タジキスタンでは、障がい児の多くが学校に通えていません。同国の郊外、ヒッサールに暮らすファフリディンくん(12歳)は、絵を描くことが大好きな男の子です。脳性麻痺によって肢体が不自由になり、一時は通学を諦めていました。AAR Japan[難民を助ける会]タジキスタン事務所では、障がいの有無にかかわらず一人ひとりの能力やニーズに応じた「インクルーシブ教育」を推進し、学校や地域と協力して障がい児の教育支援を行っています。ファフリディンくんが学校に通えるまでを、駐在員の熊澤夢開が報告します。
転機は町のリハビリテーション・センター
ファフリディンくんは生後6か月の時に転倒した際、ひどく脊髄を損傷し、脳性麻痺と診断されました。今も肢体は麻痺したままで、車いす生活を余儀なくされています。3才の頃にお父さんに連れられてAARが支援するリハビリテーションセンターに通うようになり、訓練を重ね、指を動かせるように。当初はうつむきがちで職員からの質問にもうまく答えられませんでしたが、センターの社会福祉士や同世代の子たちと交流する中でコミュニケーションの取り方を学び、職員から学習支援室のある学校への通学を勧められました。通学を心待ちにしていた両親は大喜び。
しかし、家から学習支援室は5キロほど離れており、未舗装の道も多く、歩いて1時間半ほどかかります。AARがファフリディンくんに出会ったとき、お母さんが雨や雪の降る日も、彼を抱っこして学校に通っていました。そこで、AARは、彼に車いすを提供。車いすの利用により、通学にかかる家族の負担は大幅に軽減されました。
コロナ禍で休校。学習教材が届くのを心待ちに
ファフリディンくんは、4年間学習支援室に通い続け、同級生や先生と打ち解けながら勉強に励みました。勉強のかいあって、通常学級での学習に支障がないと認められるまでになり、2019年9月より、家から近い学校の通常学級へ通えるようになりました。しかし、半年ほど経った翌年4月、新型コロナウィルス感染症拡大により全国的に小学校が閉鎖され、学校が再開するまでの間、子どもたちは自宅待機を余儀なくされました。AARは、休校中も子どもたちが勉強を続けられるように、各学校の学習支援室の教員やリハビリテーションセンターの職員と共同で家庭学習教材を作成し、各家庭に配布しました。ファフリディンくんは、この教材が届くのをいつも心待ちにしていたそうです。毎日お母さんと一緒に課題をこなし、学校が再開する日を待ち望みました。
8月中旬に学校が再開すると、ファフリディンくんは元気に通い始め、現在も友だちと一緒に楽しそうに勉強しています。担任の先生は「クラスのなかで彼を特別扱いする人は誰もいませんし、こうして彼が通常学級に通ってくれていることがとても嬉しいです。友だちと一緒に教室で勉強する方がより集中できるようですね。休み時間には、仲良くクラスメイトと遊んでいます」と話してくれました。
読み書きは、未来への希望
タジキスタンでは、家庭が困窮していて通学させる余裕がない、教育に対する家族の理解の不足といった経済・社会的な背景からいまだ多くの子どもが学校に通えていません。また、障がいのある子の多くが全寮制の学校で学びますが、定員には限りがあることや、寮生活に本人や家族が抵抗を感じる場合もあり、学校に通わず自宅に閉じこもってしまうことが少なくありません。AARは、一人でも多くが教育を受けられるように、学校や地域の福祉団体と協力して障がい児が通える学習支援室を開設しました。また、これまでに学校の校舎のバリアフリー化や必要な補助具の提供などを行ってきたほか、現在は教員への研修なども実施しています。
ファフリディン君のお父さんはこう語ってくれました。「私たち家族は、いつまでも息子の傍にいてやることはできないでしょう。だから、彼には一人で生きていける力を持っていて欲しい。読み書きができるというのは、未来への希望を持たせてくれるものです。」そう語ったお父さんの目には涙があふれていました。
AARタジキスタン事務所は、一人でも多くの障がい児が学校で学べるよう、今後も活動を継続してまいります。引き続き、皆さまの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。
熊澤夢開KUMAZAWA Mukaiタジキスタン事務所
タイの日本人学校での勤務や公益財団法人での啓発担当を経て、青年海外協力隊としてパラグアイで活動。その後、コスタリカで平和教育、フィリピンで国際政治の2つの修士号を取得。2019年11月からタジキスタンに駐在