ロシアのウクライナ軍事侵攻が2月24日に始まって間もなく半年。東部地域を中心に激しい戦闘が続き、停戦の見通しは立っていません。周辺国に越境した難民は累計1,000万人超、国内避難民も約700万人(8月10日現在)に上り、「第二次世界大戦後最大」と言われる未曽有の人道危機が長期化しつつあります。
AAR Japan[難民を助ける会]は3月以降、隣国ポーランド、モルドバを拠点に難民・国内避難民支援に取り組んでいます。比較的安全なウクライナ西部を7月末に訪ねると、一見平穏な日常の中に「戦争」の濃厚な気配がありました。AAR東京事務局の中坪央暁が報告します。
静かな田舎町にミサイル攻撃
早朝5時台、遠くから聞こえる空襲警報のサイレンで目が覚めました。世界遺産の美しい旧市街で知られるウクライナ西部の中心都市リヴィウ。7月27日から翌28日にかけて、首都キーウなど各地にロシア軍のミサイル攻撃があり、多数の死傷者が出ました。リヴィウ市内では通常の社会生活が続けられていますが、3月中旬にはポーランド国境に近い郊外のNATO(北大西洋条約機構)の軍事拠点が集中攻撃を受けて、35人が死亡する惨事が起きるなど、ウクライナ全土が文字通り戦時下にあります。
「この町にミサイルが飛んで来るなんて信じられませんでした」。AARが国内避難民支援で連携するテルノピリ州の修道院から車で約1時間のチョルコフ町。人口2万7,000人の静かな田舎町が攻撃を受けたのは、6月11日の夜のこと。住宅街の一角にある小規模なウクライナ軍施設にミサイル3発が着弾し、隣接する5階建てアパートの敷地にも1発が落下して建物の壁が崩落したほか、周辺一帯の家屋の窓ガラスがことごとく割れました。
幸い一般住民に死傷者はありませんでしたが、アパートに住む女性は「警報もなく突然爆発が起きて、建物全体が地響きを立てて揺れました。娘を抱いたまま生きた心地がしませんでした」。駐車していた車も無残な姿になったといいます。「この国に安全な場所はないんだと思い知らされました。こんな恐ろしいことは2度と起きてほしくありません」
「祖国と家族を守るために戦う」
戦域から遠く離れたテルノピリ州からも多くの志願兵が出征しています。牛乳加工場で働いていた4人家族のウォロデミルさん(46歳)は、2014年のロシアによるクリミア併合に憤激して志願兵になり、東部ドンバス地域で戦いました。今回の軍事侵攻が始まった直後に再度出征し、5月下旬に激戦地ルハンシク州でロシア軍と交戦中、至近距離に着弾した砲弾の破片を左脚に受けて重傷を負い、病院2カ所を経て1カ月後に帰還しました。
「前線では激しい砲撃に続いて、戦車と装甲車が迫って来るのが攻撃パターン。たくさんの戦友が死んでいった」と話すウォロデミルさんに、怖くないのかと尋ねると、「怖いに決まってるだろう。平気でいられるのは頭のイカれた連中だけさ」。では、なぜ志願するのか。「祖国と家族を守るために戦う。それ以外に理由なんてない」
体調が回復したら前線に戻るという無骨なウォロデミルさんの傍らで、ウクライナ国旗を模したスウエットを着た妻のナタリアさん(49歳)は、「たとえ負傷しても生きて戻ってくれれば良いのですが…本当は行ってほしくありません」と言葉少なに話しました。
それぞれの立場で奮闘する市民
修道院の最寄りの町ブチャチにある拠点病院では2月下旬以降、前線から後送された約20人の負傷兵、約50人の一般避難者の外科治療を行いました。妊娠中の女性も多く、ここで25人が出産しましたが、担当医師によると「特に3~4月頃は心身ともに疲労困憊した女性が目立ちました。強度のストレスを抱えて心理面でのケアが必要でした」。
ウクライナ西部では普通の市民が物資提供や募金を通じて、東部や南部の同胞を支えようと奮闘しています。食料や日用品をかき集めて仲間と現地まで運んだり、中古車を濃緑色や迷彩色に塗装して前線に送ったり、他地域からの避難民をホームステイさせている家庭もあります。リヴィウ市内では教会や神学校の宿泊施設に多数の避難民が滞在し、あるカトリック教会では少数派であるロマの人々を積極的に受け入れていました。
ウクライナの誰もが異口同音に語ったのは、「この戦争は長引くだろう」ということでした。事態の長期化に伴い、欧州諸国でも足並みの乱れや「ウクライナ疲れ」が見られますが、国際政治や外交、軍事の領域とは別に、私たちはあくまで人道危機の観点に立って、支援を続けることこそ重要だと考えます。AAR Japanのウクライナ難民・国内避難民支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
*日本外務省の海外安全情報(7月末現在)では、ウクライナは「レベル4:退避勧告」に該当しますが、AAR Japanは独自に情報収集を行い、同国西部地域については、安全を確保して短期間入域することは可能と判断しました。AARは今後も万全の安全対策を講じながら、ウクライナ人道危機に対応してまいります。
中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局
全国紙特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の平和構築事業に従事。東ティモール独立、アフガニスタン紛争のほか、南スーダン、ウガンダ北部、フィリピン・ミンダナオ島など紛争・難民問題を長期取材。2017年11月AAR入職、2019年9月までバングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。