ロシアの軍事侵攻によるウクライナ人道危機が始まって1年余り、今も東部地域で激しい戦闘が続き、全土にミサイル攻撃が繰り返されています。AAR Japan[難民を助ける会]は危機発生直後の昨年3月以降、ウクライナ西部テルノピリ州の修道院に滞在する国内避難民の母子たちを支援してきました。戦時下の厳しい冬を越えて、ようやく春を迎えた子どもたちの様子を報告します。
※AAR Japanは特定の宗教を背景とした団体ではありません。この事業は避難民支援を目的としたもので、宗教活動には一切関わっていません。
地域一体で子どもたちをサポート
「雪が降って寒い日もあったけど、みんなで学校に通ったり、部屋で遊んだりして楽しかったよ!」――。
静かな田舎町のはずれにあるヤズローヴィツ修道院には、軍事侵攻が始まって間もなく、攻撃にさらされた東部や南部地域から多数の国内避難民が逃れて来ました。その大多数はシングルマザーを含む若い母親と幼い子どもたち、それにお年寄りでした。一時は100人を超える人々が身を寄せたこともあります。
AARはこの1年間、ポーランドから越境して食料や衛生用品、子ども服などを輸送したほか、オンラインによる小学生の遠隔授業ためのパソコン、幼い子どもたちが遊ぶ屋外の遊具を提供しました。修道院側も建物の中に保育所を仮設したり、学習が途切れないよう個別授業を行ったり、子どもたちを支える取り組みを続けました。ポーランドからやって来るボランティアも大きな役割を果たしています。
ウクライナではその後、比較的安全な地域では学校が再開され、子どもたちは地元の小学校に通っています。修道院からの送り迎えに活躍するのは、AARが提供した中古のワゴンカーです。それぞれ出身地が異なる子どもたちは、共同生活を通じて仲良くなり、放課後もお絵描きやビーズ細工などを楽しみながら冬場を過ごしました。
修道院にはAARが送った医薬品を備えた医務室が設けられ、体調がすぐれない子どもがいる時は地元の医師が往診に来てくれます。ウクライナ全土で物流が滞った時期には、支援物資の医薬品・衛生用品の一部が近隣の町にある拠点病院にも分配されるなど、地元行政や地域住民と連携して、避難して来た人々をサポートしました。
新しい命の誕生も
戦時下の冬季、インフラ施設を意図的に狙ったミサイル攻撃が相次ぎ、停電や通信障害が日常的に発生しましたが、修道院では薪ストーブを調理や暖房に使ったほか、ろうそくを灯して子どもたちが明るい気持ちで過ごせるように対応しました。そんな中、赤ちゃんが誕生する嬉しい出来事もありました。名前はソーニャちゃん(女児)、母子ともに元気に過ごしており、今やみんなのアイドルです。
一方で気になることもあります。ひとりの子どもがテレビを覆う布に火を付ける火遊びをして、テレビが故障してしまう“事件”がありました。また、一部ですが、せっかく登校しても教室からすぐに逃げ出す子どももいるといいます。大人たちも同様に怒りっぽくなったり、不安でふさぎ込んだりする人が見られます。先行きが見通せない中、家族と離れ離れになり、慣れない環境で暮らすことに、大人も子どももストレスを感じているのは言うまでもありません。こうした問題に対応して、修道院では地元の精神科医によるカウンセリングが行われています。
ウクライナ人道危機は終息の兆しが見えず、長期化が予想されます。AARは引き続き、国内に残る避難民や障がい者団体、周辺国や日本に逃れた難民・避難民に寄り添う支援を続けてまいります。AARのウクライナ人道支援へのご協力をお願い申し上げます。