活動レポート Report

戦禍に苦しむ障がい者世帯を支援:ウクライナ人道危機3年

2025年2月6日

ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって3年、東部地域の戦闘や全土への無人機(ドローン)攻撃が続き、今も1,000万人を超える難民・国内避難民が困難な状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は危機発生直後に難民・避難民支援を開始し、現在はウクライナ南部ミコライウ州で戦禍に苦しむ障がい者世帯を支援しています。AARキシナウ事務所(モルドバ)のシュクル・バイデリが報告します。

破壊されたユーリイさんの自宅の写真

ミサイル攻撃で破壊された自宅前に立つユーリイさん。右はAAR職員シュクル・バイデリ=ウクライナ南部ミコライウ州で2025年2月

自宅にミサイル攻撃 歩行が困難に

ミコライウ州内で娘や孫たちと暮らしていたユーリイさん(59歳)にとって、それはいつもと変わらない一日のはずでした。2人の娘たちは出勤し、ユーリイさんと妻(56歳)は家に6歳と5歳の孫を残して、近所の用事を済ませに外出したとたん、すぐ近くで大きな爆発音が聞こえました。驚いて家に駆け戻った瞬間、別のミサイルが着弾し、爆風で地面に叩きつけられたといいます。

下半身に激痛が走り、「右脚が破片で切り裂かれて足の指も1本なくなっていた。妻も頭に大けがをしていました」。文字通り這うようにして大破した家に入ると、孫たちは奇跡的に傷ひとつ負っていませんでした。壁に掛けられた分厚いタペストリーが爆風の衝撃を吸収していたのです。ユーリイさんは自ら重傷にも関わらず、懸命に意識を保ちながら妻に応急手当てを施し、病院に搬送されました。

開戦2カ月後に起きた悲劇の後、娘と孫たちは南部の中心都市オデーサに避難し、ユーリイさん夫婦はAARの現地協力団体「The Tenth of April」(TTA)が提供したテントに仮住まいしています。ユーリイさんは右耳の聴力をほとんど失って補聴器が欠かせなくなり、歩行補助具の杖なしでは歩けません。右脚の痛みが絶えず痛み止めの薬を常用する必要があるほか、支給された杖も使い続けて不具合が生じています。

そんな体調でのテント暮らしは過酷で、とりわけ厳冬期は耐え難いと言います。「あの日から家族の生活は一変しました。まずは家を建て直したいが、こんな身体では働けないし、政府の年金で細々と生活するのがやっとです」。ユーリイさんは無力感に陥っています。

鉄条網越しに移るミコライウ州庁舎

開戦間もない2022年3月にミサイルの直撃を受けたミコライウ州庁舎。州職員ら70人以上が死傷した=州都ミコライウで2024年9月

開戦から3年が経った今の気持ちを尋ねると、ユーリイさんは「うちの孫たちのような若い世代が心配です。この3年間でどれだけの若者や子どもたちが犠牲になったのでしょうか。多くの家が破壊され、元通りの生活を取り戻すのは容易なことではありません」。

ウクライナ国内では、ロシアに占領された領土の一部を棚上げしてでも戦争を終結させるか、あくまで戦い続けるかで世論が分かれていますが、ユーリイさんは「何が正解なのか言うのは難しい…ロシアに領土の一部を与える以外に選択肢はないように思えるが、私たちウクライナ人はそれを受け入れることができるだろうか」と自問するように語り、こう付け加えました。「孫たちに未来があることを願うばかりです。大事なのはそれだけですよ」

停電で命綱の呼吸補助器が使えない

13歳のボグダン君はベッド以外の生活を知りません。「ラーセン症候群」と神経感染症の合併症のため、生まれつき起き上がることも話すこともできず、呼吸や栄養摂取などすべてを医療機器に頼っていますが、周囲のことはすべて理解しているといいます。

オクサナさん一家の写真

寝たきり生活を続けるボグデン君の母親オクサナさんと弟=ミコライウ州で2025年2月

母親のオクサナさん(43歳)と弟(10歳)の3人家族は、クリミア半島の付け根に位置するヘルソン州南部の町に住んでいましたが、2022年2月に軍事侵攻が始まってすぐ、避難を余儀なくされました。町は今、ロシア軍の占領下にあります。最初はヘルソン州内に留まりましたが、避難先の借家も攻撃で損壊したため、オクサナさんは2024年11月にミコライウ州に移る決断をしました。

グラフィックデザイナーとして働いていたオクサナさんは開戦以降、ボグダン君の世話がフルタイムの仕事になり、収入が途絶えて生活は困窮しています。ボグダン君は在宅用の呼吸補助器が常に必要ですが、発電施設への攻撃でウクライナ国内では停電が常態化し、その度に救急車を呼んで病院に搬送しなければなりませんでした。地元NGOからバッテリー駆動の小型発電機を提供されたものの、停電が丸2日続くこともあり、そんな時、オクサナさんは一睡もせず昼も夜もボグダン君を見守っています。

こんな状況でも一家はウクライナを離れようとはしません。オクサナさんは「ここは私の故郷です。私たちはウクライナの領土のため、子どもたちの未来のために戦わなければならないのです」と話します。そして、いつか戦争が終わり、他所に逃れた多くの人々がウクライナを再建するために戻って来る日を夢見ています。

戦車と装甲車の写真

ミコライウ州庁舎前に並べられたロシア軍の戦車・装甲車=2024年9月

医療施設にリハビリ機材を提供

AARと現地協力団体TTAは事前調査を踏まえて、障がい者の個別支援として185世帯に健康診断の費用、医薬品・衛生用品、歩行補助具、呼吸補助器などを順次届けるほか、州都ミコライウ市内の2つの医療機関にリハビリテーション機材を提供します。

軍事侵攻が長期化する中、ウクライナ国内では多数の障がい者に加え、ロシア軍の攻撃で負傷した人々の苦境が続いています。未曽有の人道危機発生から3年、AARのウクライナ支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。

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シュクル・バイデリキシナウ事務所

トルコ出身。2015年AAR入職、シリア難民支援に携わる。2022年2月のウクライナ人道危機の発生以降、隣国モルドバを拠点に難民・国内避難民支援に従事し、ウクライナ南部を度々訪問している。

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