地雷禁止運動のリーダー マーガレット・オレチさんに聞く
地雷被害者として世界各地で講演し、地雷廃絶と被害者救済を呼びかけているマーガレット・アレチ・オレチさん(67歳)。ウガンダに住む彼女を俳優サヘル・ローズさんが訪ね、地雷被害者を取り巻く課題について聞きました。これまでシリアやイラクなどで子どもたちへの支援をしてきたサヘルさん(38歳)も「アフリカの地雷問題についてはほとんど知らなかった」と言います。2人の対談をご紹介します。 (東京事務局・太田阿利佐)
気が付くと右足がなくなって……
サヘルさん マーガレットさんは地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の大使として長年活動をされてきました。地雷問題に取り組むようになった経緯を教えてください。
マーガレットさん 1998年12月、クリスマスの3日前のことでした。私は当時シングルマザーとして5人の子どもを育てており、ある国際NGOで仕事をしていました。下の子ども2人はまだ小学生でした。赴任先から子どもたちが待つ家に戻るためバスに乗っていた時、突然爆発が起こり、気が付くと私は地面に倒れ、右足がなくなっていました。すぐ近くにまだ息をしている女性が倒れており、1人の兵士が彼女の持ち物をあさっていました。私は反政府武装勢力の攻撃だと悟り、とっさに死んだふりをしました。彼らは私の血まみれのジーンズまではぎとり、バスに火を放って去っていきました。とても恐ろしかったです。私は煙に隠れるようにして、少しずつはって移動し、近くの村のある家にたどり着きました。その村もすでに襲撃されており、誰もいませんでした。私は水を探し、水瓶を見つけましたが空っぽでした。次に気が付いた時には病院にいました。
サヘルさん そんな壮絶な体験を、20年以上も抱えていらっしゃるのですね。思い出すのはすごく辛いと思いますが、なぜその体験を語ることを選択しているのですか。
マーガレットさん 確かに、辛い体験を話すことは簡単ではありません。でも、語ることは心の癒しを促すものでもあるのです。体験を伝えながら泣いてしまうこともありますが、語ることはさらに私を前に突き動かします。私は2000年からICBLで講演していますが、2003年にカナダで開かれた国際会議で初めて自分の地雷被害の体験を話しました。その証言に多くの人が関心を寄せてくれ、他国でも地雷問題への関心が高まっていきました。
地雷被害者には支えが必要
サヘルさん 体験を語り始めるまで、孤独ではなかったですか?
マーガレットさん 孤独でした。地雷被害のサバイバー(生存者)には緊急治療のほか、リハビリテーション、社会心理学的支援、コミュニティーへの復帰などのサポートが必要ですが、当時はそういうものがほとんどありませんでした。サバイバーは自分の体の一部を失うだけでなく、社会からも「役に立たない人」とみなされ、プライドを保てないのです。私は、私と同じことが他の人に起きてほしくない、他の人には起きない社会になってほしいと思って、証言を続けています。
サヘルさん ウガンダでは当時からどれくらいの人が地雷の被害に遭われたのでしょうか。
マーガレットさん 政府は地雷被害者を約2,500人としていますが、これは負傷して生き残った人だけの数字です。死者を含めるとどれぐらいになるかはわかりません。被害者の多くは政府軍、反政府軍の兵士たちです。
サヘルさん 私は今回初めてアフリカ大陸を訪問したのですが、色々な国や地域、文化があり、「アフリカ」とひとくくりにはできないと実感しています。アフリカの人々への支援のためには、どうか関わっていけばいいと考えますか。
重要なのは人々の能力強化
マーガレットさん 大切なのは、人々の能力強化に重点をおくことです。地雷被害者への能力強化支援は、まずはリハビリテーション、それから経済的自立のための資金提供などが考えられますが、例えばリハビリも個人ではなくて、グループ単位で提供する。すると、そこにコミュニティーが生まれ、地域のアドボカシー(政治的影響を与える言論活動)が強化されます。リハビリをしながら識字教育を行い、行政への要望書の書き方や議会へのロビー活動、またコミュニティーでの啓発活動のやり方などを伝えていきます。
私は「ウガンダ地雷被害者協会(ULSA)」の代表を務めています。ULSAはAARから総会の開催方法や理事選出、組織の運営方法などについてサポートを受け、運営が効果的で円滑になりました。ウガンダ北部のある地雷被害者は、ピアサポート(仲間同士の支え合い)を受けて自信を回復し、ULSAの理事になり、国会議員にまでなりました。ULSAでは現在、地方の支部がそれぞれ独自の活動を展開しています。
サヘルさん それは大きな成果ですね。
マーガレットさん はい。でも、残念ながらウガンダ全体で見ると、状況はほとんど改善されていません。政府は地雷被害者救済の行動計画を持っていますが、これはほとんど実行されないまま、2024年に失効します。地雷被害者への支援は、実際のところAARのような国際NGOまかせの状態です。
AARとの出会い
サヘルさん AARとはどういう経緯で協力関係を持つようになったのですか?
