ロシアによる軍事侵攻が始まって約2年半、ウクライナでは周辺国に逃れた難民に加え、約370万人の国内避難民が厳しい状況に置かれています。AAR Japan[難民を助ける会]は現地協力団体「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)とともに、同国南部ミコライウ、ヘルソン両州で、困窮する地域住民や避難民の生活を支える現金支給を行っています。
支援対象は、住民や避難民の中でも、特に困難に直面する新たな避難者、戦闘地域の近くに留まらざるを得ない家族、高齢者や障がい者、複数の子どもがいる世帯など。ヘルソン州を訪ねたAARキシナウ事務所(モルドバ)のシュクル・バイデラが、戦時下の人々の声を報告します。
持病の薬を買うことができました
ドミトリーさん(72歳)
ヘルソン州のブラホダトネという小さな村で、妻(70歳)と二人で暮らしています。ここはずっと戦闘が続いてきた地域で、ロシア軍に9カ月間占領された後、ウクライナ軍が奪還したんだ。うちの小さな庭にロケット弾が着弾したこともあるけれど、大した被害はなかった。そんなことよりも、この2年余りで親しい友人や村の隣人を何人も失ったのが悲しくてならないよ。
私は身体が不自由だし、糖尿病や心臓病に13年間も悩まされていてね。心臓病の薬は高くて保険も適用されないうえに、戦争が始まって通院もままならず、とても困っていた。そんな時に日本のNGO(AAR)の支援のことを知らせてくれた人がいてね。私は銀行を使っていなかったので、自宅を訪ねてきた支援チームが州都ミコライウでの口座開設を手伝ってくれて、生活費の振り込みを受け取ることができた。
支援をもらって薬を買ったり、昨冬は暖房を整えたり、電気や水道料金などの支払いに充てることもできて助かったよ。おかげで少しだけ余裕ができた感じで、日本の皆さんからの支援に本当に感謝している。今は一日も早く戦争が終わって、ウクライナに平和が訪れ、しばらく会えずにいる子どもや孫たちと再会することだけが楽しみだね。
日本からの支援に希望を感じた
マリアさん(75歳)
ブラホダトネ村でひとり暮らしです。ロシア軍に占領されていた頃、銃を持った3人のロシア兵が突然、窓から入って来たことがあってね。彼らは暴力を振るうこともなく、数時間後には集落から出て行ったけれど、あの時は生きた心地がしなかったよ。
御覧の通り私は歩行が困難で、松葉杖を使って家の中を移動するしかなく、高血圧や心臓病も患っていてね。息子も娘も外国に住んでいるので、こんな状況でひとり暮らしは心細いねえ。それでも、親切なお隣さんが毎朝訪ねてきて、食べ物を差し入れてくれたり、薬を飲むのを手伝ってくれたりするので助かっているよ。
生活費をもらったけど、戦争が始まって以来、こんな支援を受けたのは初めてだよ。自分で使い道を決められるので、まず薬を買って、去年は冬ごもりのために必要なものを買い揃えることができた。この戦争がいつまで続くか分からないけれど、遠い日本から届いた支援のおかげで希望を感じます。日本の皆さんに「ありがとう」と伝えてほしい。
子どもたちの未来のために
オレナさん(26歳)
ロシア軍が攻めて来た時、夫と2人の娘、1歳の息子と一緒に家を離れ、ヴィーンヌィツャ州(ウクライナ中部)の避難民センターで1年間暮らしました。その後、ヘルソン州に戻りましたが、今年5月には14機のドローンによる攻撃があったりして、何か起きる度に他所に避難しなければなりません。
9歳の娘は小学校のオンライン授業を受けようとしていますが、パソコンがなく、停電も頻繁に起きるので、勉強できる環境を整えてやることができません。5歳の娘も幼稚園に通えず、空き地で遊んでいます。建設業をしていた夫は開戦以降、ずっと定職に就けていません。戦争のせいで家族の生活は苦しいことばかりです。
日本からの支援を受けて、子どもたちの健康管理のための衛生用品などを買いました。攻撃を受けて避難するにもおカネが要るので、この支援は私たち家族の命を守ることに役立っています。今はただ、この子たちに平和な未来が訪れることを祈っています。
ウクライナでは和平の兆しが見えない中、数百万の人々が危機的な状況に耐え続けています。引き続き、AARのウクライナ人道支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
※この活動は皆さまからのご寄付に加え、ジャパン・プラットフォームの助成を受けて実施しています。
シュクル・バイデラキシナウ事務所
トルコ出身。2015年AAR入職、シリア難民支援に携わる。2022年2月のウクライナ人道危機の発生以降、隣国モルドバを拠点に難民・国内避難民支援に従事し、ウクライナ南部を度々訪問している。