「黒海の真珠」と呼ばれるウクライナ南部の国際港湾都市オデーサは、世界遺産に登録された美しい街です。しかし、昨年2月にロシアの軍事侵攻軍が始まって以降、ミサイルや無人機による攻撃が繰り返され、一般市民にも死傷者が出ています。AAR Japan[難民を助ける会]の現地協力団体が本部を置くオデーサから東京事務局の中坪央暁が報告します。
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歴史ある大聖堂にミサイル直撃
「この大聖堂はオデーサ市民の心の拠りどころ。1999年に再建する時は私たちも寄進したものよ。それをこんなふうに壊すなんて、とんでもない話だわ!」。オデーサ歴史地区にそびえるウクライナ正教会「救世主顕栄大聖堂」(1794年創建)の前で、お祈りに来ていたおばあさんたちが口々に訴えました。ここは市街中心部に位置し、周囲には建物が建ち並んで交通量も多いエリアです。
戦時下のオデーサは、穀物などを積み出す港湾施設や軍事関連施設を狙った攻撃に加え、市街地への攻撃を度々受けています。今年7月23日未明の大規模なミサイル攻撃では、救世主顕栄大聖堂が直撃を受けてドームが崩壊したほか、子どもを含む20人以上が死傷する大惨事となりました。大聖堂では今、がれきの撤去と修復作業が進められていて、許可を得て内部に入ると、鉄骨がむき出しになり、キリスト像の壁画が無残に崩れていました。
帝政ロシア時代の18世紀の終わりに建設されたオデーサは、歴史的建造物が建ち並ぶ文化・芸術の街として知られます。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は今年1月、オデーサ歴史地区を世界文化遺産に緊急登録すると同時に、戦火で失われかねない「危機遺産」に指定しました。9月にはいずれも世界遺産の首都キーウ「聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群」、西部の都市リビウの歴史地区が危機遺産に指定されています。
ロシアの名門トルストイ家によって1830年代に建設され、旧ソ連時代の1923年以降は科学振興機関として使われてきた「オデーサ科学者の家」も、7月の攻撃で損壊した建造物のひとつです。歴史ある庭園の一角に着弾し、古い窓ガラスが爆風ですべて吹き飛んだほか、貴重な家具や美術品が損傷しました。案内してくれたジェーコワ・スヴィトラーナ館長は、「ステンドグラスや絵画、壁紙、調度品のひとつひとつが、当時を伝えるかけがえのない歴史遺産です。こんなことになって残念でなりません」と嘆きます。
この「戦争」は多くの人命を奪い、人々の生活を破壊し、大切な歴史や文化まで損なおうとしています。ウクライナでは昨冬に続いて、社会の混乱を狙った発電所などのインフラ攻撃への警戒感が高まっています。国際社会に「支援疲れ」の気分が広がり、パレスチナ情勢に関心が移りつつある今、平和な日本で暮らす私たちが未曽有のウクライナ人道危機にどこまで真剣に向き合っていけるのか。戦時下のオデーサを歩いて、そのことが改めて問われているように感じました。
AARはオデーサの現地協力団体「The Tenth of April」(TTA)と連携して、南部ミコライウ、ヘルソン両州の国内避難民と地域住民への現金給付・食料配付を近く開始します。事態が長期化する中、困難な状況に置かれた人々に寄り添う支援がいっそう重要になっています。AARのウクライナ人道支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
*日本外務省の海外安全情報(2023年11月現在)では、ウクライナは「レベル4:退避勧告」に該当しますが、AAR Japanは独自の情報収集に基づき、安全を確保して短期間入国することは可能と判断しました。AARは今後も万全の安全対策を講じながら、ウクライナ人道支援に取り組んでまいります。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。