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活動レポート Report

「もう一度活き活きと生きたい」:ウクライナ避難民のヴィクトリアさん(後編)

2022年8月23日

4月にウクライナから来日したヴィクトリアさん(21歳)。日本に到着した後も、仕事探しや生活費の工面など苦労が続きました。ビデオメッセージと合わせて紹介します。(前編はこちら

インタヴューに答えるヴィクトリアさん

インタヴューに答えるヴィクトリアさん

まずは仕事と大学探し

――日本に到着してからはどうでしたか。

大変でした。4月9日に日本に着き、コロナ感染拡大防止のため1週間ほどホテルで待機しました。それから別のホテルに移り、面接を受けました。何をしたいか、働きたいか、どこに住みたいかなどを聞かれ、改めてビザを申請しました。それから保証人の女性の紹介で、入国管理局に近い都内のホテルに移りました。彼女が私たちのために必要な書類をそろえてくれました。

今住んでいる都内のアパートには4月24日に引っ越しました。それからすぐ仕事を探しました。私はオンラインで家庭教師をしていた経験があり、それを活かせないかと考えました。それから大学を探して、あちこち連絡をしました。弟のアルテムも大学進学を希望していたので、彼のことでもいくつもの大学に連絡しました。

私は今、横浜でウクライナの避難民の子どもたちをサポートする仕事をしています。埼玉大学の日本語クラスにも通っているので、働いているのは週3日です。9月からは大学院で、日本語の通訳者や日本語教師になるための授業も受けます。私は日本語が大好きですし、埼玉大学はとても気に入っています。

支援金は歯の治療や生活費に

――AARの緊急支援一時金制度のことはどこで知りましたか。

以前から日本に住んでいたウクライナ人と知り合いになり、教えてもらいました。一時金は、もちろんすごく役に立ちました。私は歯の治療をしていて、矯正具を外す必要がありました。でも日本の歯医者の治療費はとても高いです。ですのでその治療費に使いました。

また、当時はまだ仕事がなかったので、生活のため、生活費や交通費、食べ物や買い物のために使いました。AAR以外の支援金は、手続きのためまだ支給されていませんでした。だからAARからの支援金は、とてもとても助かりました。ありがとうございました。

さぽうと21は、弟の日本語学校を探してくれました。弟は3週間ほど前から、平日の午後に日本語学校に通っています。日本語学校ではすべて日本語なので、弟には大変です。将来はエンジニアになりたいと言っていて、数学と物理学とコンピュータ言語の専門の学校に通っていました。弟の大学を早く探してやりたいです。

今は勉強して、いつか祖国に

――今後の生活について希望していることはありますか。

将来のことについては、まだ分からないことも多いです。まず日本語をもっと勉強して、日本語能力検定試験のN2、N1を早く受けたいです。日本の大学で勉強して、いろいろな仕事を経験して、それから専門を選びたいと思っています。

――ウクライナに帰ることは考えていませんか。

ウクライナは今、大変なことになっています。両親も心配していますので、当面は日本にいたいと思っています。戦争が終わっても、ウクライナに住むのはとても危険です。ロシア軍が残した地雷がたくさん埋まっているし、兵器(不発弾)もたくさんあります。それからインフラもかなり破壊されてしまいました。それらがすべて元に戻るには長い時間がかかるでしょう。両親は私たちが安全な外国にいることを望んでいます。

私と弟は日本に滞在している時間を、学ぶために使うことができます。この時間は決して無駄にはならないと思います。学んだことを活かして、いつかウクライナのために役立てたい。今ウクライナにいても、座り込んで、スマホを眺めることしかできないでしょう。命を失う恐れがあるから、何もできません。

ウクライナでは、兵士がいたるところにいて、私の家のすぐ近くにも爆弾が落ちました。すごく恐ろしかった。でも詳しいことはお話しできません。思い出せないんです。記憶がブロックされていて、とぎれとぎれなんです。

私には弟がいますし、彼に対する責任も抱えています。生活していくために自分で何とかしないといけません。住まい、学校、手続き、考えないといけないことは山のようにあります。だから、感情をブロックして、生きる方法を探るために必死です。もう一度、活き活きと生きたいです。

道端に置かれたバリケード用の鉄材

道端に置かれたバリケード用の鉄材。全土が臨戦態勢にある(ウクライナ西部リヴィウ近郊)

――ご家族の状況はいかがですか。

父は東部戦線で戦車に乗っていたのですが、その戦車がミサイル攻撃に遭い、跡形もなくなくなってしまいました。幸いなことに、たまたま戦車を離れていたため、父たちは無事でした。父は戦場の爆音で、耳がよく聞こえなくなり、目もかすむようになりました。母は「お父さんの精神状態が変わった」と言います。戦場で目にした悲惨な光景が、彼を精神的にも苦しめています。戦前、父は非常に冷静な人でした。でも今は、怒りっぽくなり、とても感情的になっています。

ただ今は、戦車が破壊されたため、父は最前線を離れ、キーウの近くにいます。週末は家に帰ってきて母と一緒にいられるそうです。母は戦争の最中にたった1人でした。心配だったので、2人が時々一緒にいられると聞いてとても安心しています。

精神的な支えが嬉しい

――これから日本で暮らしていくために、他に必要な助けや支援はありますか。

今最も必要なのは、弟が大学に入るための情報です。エンジニアになる夢を叶えるために、IT関連の勉強をしたいと言っています。どこの大学がいいか、外国人として入るのがいいのか、どんなテストが必要で、そのためにどんな勉強をすればいいのか、そのアドバイスが一番必要です。

それ以外に必要なものは大体あります。先週ある企業から自転車を2台いただきました。本当にうれしいです。

――日本の人々にメッセージをお願いします。

様々なサポートをいただき、ありがとうございます。この困難な時期に、私たちは父や母と離れ、何もかもをウクライナに残してこなければなりませんでした。私たちにとって、初めて来た国で、初めて接する文化の中で、新しい暮らしを始めるのはとても大変なことです。皆さんからの支え、経済的な支援だけではなくて、精神的な支えが、前に進むために、そして自分自身の人生を生きるためにとても大切です。ありがとうございました。


ウクライナ難民をはじめ難民・避難民の方々の多くは、ヴィクトリアさんのように、わずかな荷物だけを持って日本まで逃げてきました。AAR Japanは、一時金の支給など難民・避難民の方々に寄り添う支援を行っています。皆さまの温かいお気持ちをどうぞお寄せください。

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