特別インタビュー Interview

迷惑をかけていい それが助け合い 木村潤平さん(パラアスリート/団体代表)

2023年3月15日

笑顔で話す木村さんの写真

インタビューに答える木村潤平さん

パラリンピック5大会連続出場という超一流アスリート、木村潤平さん。障がいの有無に関わらず、誰もがスポーツを楽しみ、チャレンジできる社会を実現したいと、自ら設立した社団法人「チャレンジ・アクティブ・ファンデーション」の代表を務める。アスリートとしての歩み、障がい者スポーツのこれからの姿についてうかがった。

(聞き手:AAR Japan 太田 阿利佐/2月8日にインタビュー)


水泳を通して世界と出会う

――木村さんは水泳で3回、トライアスロンで2回、パラリンピックに出場されています。すごい体力と精神力ですね。いつからパラリンピックを目指したのですか。

木村さん 両親がスポーツ好きで、小学1年生の時から水泳を習っていました。僕は先天性の下肢不全で、5歳の頃から松葉杖を使っていますが、高校では普通校の生徒と一緒に水泳部で活動していました。当時の生意気な若き自分は「障がい者の大会なんてたいしたことない」と思っていました。ところが17歳の時、水泳部の顧問をしていた先生に「パラ水泳で日本一になれるかもしれないぞ」って言われたんです。それを聞いた僕は「それは当たり前にできるからつまんないだろ」と思っていました(笑)。

ただ、「パラの世界でとりあえず日本一になっておくのもありかな」なんて感じで大会に出場して、日本代表になることもできました。ここまでの話だと、本当に勘違いしてるただのめっちゃ生意気な小僧ですよね(笑)。そんな中で、パラ水泳世界選手権に出場することができたことで、自分の価値観がガラッと変わりました。パラ選手には、水泳部の健常者の選手より速く泳ぐ選手がたくさんいました。その時、自分は世界を全く知らず、井の中の蛙だったと気付くことができました。高校生でこのことに気付くことができ、本当に自分はラッキーでした。続いて2004年にアテネで開催されたパラリンピックに出場したら、オリンピックと変わらない、地響きのような熱い声援があって、再び「こんな世界があるんだ」と。

アテネ大会では、選手村に両足と左腕がない選手がいたんです。僕より重い障がいの彼は髪をピンクに染めて、スケートボードにちょこんと乗って、ピューって僕より速く移動していた。なんだ、このファンキーな感じは!って、すごく衝撃を受けました。当時の日本では、まだまだ障がい者はかわいそうで地味な雰囲気が強かった。社会進出も進んでいなかったし、自信を持てない人が多かったのでしょうか。あの時、世界を肌で感じ、全く違う光景を目にすることができて、自分は本当に運がよかったなと思っています。

誰もが平等に楽しめる社会

――その経験が、チャレンジ・アクティブ・ファンデーション(略称CAF)の設立につながったのでしょうか。

木村さん 誰もがチャレンジできる社会をつくることが、CAF(キャフ)の理念です。障がい者に対しても、外国人に対しても同じだと思うのですが、出会う機会がなくて、お互いをよく知らないから、相手を怖いと思ったり、誤解や偏見が生まれたりする。例えば「シリアの難民の人たちはこう」とか「障がいを持っている人たちはこうだよ」と教え込まれるよりも、当人たちと会って、何かを一緒にすることによって分かることの方がよほど大きいと思うんです。男女、年齢、障がいの有無、国籍――全て関係なく、同じ空間で、同じ時間を過ごすことがすごく重要で、それによって相互理解が深まる。そういう場やチャンスを誰でも平等に得られる社会、誰かだけが楽しんでいるのではなく、みんなが楽しめる社会にしたい。僕自身がそうでしたけど、それですごく人生が豊かになり、視野が広くなる。僕たちの団体は、そういうことを、身体を動かすアクティブな活動を通してできないかなと考えています。前身の団体などはなく、2019年末に思い切ってつくったんですが、新型コロナウイルスの流行で全く活動できなくなり、この1年でようやく活動を大きく始めることができました。

プールの中で楽しそうに笑う子どもと木村さんの写真

CAFのイベントで、参加者の子どもに水泳の指導をする木村さん

日本一やさしいトライアスロン大会

――具体的にどんな活動をされているのですか。

木村さん 栃木県では、県理学療法士会のご協力で、障がい者就労支援施設で運動習慣形成プロジェクトを実施しています。また、プロサッカーの東京ヴェルディ、横浜のNPOなどと一緒に、誰もが参加できる子ども向けのインクルージョンのスポーツイベントを開いています。2022年には、群馬県前橋市で行われるトライアスロン大会(前橋トライアスロンフェスタ)で、重度の障がいがある方を含めて誰でも参加できる「日本一やさしいトライアスロン」を開催しました。

