「日本の皆さんがウクライナ危機に関心を寄せ、私たちを応援してくださっていることに心から感謝します」――。ロシア軍の攻撃にさらされるウクライナ東部ドニプロから母親を連れてポーランドに逃れた国立ドニプロ大学の日本語教師(助教授)、タイシャ・ベリャニナさん。AAR Japan[難民を助ける会]のインタビューを通じて、日本に向けたメッセージを寄せてくれました。AAR東京事務局の中坪央暁がポーランドの首都ワルシャワから報告します。
「ウクライナには今、どこにも安全な場所はありません。本当に悪夢を見ているような気持ちです」。タイシャさんは身を寄せているワルシャワ市内の友人宅で、そう語りました。2月24日にロシア軍の軍事侵攻が始まって10日余り、ドニプロに留まっていましたが、「北・南・東の3方向から攻撃が迫ってきて恐ろしくなりました。父は数年前に亡くなっており、69歳の母を何とか安全な所に連れて行かなければと避難を決めました」。
リュックひとつに着替えとクラッカーなどを詰めて、ドニプロ駅でポーランド方面に向かう列車を6時間待ち、ようやく超満員の車内に乗り込みました。避難する乗客の大半は怯え切った女性と子どもで、パニック状態に陥っている若い母親もいたと言います。17時間かけてウクライナ西部の拠点都市リヴィウに到着したのは翌朝8時頃。市内の学校に設けられた一時滞在施設でボランティアから温かい食事をもらい、教室の床に敷かれたマットで一晩仮眠しました。
翌朝、国境に向かうバスに乗りましたが、両国の検問所を通過するまで車内で15時間も待たされたと言います。国境を通過したのは午前3時頃で、ポーランド南東部シャシュフの難民受付センターにたどり着いた時は、タイシャさんも母親も疲れ切っていましたが、「平和な景色を見て安心しました。母と『長い旅だったね』と話しました」。
その後、ポーランド人の知人が車で迎えに来て、ワルシャワ市内の友人宅まで送ってくれました。着の身着のまま避難してきたので、友人たちが洋服や日用品を提供してくれて、「母は洋服を何着かもらって喜んでいます」。今回の人道危機では、ポーランドの一般市民が民泊を受け入れるなどボランティアベースで難民を支援しており、タイシャさんは「ポーランドの人たちの温かさに日々感動しています。ただただ感謝するばかりです」。
「日本文化に興味を持ち、日本語の響きの美しさに魅かれて勉強を始めた」というタイシャさんは、「日本人にとってウクライナはよく知らない国かもしれませんが、ウクライナには日本の伝統文化や文学、アニメ、J-POPが好きな人がたくさんいます。ドニプル市長は日本の根付(江戸時代の留め具)コレクターとして有名なんですよ」と話します。日本語研修で浦和(現さいたま市)に2カ月間滞在した経験は「とても楽しくて、今も忘れられない思い出です」。
今回の軍事侵攻はウクライナの人々も全く予測しておらず、「本当にショックでした。ロシア軍は兵士だけでなく、幼い子どもを含む民間人を爆撃で殺しています。これは明らかな戦争犯罪です。日本をはじめ世界中の政府は、私たちの祖国ウクライナが破壊されてしまう前に、この戦争を今すぐ止めるようロシアに圧力を掛けてほしいと思います」。
タイシャさんは最後にこんなメッセージを語ってくれました。「日本の友人からたくさんのメッセージが届いています。日本の方々がウクライナのことを心配し、支援を寄せてくださっていることを本当に心強く思います。私だけでなく、すべてのウクライナ人が感謝の気持ちでいっぱいです。日本の皆さんが私たちを助けてくださるようお願い申し上げます」。
中坪央暁 NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の平和構築事業に従事。東ティモール独立、アフガニスタン紛争のほか、南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争・難民問題を長期取材。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。