マーガレットさん ある国際会議での休憩時間に、長有紀枝さん(現AAR会長)が「何か私たちにできることはないかしら」と声をかけてくれたのです。それは「一緒にお茶を飲みませんか」というようなごく自然な感じで、私たちはすぐに率直に会話するようになりました。その後2009年から地雷被害者の生計支援やリハビリテーションの提供を受けるようになりました。最近も足を失った被害者宅のトイレの改修を支援してもらっています。ウガンダのトイレは穴が掘ってあるだけで、地雷被害者は誰かの助けを借りないと用を足すことができず、尊厳が失われるとともに、自立の大きな妨げとなっています。
AARはウガンダで暮らす難民の人々の支援も続けくれています。サヘルさんは今回、難民の現状について知るためにウガンダまで来てくださったそうですね。
サヘルさん はい、私が最も関心を持っているのは教育です。私はイラン出身で、幼い頃は孤児院で育ちました。養母に引き取られ、日本で教育を受けて今日があります。だから教育支援は何より大事だと思っていますし、子どもたちにも「あなたの手には銃でなく、ペンを持って。読み書きができれば未来を切り開くことができるよ」と伝えたい。そのために、シリアやイラクの孤児院などを訪問してきましたし、ウガンダにも同じ思いで来ました。
「今や世界はひとつの村」
マーガレットさん あなたの活動に心から敬意を表します。あなたがやっていることは決して無駄にはならないでしょう。平和と安定は、人々が健康に暮らすために絶対に必要なものです。ウガンダ国内は今でこそ平和ですが、それでもロシアによるウクライナ侵攻の影響で、食料や燃料の価格が急に上がって貧しい人々を苦しめています。今や世界はひとつの村としてとらえるべきです。村全体が平和でなければ、誰も無事ではいられません。
私は20年ほど活動を続けてきましたが、現状を変えるのは難しい。現にウクライナでも新たな地雷が使われ、新たな被害者を日々生み出しています。時々、自分には何もできないと思う時もあります。でも、私と同じ体験をする人をなくしたい、地雷被害者を生み、地雷被害者を見捨てる社会を子どもたちに残したくない、との一心で活動を続けています。そして支援してくれる仲間もいます。
サヘルさん 日本の人々にメッセージをお願いします。
マーガレットさん 地雷被害者への支援はもちろん、ウガンダに逃れてきた難民の人たちを支援していただき、たいへん感謝しています。難民は祖国を追われた人たちであり、生活が苦しいだけではなく、とても重い心の負担を抱えています。そういう人たちに対して温かい心を持ち続け、生活環境の改善のために力を貸してくれる日本の皆さんに、心からありがとうと申し上げたいです。
サヘルさん 先進諸国の陰に隠れ、アフリカからの声は日本にはなかなか届きません。この情報の格差が、世界の分断を深めているようにも思います。マーガレットさんの声がより多くの人に届くよう、私もお手伝いできればと思っています。
「世界難民の日イベント『私たちは忘れられている』」(6月15日、東京都内で開催)には、サヘルさんも登壇され、ウガンダの今について語ります。会場およびオンラインでの参加申し込みはこちらからお願いします。
学ぶためのノートと鉛筆を:サヘル・ローズさんウガンダ訪問記1
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マーガレット・アレチ・オレチ
1956年ウガンダ生まれ。大学卒業後、ウガンダの情報・放送省や国際NGOに勤務。1998年地雷で右足を失う。2000年に国連地雷禁止条約締約国会議で講演して以来、世界数十カ国で地雷問題について講演。ICBLの大使を務めている。またウガンダ地雷生存者協会(ULSA)を設立し、代表を務める。
サヘル・ローズ
1985年イラン生まれ。イラン・イラク戦争(1980~88年)のさなかに両親ときょうだい12人を失い、7歳まで孤児院で育つ。その後、養母とともに来日し、現在は俳優・タレントとして活躍。「自分の原点を忘れてはいけない」と世界各地の孤児院や学校を訪問し、個人的な支援活動を続けている。
太田 阿利佐OHTA Arisa
全国紙記者を経て、2022年6月からAAR東京事務局で広報業務を担当。