ロシアによる軍事侵攻が始まって半年、ウクライナ国内では多くの障がい者が困難な状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は同国南西部チェルニウツィー州を拠点とする障がい当事者団体LEADERと連携し、障がいのある方々の避難生活を支える現金給付を行っています。現地から届いた声を紹介します。
1カ月で帰れると思っていました
ナタリアさん(45歳)=ドネツク州
私はウクライナ東部ドネツク州にあるバフムトという小さな町で生まれ、そこで暮らしていました。今年2月以来、ロシア軍はあらゆる武器で私の町を砲撃し、市民が殺され、家や学校、病院が破壊され、薬も食料も衛生用品も何もかもなくなってしまいました。私は4月初旬、家族(夫、双方の親、姉と未成年のおい)を説得して故郷を離れました。1カ月後には戻るつもりでしたが、私たちと飼い猫2匹は帰れるあてもなく、現在は首都キーウ(キエフ)に滞在して、もう半年近くになります。日本の皆さんからの支援によって、私たちは食材を購入することができます。本当にありがとうございます。
車いすの独り暮らしを支えてもらった
イリヤさん(30歳)=チェルニウツィー州
私は数年前交通事故に遭い、車いす生活になりました。両親もおらず、一人で暮らしています。ひどい床ずれができてしまい、それが今も治っていません。そんな私に親切な人たちが村に小さな家を建ててくれました。LEADERの支援のおかげで、水道が引かれ、家が改築され、家具が揃えられ、仕事場まで完備されました。私は障がい者向け年金で生活しているので、薬代や電気代、食費などを支払うだけの余裕がありません。今回のAARの現金給付による支援はとても助かっています。
軍事侵攻で障がい者の取り組みが台無しに
アルトゥールさん=ドネツク州
私はドネツク州バフムトの出身です。車いすを使うようになって33年になります。私はスポーツに積極的に取り組み、他の障がい者の方々を指導してきました。さらに大きな計画もありましたが、ロシアの軍事侵攻がそれをすべて台無しにしてしまったのです。移動していた時にすぐ近くで爆発があり、車いすから放り出されて茫然自失になったこともあります。その後も砲撃が続き、外出もままならなくなった5月、退職した母と私はバッグひとつを持って、車で人里離れた場所に避難しました。すぐに戻って来られると思ったからです。しかし、すでに2回も居場所を移しています。日本からの支援のおかげで、必要なものを買うことができます。本当にありがとうございました。
軍事侵攻によるウクライナの混乱は長期化が予想されます。仮に軍事衝突が終結しても、早期に元の場所に戻ることは難しいと思われます。ウクライナ国内には支援を必要とする障がい者がまだまだたくさんいます。障がい者支援をはじめとするAARのウクライナ難民・国内避難民支援へのご協力を重ねてお願い申し上げます。
※「戦時下のウクライナにおける障がい者の状況」について、詳しくはこちらの記事で解説しています。