2011年のシリア内戦勃発から13年半、今も混乱が続く同国では約720万人が避難生活を送るほか、約650万人が難民として海外に流出したままです。AAR Japan[難民を助ける会]は2014年以降、現地協力団体と連携し、生計手段を失って人道支援に頼らざるを得ない国内避難民への食料支援としてパンを配付してきました。現地から届いた人々の切実な声をお伝えします。
「自分のことよりも孫たちが心配です」アーマドさん
避難民キャンプで子どもや孫たちと暮らしています。もうすぐ90歳になります。長い人生でそれなりに苦労はしてきましたが、この13年の間に私たちが経験したことは、一生分の苦労に匹敵するでしょう。
私たちはシリア東部の田舎町で暮らしていました。8人の子どもに恵まれ、夫が亡くなった後も農地と数百頭の家畜がいて、生活は豊かでしたよ。けれども内戦が始まって生活は一変し、貧困と飢えに襲われて、子どもたちは次々と死んだり行方不明になったり……今も一緒にいるのは2人の子どもとその家族だけです。
戦火が迫り、住み慣れた家を壊されたのは7年前のことです。農作物が焼き払われ、家畜が殺された時、私たちはすべてを捨てて安全を求めて何十キロも歩きました。このキャンプにたどり着いて以来、ずっとここで暮らしています。収入を得る手立てはなく、援助がなければパン1斤(約50円)さえ手に入りません。
いっそ死んでしまったほうが楽だと思うこともありますが、自分が死ぬことよりも、孫たちが飢えに苦しむことが恐ろしくてなりません。
「支援を受けたことはありませんでした」イブラヒムさん
年老いた母親と妻子を連れて避難民キャンプで暮らしています。内戦が始まるまでは、4人の子どもを育てるために建設業で昼夜を問わず働いていました。苦労の末に大きな家と広い土地を手に入れ、子どもたちに最高の教育を受けさせることもできて、自分の人生に満足していました。
それが今では日々生き残ることだけで必死です。最初の頃は村が爆撃されることはあっても、そこまで激しくはなく、数時間避難しては村に戻って、破壊された建物を再建しながら暮らすことができました。しかし、2018年頃からは戦闘の最前線が近付いて来るのが分かり、砲弾が雨のように降り注ぐようになりました。それまでのように数時間後には家に戻れるものと期待して避難しましたが、それきり村には戻れませんでした。
テント生活がどんなものかご存知ですか。子どもたちが飢えるのを毎日見ながら暮らすよりも、死んだほうがましかも知れません。でも、私にはどうすることもできません。
AARからパンを受け取るまで、この1年半近く支援は一切届いていませんでした。この期間、子どもたちに食べさせるパンを買うために朝早くから仕事探しに出掛けましたが、手ぶらで戻ることもしばしばでした。高血圧と糖尿病を患う母親の薬を入手することもできません。私たちはほとんど絶食状態で耐え、道端で拾い集めたワラを燃やしてわずかな暖を得ています。私たちの苦しみは筆舌に尽くしがたく、終わりがありません。
パンを届けてもらったおかげで、私の肩から重荷が取り除かれた思いです。このような支援プロジェクトができるだけ長く続いて、子どもたちが飢えで命を落とす心配をしなくて済むようになればと思います。そして、この不毛な争いが一日も早く終わり、家族と故郷に戻って、すべてを取り戻せることだけを祈っています。
AARはシリア国内の避難民キャンプにパンを届ける支援プロジェクトを断続的に実施し、2023年12月~2024年5月、同国北西部の10カ所のキャンプで1,692世帯(8,050人)に食料を提供することができました。約300世帯に聞き取り調査をしたところ、「最低限必要なパンを受け取ったので、それ以外の食材を買うことができた」「食料購入に使っていたおカネを子どもの教育のために貯めておける」など、96%の世帯が「生活が少し楽になった」と回答しました。
パレスチナ・ガザ地区やウクライナの人道危機に国際社会の注目が集まる中、シリア内戦への関心が薄れ、支援も急速に先細っています。支援を途絶えさせないために、AARのシリア国内避難民支援へのご協力をお願い申し上げます。
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