9月上旬に台風11号(ヤギ)が直撃したベトナム北部の被災地では、障がい者が働く福祉作業所も大きな被害を受けました。AAR Japan[難民を助ける会]は被災した福祉施設の復旧・再開に向けて、洪水で故障した工作機械や建物の修復を支援します。AAR東京事務局の栁田純子が現地の声を報告します。
首都ハノイ北郊のソクソン県カーフェ村は一帯が洪水に見舞われ、2015年設立の福祉団体「チャイティン・ハム」の木工作業所でも、工作機械が水没して使えなくなってしまいました。ここで製作した家具や置物などはネット通販や展示会、土産物店で販売されていましたが、被災後は作業所が閉鎖されたまま、10人の利用者に十分な工賃(賃金)を支払えずにいます。
障がい者の自立を支え続ける
ディン・クィン・ガーさん(48歳)=チャイティン・ハム代表
私自身、子どもの頃から脚に障がいがあります。学校の成績は良かったのですが、高校を卒業して7年間、就職活動したにも関わらず仕事に就けませんでした。それでも2009年にサプソン郡の教員採用試験に合格し、地元の特別支援学校で教えながらチャイティン・ハムを運営しています。
教員として働く過程で、障がい児の悲しみや苦労がいっそう鮮明に理解できました。団体設立のきっかけとなったのは、特別支援学校の卒業生が、支援学校の机と椅子を自分で製作して学校に卸したことです。障がい者が自立して働くやり方があるのだと気付いて、友人たちに手伝ってもらいながら事業計画を策定。当時は行政の支援はなく、銀行から融資を受けて、木工作業所を開設し、その後、縫製工場、印刷所、マッサージ店を開設しました。
縫製工場ではサクソン郡の公立学校の制服を作り、印刷所では郡が発行する各種証明書の印刷を請け負っています。マッサージ店では聴覚や発語に障がいのあるスタッフが働いていますが、その技術の高さが評判になり、今では隣町からわざわざ通って来るお客様もいます。
今回の台風は60年ぶりの大災害と言われていますが、幸い、木工作業所以外の活動拠点は被害を免れました。まずは木工作業所の再開を実現し、その後数カ月をめどに、より安全な場所に移転する必要があると考えています。
収入が途絶え将来に不安
ノー・ヴァン・ソムさん(42歳)=作業リーダー
地元の出身です。脚に障がいがあるため仕事が見つからずに困っていた時、ガーさんと知り合い、「一緒に働かないか」と声をかけてもらいました。作業所はとても働きやすい環境で、私は作業のリーダー役を務めていました。ソムさんは夫婦ですぐ裏手にあるアパートで暮らしながら作業所を管理しており、他のメンバーは団体の宿舎で共同生活をしています。
今までの人生で、これほど大きな台風と水害を経験したことはありません。周囲の田畑がどんどん水没し、作業所の中も私の胸の辺り(約1メートル)まで浸水しました。自宅から小舟で工場の様子を見に行くと、大好きな木工切断機が濁った水の底に沈んでいるのが見えて、胸を締め付けられるような思いでした。メンバーは機械を使わない製品づくりを試みていますが、今は仕事がなくて時間を持て余しているだけでなく、収入が不安定になり、将来がとても不安です。
2人は「こんな所まで日本から来て支援を届けてくれて、とても感激しました。日本の皆さんに心から感謝しています。ここは障がい者が働くとても大切な場所です。一日も早く再開し、良い製品を作って収入が得られるように力を合わせて頑張ります!」と口を揃えます。
AARは国内・海外を問わず、災害発生時に被災した障がい福祉施設を優先して支援しており、今年1月の能登半島地震の被災地でも福祉施設にたくさんの支援物資を届けました。AARのベトナム台風緊急支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
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栁田 純子YANAGIDA Junko東京事務局
ピアノ教師としてトルコで7年間暮らした後、エストニアの民間企業勤務を経て、2013年AAR入職。シリア難民支援に従事したほか、ミャンマーの障がい者支援、パキスタンの女子教育支援事業を担当する。現在はウガンダ、ケニアの難民支援事業を担当。