重度の障がい者の方は、まだまだ日本では一般のスポーツ大会に出場することのハードルが本当に高いんです。特に日本の大会は、ハンディがあったり、健康上の問題があったりする人をリスクとして参加を認めないケースが多くあります。海外は協力的に参加を認めている大会が多いです。運動習慣プロジェクトを実施して、障がいがある人が運動を始めても、目標がないと続かない。その目標となるべき大会に「出られませんよ」では悲しい。障がいがどんなに重くても、本人が自分で責任を持って出たいと言ったら、それを後押しして、完走させてあげられるような大会が日本に必要ではないか。そう話したら、前橋トライアスロンフェスタの実行委員会が協力してくれて、昨年はトライアスロン未経験の障がいのある方が3人、出場して完走してくれました。距離を選ぶことができて、泳ぐのはプール、自転車は公道で気持ちよく走ってもらいます。重度障がいを持つ参加者の1人は自転車をこげないので、お父さんが手伝って、プールで泳ぐ時はお母さんがサポート。ランはまたお父さんと一緒にがんばって、陸上競技場でフィニッシュしました。今年は他にも新しいプロジェクトをさらに動かしていきたいと思っています。

日本でも「大きな夢」をつくりたい

――聞いているだけでわくわくしますね。逆にCAFを始めて見えてきた課題はありますか?

木村さん アメリカには、障がいのある方を支援するChallenged Athlete Foundationという団体があります。実は私どもの団体のロールモデルにさせていただいた団体であり、すごく素敵な活動をされていて、「夢があったら応募して。資金援助するよ」という仕組みがあります。例えば「片足しかないけど自転車でアフリカ大陸を一周したい」「障がいがあるけれど、大海を泳いで渡りたい」などの夢が寄せられて、その実現を後押しする。日本でも同じことをやろうと思い、「なにか要望があれば何でも言ってください」って、いろんなところでお願いしたんですが、全然応募がないんですよ。本当に残念です。例えば、日本ではスポーツといえば「全国大会に出たい」、障がい者の子なら「パラに出たい」。自分も同じような感じでしたが、海外の人の夢を聞いた後では、大きな夢というか、 夢の選択肢がもっとあってもいいのになと。日本では足が悪いから自転車には乗れないと、あきらめが先に立ったり、お金がかかるし教えてくれる人もいないという発想になったりして、なかなかチャレンジすることにならない。まずは、夢の選択肢を増やすために、いろんな経験をできる場がないとチャレンジが始まらない。そこが始まりでした。

なんで夢がないんだって考えたら、そもそも日本では多くの方が当たり前のように運動する機会や習慣がない。そこから福祉施設の運動習慣プログラムが必要なことに気付いたんです。まずは運動する習慣をつけてもらう。運動音痴だからとか、目が見えないとか、足が悪いからできないと思っていたけれど、意外とやれるねと思ってもらえたら、家の外に出て、社会やコミュニティーとつながって、人との出会いの幅も広がって、いろんな機会が増えていく好循環が生まれていくと思うんですよ。

「一歩踏み出そう」で始めたスキー

――最初から「運動習慣プログラム」をやるつもりではなかった?

木村さん なかったですね。最初からたくさん大きい夢をもらって、それをカメラで追いかけて、テレビで放送してもらって、そしたらうちの団体の認知度上がっていろんな人を支援できるよね、なんてことを考えていました。だけど、そんなに甘くない。もっと地道なところから始めないとダメなんだと気が付きました。

障がいがあるから自分はできないと思ってしまう人がたくさんいます。僕、実は先週末、大人になってから初めてスキーに行ったんです。他団体と一緒にやっている「一歩踏み出そうプロジェクト」で、障がい者の子ども7人と健常者の子ども10人、サポートの大人も含め総勢40人ぐらいで新潟のスキー場に行きました。僕はチェアスキーをしたんですが、いやあ、最初は怖かったし、いろんな人に見守ってもらいました(笑)。でも慣れてくると、どんどん楽しくなってくる。子どもも大人もそれは一緒です。新しいことは、最初は怖いし危ない。でも、やってみれば意外と楽しい。それを周りがどれだけサポートしてあげられるかで、世界が一気に広がると思うんです。

私は冬のスポーツにはあまり乗り気ではなかったんですが、子どもには「どんどん挑戦しろ」って言いながら、大人の僕がやらないのはダメだと思って、一緒に滑ったんです。今回のイベントでも「一緒にスキーどうですか」と誘うと、「いや、私がみなさんにご迷惑かけちゃうので」と言う大人の方がいました。でも、僕らが子どもたちに伝えたいのは、失敗を恐れるな、迷惑をかけろ、ということ。大人がスキーで転んで、他の人に起こしてもらうのを繰り返して、迷惑かけているところを見せると、子どもも「あれでいいんだ。自分も失敗していい」と思える。失敗しちゃいけない、と大人の方が思いがちですよね。

迷惑をかけない挑戦なんてない

――日本では「人に迷惑をかけないこと」が重要視されていて、障がい者問題や難民問題を考える時に、ハードルになっている気がします。

木村さん 迷惑をかけてでも、やりたいことがあったり、目標があったりしたら挑戦したらいい。それを言ったら、僕も競技を続けていくなかで、本当に多くの人に迷惑をかけてきました。いろんな人に資金を援助していただいたり、多くの時間をかけて教えていただいたり、それに対して僕はたくさん失敗をして結果を残せないこともいっぱいあり、何回も「ごめんなさい」をしているわけです。競技を本気でやっているとそんなことの方がいっぱいあります。本気で何かをしようとしたら、絶対に人に迷惑をかけるじゃないですか。

