ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって2年余り、AAR Japan[難民を助ける会]が現地協力団体「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)とともにウクライナ南部ヘルソン、ミコライウ両州で実施している生活支援金提供の対象は、経済的に恵まれず、病気や障がいがあり、戦時下でますます困窮する地域住民や国内避難民です。ミコライウ州で会った人々の切実な声をAAR東京事務局の中坪央暁が現地から報告します。
障がい児を持つシングルマザー
「ロシア軍のドローン攻撃で自宅の屋根や窓が壊れてしまい、修理する費用もないので、親戚の家に住まわせてもらっています」。州都ミコライウ市南郊の小さな一軒家で、シングルマザーのアンナさん(34歳)は、ミーシャ(9歳)とマルガリータ(6歳)の兄妹を抱き寄せました。極度の弱視であるミーシャは少し引っ込み思案、逆に小学校に今年入ったばかりのマルガリータは活発な女の子です。
アンナさんは夫と離婚後、スーパーの店員として生活費を得ていましたが、いつ何が起きるか分からない状況で子どもたちを置いて働きに出ることもできず、この間、収入と言えるのは月額1万1,000円相当のミーシャの障がい児手当だけです。わずかな貯金を切り崩す生活が続く中、AARが昨年届けた生活費で、アンナさんは越冬用の薪を買い込みました。「一番心配なのは、この子たちのこと。私たちを助けてくれる日本の人たちに『ありがとう』と伝えてください」とアンナさん。
寝たきり生活の上空にドローン
戦時下のストレスは想像以上に大きく、病気になってしまう人もいます。ミコライウ南郊の工場で働いていたローマンさん(66歳)は、軍事侵攻が始まって職場が閉鎖され、脳卒中で倒れて寝たきりになってしまいました。看病に明け暮れる妻クキナさん(65歳)は「家を自分で建ててしまうほど何でもできる人でした。公的助成や補償はなく、支援団体から食料などが届けられますが、現金をもらったのは初めて。全額を治療費に使いました」。
同州一帯はロシア軍のドローンが夜間に飛行することが多く、娘のオレーナさん(22歳)は「バイクが空中を走るような音がするので、すぐに分かります。窓越しに機影が見えた時は怖くて物陰に隠れました。父がこんな状態では、万一の時に避難できるか心配です」。つい最近も撃ち落されたドローンの破片が庭先に落下し、衝撃で窓ガラスにひびが入ったといいます。ドローン攻撃は当地の人々にとって、もはや「日常」になっているのです。
ロシア側に住む妹と音信不通に
同じくミコライウ郊外で暮らすアレクシーさん(72歳)、エカテリーナさん(64歳)夫婦は45年間連れ添ってきました。元気だった元会計士のエカテリーナさんは開戦後間もなく、昏倒して1週間寝込み、身体の自由が利かずに起き上がれなくなりました。
「ミコライウ市内の娘の家が砲撃で全壊し、その夫は前線で重傷を負うなどショッキングな出来事が続いたせいだと思う」とアレクシーさんは気遣います。娘夫婦は遠くに避難していて、なかなか会うこともできません。年金生活者の2人はAARからの生活費支給に加え、医療サービスを望んでおり、TTAを通じて現地の医療関係者と調整を進めています。
エカテリーナさんが心を痛めているのは、ウクライナ軍が越境攻撃を仕掛けているロシア西部クルスク州に住む妹のこと。妹は旧ソ連時代、ウクライナからクルクスに働きに行って現地の男性と結婚し、ソ連崩壊後はロシア国籍を取得して向こうに残りました。「長年連絡を取り合っていたのに、戦争が起きてから不仲になってしまい、今では音信不通です」とエカテリーナさんはベッドに横たわったまま嘆きました。
海外避難から戻るも困難続く
ウクライナ危機では当初、数百万人が海外に逃れたものの、不自由な「難民生活」に見切りをつけて帰国した家族が少なくありません。ミコライウ市郊外の借家で暮らす6人家族のセルゲイさん(39歳)一家は、ミコライウ州の村落に住んでいましたが、ロシア軍の戦車部隊が迫って来ると聞いて、まずブルガリアへ、次いでルーマニアに避難して約7カ月過ごしました。しかし、異国での生活は何かと厳しく、帰国して地元に近い同市に家を借りました。交戦地域に近い自宅に戻る気にはなれませんが、大家が借家を近々売却するため、また新たな住まいを探して移らなければなりません。
11歳の双子の男の子は在宅でオンライン授業を受けています。「小学校にはシェルターが備えられているけれど、通学させるのはやはり不安です」と母親のイリーナさん(38歳)。25歳になる身内の若者が前線で下肢に重傷を負ってリハビリ中というイリーナさんは、「これ以上、若い人たちが犠牲になるのは耐えられない。武力で戦うだけでなく、外交交渉を通じて一日も早く戦争を終わらせてほしい」と思いを語りました。
このほか、東部ドネツク州からミコライウ州に移り、58歳の女性が寝たきりを含む80代の親戚3人を引き取って世話をしているケース、避難先のポーランドから戻ったものの収入がない9人家族など、平時から厳しい生活を送っていた人々が戦時下でますます追い詰められる実情を目の当たりにしました。
軍事侵攻が長期化する中、AARとTTAはこうした困窮世帯への生活支援金の提供を当面継続します。AARのウクライナ人道支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
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中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。