AAR Japan[難民を助ける会]が支援するウクライナ西部テルノピリ州のヤズローヴィツ修道院には、7月末時点で約60人の国内避難民の女性と子ども、高齢者が身を寄せています。同国では成人男性の多くが志願兵として軍に加わったり、家や職場を守ったりしているため、難民・避難民の大多数は母親と子どもたちです。AAR東京事務局の中坪央暁が女性たちに今の思いを聞きました。
ロシア国境に近いウクライナ北東部の拠点都市ハルキウ(ハリコフ)から逃れて来たカテリナさん(28歳)は、子ども4人(10歳~2歳)と義母(57歳)とともに修道院に滞在しています。軍事侵攻が始まって間もない3月3日、民警として町を守っていたロシア系の夫(33歳)がロシア軍に射殺され、行政当局が用意したバスを乗り継いで修道院に避難しました。
自身はウクライナ語・ロシア語のバイリンガルで、「長男と次男はロシア語しか話せない」というカテリナさんは、「ロシア系と思われて差別されないか不安でしたが、シスターたちが温かく迎えてくれて、心から安心して過ごしています」と話します。亡くなった夫も義父・義母も自分たちの出自とは関係なく、ウクライナの独立を強く支持する立場でした。
そんなカテリナさんに「プーチン政権ではなく、一般のロシア人のことをどう思うか」と尋ねたところ、意外な答えが返ってきました。「何のために戦っているのかも知らずに死んでいく若い兵士たち、夫や息子を前線に送り出さなければならないロシアの女性たちが本当にかわいそうです。ウクライナ人のためにもロシア人のためにも、一日も早く戦争が終わることだけを祈っています」
同じくハルキウ出身のソーシャルワーカー、ニナさん(47歳)は4月中旬、一人娘ソニャさん(5歳)を連れて逃れて来ました。建設業のパートナー(47歳)は志願兵として戦っており、両親と兄弟も町に残っています。
「戦争が始まった直後は混乱状態でしたが、商店や市場の経済活動が再開し、水道や電力供給、ゴミ収集など行政機能も回復しています。多くの市民がボランティアとして町の再建を支えているのは誇るべきことです」。しかし、2週間前に市街地のバス停をミサイルが直撃して死傷者が出るなど、常に危険と隣り合わせの状況は変わりません。
「修道院では本当に良くしてもらって感謝しています。それでも、慣れ親しんだ町に早く帰って家族に再会したい思いが募るばかりです」と話すニナさんは、修道院のシスターと協力して、備蓄された食料や日用品の一部を支援物資の共同輸送ルートに乗せてハルキウに送っています。
難民・避難民の中には障がいのある子どもがいます。ウクライナ南部ムィコラーイウ(ミコライエフ)から来たオクサナさん(42歳)の14歳の長男は、自閉症のため周囲と接するのが極端に苦手で、修道院でも時々興奮して大声を発したりします。オクサナさんはこの長男と長女(9歳)を世話しながら、オンラインで会社の業務を続けています。
4月末まで町に残っていましたが、約30キロの地点にある南ウクライナ原発の方角にミサイルが飛ぶのを目撃して恐ろしくなり、避難を決意しました。難民流出が始まった当初は越境するのにパスポートも必要ありませんでしたが、ウクライナ当局は現在、出国に際して一定年齢以上はパスポートの取得を義務付けているため、「ポーランドで働いている夫が待っているのですが、息子のパスポート申請に時間がかかっています。母国を離れたくはないけれど、子どもたちの安全を考えると、そうするしかありません」。オクサナさんは少し疲れた表情で話しました。
この修道院に避難した人々に対する支援は、すべて当会に寄せられたご寄付によって行われています。AARのウクライナ難民・国内避難民支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
*日本外務省の海外安全情報(7月末現在)では、ウクライナは「レベル4:退避勧告」に該当しますが、AAR Japanは独自に情報収集を行い、同国西部地域については、安全を確保して短期間入域することは可能と判断しました。AARは今後も万全の安全対策を講じながら、ウクライナ人道危機に対応してまいります。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の平和構築事業に従事。東ティモール独立、アフガニスタン紛争のほか、南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争・難民問題を長期取材。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。