんですね。
私は子ども時代や若い時にこそ、ちゃんとした本物の味を知ってほしいと考えています。これはタモリさんから伺ったエピソードですが、今や超人気の男性歌手の方がブレークする前、最高級ウイスキーをご馳走したところ、「ウイスキーってこんなにおいしいのか!」と感激されたそうで、タモリさんは「やっぱり、おいしいものは若いうちにMax(最上級)を知っておかないとね」とおっしゃっていました。本当にその通りだと思います。
それは高級とか高価という意味ではなく、赤ちゃんが離乳食のリンゴやニンジンを初めて口にして微笑むように、私たちは素材本来のおいしさ、本当の味を知っているはずです。ところが早い時期に甘いジュースなどを与えてしまうと、その味から離れられなくなってしまいます。お母さんが手作りの料理ではなく、幼い子どもにファストフードや添加物まみれの加工食品を安易に食べさせていると、家庭で作る毎日のお料理が物足りなくなり、インパクトの強い味に慣れて、素材の味を知らない舌になってしまうかもしれません。
行列ができる店、インスタ映えするスイーツなどに惹かれるのは無理もないのですが、それらは非日常の領域であって、自分の健康を守る日々の食事はまた別のものです。例えばポテトサラダひとつにしても、ジャガイモや野菜の味を生かして作ってあげてほしい。外食やテイクアウトには無限大の味がありますが、家庭料理にしかできないこともあるのではないでしょうか。
食品ロスや食べ残しの問題も、まずは日常の家庭料理に立ち返って考えてみればいいと思います。私は海辺で育ったせいか、今でもお刺身を買うことは滅多になく、魚を丸ごと買って無駄なく使い切るようにしていますし、旬の野菜も同じことです。野菜の皮や根菜の葉っぱにも栄養が詰まっていますからね。食材をじっくり見詰めて、もったいないという気持ちで大切に料理したいと常々思っています。
また、最近はお子さんに「嫌だったら無理しないで残しちゃっていいのよ」と言いながら料理を出す親御さんもいるようですが、ちょっと違うんじゃないかと。感謝の気持ちを持って食事に向き合い、真摯な姿勢でいただくということをきちんと伝えられるのも、家庭だけです。それこそが「食育」ではないでしょうか。
「食のバトン」を未来につなぐ
――最後に改めて、料理研究家として伝えたいメッセージをお願いします。
浜内氏 何よりも料理の楽しさを知ってほしいですね。私の料理教室では「レシピ通りに作らなくていいんですよ」とお話ししていますが、それは教えられるまま作るのではなく、自分で考えながら食材に向き合って料理を身に付けないと、他に応用できなくなってしまうからです。基本さえある程度分かっていれば、ご自分で自在にアレンジすることができます。
また、働く女性が増えるなど皆さん忙しいせいか、時短メニューが近年もてはやされがちで、私も電子レンジ活用術などを伝授していますが、常に愛情を込めて料理することを忘れないでほしいと思います。相手のことを思って作る料理が世界一のご馳走であり、作り手の気持ちが相手に伝わってこそ、本当に身と心の栄養になるんですね。
食べることは私たちのすべての基本であり、日々の料理は生活の土台になります。料理を通じて、正しい食生活を子どもたちに伝えていってほしい。私も食のバトンを未来にしっかりつなぐために、料理の楽しさをもっと発信していきたいと思います。
ひとこと 旅先で食べた何気ないひと皿がいつまでも記憶に残ることがあって、その土地、その時季にしか食べられない食材に出会うと、それだけで充分満たされた気分になる。画一的な大量生産・大量消費の時代にあって、地域ならではの日常の味、家庭の味を見直そうとする地産地消の取り組みも各地で盛んだ。コロナ禍でまだまだ油断できない状況が続くが、そろそろ本物の味を求めて気ままな旅に出たい今日この頃。(N)
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の平和構築事業に従事。東ティモール独立、アフガニスタン紛争のほか、南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争・難民問題を長期取材。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。 (記事掲載時のプロフィールです)