それを「迷惑かけたくない」って格好いい言葉で挑戦せず終わらせようとすることについては、僕はなんとかしたいと思っています。もちろん犯罪はダメですが、それ以外で自分が本当にやりたいことがあったら、迷惑をかけても、だれかに手伝ってもらっても全然いい。それを子ども大人も当たり前にできれば最高の社会になる。それが助け合いじゃないですか。人間は誰しも、自分一人で生きてるなんてあり得ない。

支援する側のやり方が問題になることが多いけれど、僕は障がい者自身も変わっていく必要があると思っています。「迷惑かけたくない」と支援を拒否してしまう時がある。僕も昔はそうでした。電車で席を譲ろうとされると、強がって「大丈夫です」とか言う。今は「すぐ下りますけど、いいですか」とか、会話のきっかけにしています。そうした方が、相手も自分も気持ちがいい。人と人との接し方だから、サポートされる側もする側も対等でいいんです。

競技者として妥協はしない

――ご自身のトライアスロン選手としての目標は?

木村さん 今38歳ですけど、現役引退は……いつになるんですかね(笑)。パラの世界は競技人口が少ない。僕より速い子たちが出てきて僕を抜いてくれればうれしいんですが、なかなかそうはならなくて。そこで簡単に譲るよりは、もうちょっと頑張ってもいいかなとも思っています。ひとつずつ結果を残して、その先にパリで開催される2024年パラリンピック出場に値するような、みなさんに応援していただけるようなパフォーマンスができているならば、出場できるといいなと思っています。競技者として妥協はしません。来週から沖縄で3週間の合宿をして、東京に1週間戻って、それからオーストラリアに遠征します。今はオンラインで会議もできますし、競技も事業も妥協しないでやりきりたいと思っています。

仰向けのような体制で自転車に乗り、手でペダルを回す木村さんの写真

ハンドバイクで疾走する木村さん。目線が低く、体感スピードは非常に速い

仲間を増やして時間をもらう

――アスリートとしての活動と事業運営の両立。ギアを変えるのは大変でしょう。

木村さん ただただ大変です。共通点はありますが、別物ですから。水泳・自転車・ランの3種目をこなすトライアスロンは、競技時間が長いので練習時間も長くかかります。大体1回4時間で、移動を含めて5~6時間。1日8時間寝るとすると、あと残り10時間をどう活用するか。トライアスロンでは3種目をいかに効率的に練習するかがとても重要なんです。結局はタイムマネージメントで、それは競技もビジネスも一緒なのかなと思っています。

もちろん、YouTubeをだらだら見る時間も、リラックスできて、自分のメンタル面が良くなるなら大事です。でも、やりたいことがあるなら、そのために自分で時間をマネージしていく。また、いろんな人に協力していただくことが重要だと思っています。自分や団体を信じて一緒にやってくださる方に、活動をどう伝えて協力してもらうか。一人の時間には限界があるけれど、いろんな人たちの時間をいただいて共有していくことができれば、その分できることが倍以上に増える。仲間を増やすというのは、そういうことだと思っています。僕の理想は、仲間を増やして、CAFの活動がすごく活発になって、10年後には日本のCAFのみならず、僕はCAFアジアをつくって活動する。それが夢です。

「それもあり」がいい

――私たちAAR Japanもミャンマー、カンボジアなどアジアで障がい者支援を行っています。

木村さん AARのパンフを拝見して、今すぐ一緒に何かやれるんじゃないかぐらいに思っています(笑)。ひとつの団体でできることは限られているので、どんどん連携していきたい。僕らはただスポーツをやらせたいわけじゃありません。スポーツはツール。一緒にやって気持ちが前向きになれるなら、音楽でもアートでも何でもいい。

自分と違うものを認めていくって難しい作業だと思うんですが、一緒に何かをするなかで、自分と違うものを認めることができた時って、すごくいいですよね。「それもありだね」と。「こうあるべきだ」だと、そうじゃなかった時に対応できない。例えば、難民支援も同じなんじゃないでしょうか。

10月にまた前橋で「日本一やさしいトライアスロン大会」を開きます。一緒に出ませんか?距離も自分で選べるし、なんならプールで立っても構いません。ちゃんとしっかりサポートします。楽しいですよ!! 待っています!!

ひとこと 木村さんの上半身は筋骨隆々。腕の筋肉に触らせてもらったら、あまりに硬くてびっくり。そして笑顔がとてもいい。「競技もビジネスもタイムマネージメント」「いろんな方から時間をいただく。それが仲間づくり」という言葉に、故・日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長)の言葉「いのちとは何だと思う? それはその人の持っている時間のことです」を思い出しました。時間を活かすことは、命を活かすこと。木村さんはその実践者なのだと思います。トライアスロン、挑戦してみよう……かな。(O)

太田 阿利佐Ota Arisa東京事務局

毎日新聞記者を経て、2022年6月からAAR東京事務局で広報業務を担当。

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