活動レポート Report

砲声が聞こえる村で暮らし続ける人々:ウクライナ現地報告

2024年9月17日

ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって2年半余り、今も激しい戦闘と全土へのミサイル・ドローン攻撃が続き、事態が終息する兆しは見えません。AAR Japan[難民を助ける会]は現地協力団体とともに、同国南部ヘルソン、ミコライウ両州で、困窮する地域住民や国内避難民を少しでも支えるために生活支援金を提供しています。AAR東京事務局の中坪央暁が現地から報告します。

くぐもった砲声が立て続けに数発、遠雷のように南の方角から伝わって来ます。2014年にロシアが一方的に併合したクリミア半島の付け根に位置するヘルソン州の北西端プラヴディノ村。現地協力団体「The Tenth of April」(TTA/本部オデーサ)の現場チームとともに訪ねた同村は、よく晴れた昼下がり、身を潜めるように静まり返っていました。

ナスチャさん一家と住居の前で話すAAR職員の写真

生活支援金を受け取ったナスチャさん一家と話すAAR現地職員オレーナ(左)=ウクライナ南部ヘルソン州プラヴディノ村で2024年9月12日

「ロシア軍が攻めて来た時は生きた心地がしませんでした。戦車の前に立ちはだかった村の男性が射殺され、遺体は路上に一週間放置されました」。プラヴディノ村で4人の子どもを育てる母親ナスチャさん(31歳)は当時を振り返ります。「ロシア兵は割と規律があったけれど、恐ろしかったのは(モンゴル系少数民族の)ブリャート人の兵士たち。家々を好き勝手に略奪し、住民7人が殺されました」。ロシア軍ではブリャート人など少数民族の部隊が危険な最前線に投入されていると言われます。

荒野に掲げられている地雷原を示す看板

プラヴディノ村一帯に広がる地雷原。後方に戦闘車両の残骸が見える

黒海に面した南部の要衝ヘルソン州は開戦直後の2022年3月、ロシア軍に全域を占領されました。ウクライナ軍が同年11月に州都ヘルソン市やプラヴディノ村を含むドニプロ川西岸(北側)を奪還しましたが、東岸(南側)はロシアに占領されたまま、川をはさんで今も戦闘が続きます。前線から約30キロに位置する同村一帯には多くの地雷が埋設され、荒涼とした原野に戦闘車両のさび付いた残骸が遺棄されています。

ナスチャさんの夫は開戦時、徴兵されて不在だったため、母子は村を逃れてウクライナ西部やミコライウ州などを転々とした後、今年7月に住み慣れた我が家に戻りました。子どもたちは通学せず、在宅で一日5時間のオンライン授業を受けています。「だって、村の学校は砲撃で壊されちゃったからね」と長男のヤンヌ君(14歳)。AARとTTAは支援プログラムとして一家に生活支援金を提供し、ナスチャさんは「冬に備えて暖かい子供服を買うつもりです。私たちのことを心配してくれる日本の皆さんに感謝します」と話しました。

壁が崩れて教室内が見えている写真

激しい戦闘で破壊されたプラヴディノ村の小中学校

村の広場で会った女性村長リュボフさんは、「家が全壊したなどの理由で、他所に避難したまま帰って来られない住民も多く、1,500人余りいた人口は現在850人ほどに減りました」と説明します。占領下で最後まで村に残った約180人は「逃げるに逃げられない年金生活の高齢者がほとんど。避難するにもおカネが必要で、頼れる伝手もない住民は危険な交戦地域に留まるしかなかったのです」。それに加えて、若い頃から住み暮らした自分たちの土地や家を離れたくないという気持ちも強かったことでしょう。

プラヴディノ村の目下の緊急課題は、破壊された給水システムの復旧で、現在は応急措置として、ウォータータンクをトラックで運び込んで分配しています。リュボフ村長は「ここはまだ戦場。厳しい状況が続きますが、住民が互いに協力して村を復興させなければ」と話します。

マリアさんとその友人の写真

近所の友人と語らうマリアさん(右)。左腕ひじの上に深い傷跡が残る

自宅前のベンチで近所の友人と談笑していた独り暮らしのマリアさん(69歳)は2022年3月、至近距離に落ちた砲弾の破片で左上腕部を切る重傷を負い、ヘルソン市内の病院に救急搬送されました。「その時も今と同じように、道端でご近所さん3人と立ち話をしていたの。4人とも大けがをして、恐ろしいなんてものじゃなかったわね」。もう少しで腕が千切れたのではないかと思うほどの深い傷跡を見せてくれましたが、幸い緊急手術とリハビリの経過は良好で、違和感はあるものの腕は動かせるようです。

マリアさんはAARから受け取った支援金で厳冬期を越すための暖房用の薪と冬服を買うつもりです。ストーブの薪を買うという人は多く、当地の冬の暮らしぶりがうかがえます。ここ数カ月はロシア軍のドローンが夜間、頻繁に村の上空を通過するので不安でならないという仲良し2人に、いつも現場で持ち歩く日本の板チョコを手渡すと、「まあ!まあ!」とパッとかわいらしい笑顔になりました。

村の男性にインタビューするAAR中坪

「地下室にかくまったウクライナ兵3人を見付からないように皆で密かに脱出させたんだ」――村の男性(左)からロシア軍占領下の出来事を聞くAAR中坪

この支援プログラムでは、昨年10月~今年8月に日本円で約4万1,000円の生活支援金を1,259人に、食料詰め合わせ(1万5,000円相当)を233人に届けました。TTAミコライウ支部のソーシャルワーカー、オリガさんによると、「支援対象者の選定は地元行政当局のリストに基づいて、低所得者層、障がい者や高齢者世帯、幼い子どもが多い家族、さらに交戦地域の近くに残らざるを得ない住民を把握し、より困窮した世帯を優先的に選んでいます」とのこと。

決して充分な金額とは言えないものの、支援を受け取ったウクライナの人々は、遠い日本から届いた善意への率直な感謝の思いを口にします。軍事侵攻が長期化する中、AARはTTAと連携して、こうした世帯への生活支援金の提供を当面継続します。引き続き、AARのウクライナ人道支援へのご協力をよろしくお願い申し上げます。

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中坪 央暁NAKATSUBO Hiroaki東京事務局兼関西担当

全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR入職、バングラデシュ・コックスバザール駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わる。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』、共著『緊急人道支援の世紀』、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』ほか。

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